南日本新聞連載「
さつま人国誌」第88回
―「日本の柱」、安らかに逝く―連載が更新になりました。
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さつま人国誌」をクリックしたらご覧になれます。
今回は、明日が大河ドラマの最終回ということで、それに先んじて、小松帯刀の最期の様子を紹介しました。
小松は大坂で亡くなり、同じく同地の夕陽ヶ丘墓地に葬られました。のちに鹿児島の郷里吉利に改葬されたため、同地には墓が現存しておりませんが、葬儀が神式で行われたそうですから、墓も神式だったのではないかと思います。
小松の初葬地はほぼ特定されており、小松の墓が改葬されたのち、外務大臣を務めた陸奥宗光の墓がほぼ同じ場所に立てられました(陸奥の墓ものち移転)。陸奥は海援隊の時代、長崎で小松の世話になり、その家来といってもよい存在でした。
小松の死因に関しては、「
足痛」が強調されていますが、小松の同僚だった家老桂久武が「
御肺病」つまり、
肺結核だと書いていますから、かなり確度の高い情報だと思います。これについては、以前々連載の中で書いたことがあります。
ここです。
ドラマで、小松の死因はどのように描かれるのでしょうか。
なお、明治初年、外国事務局で、小松に抜擢された大隈重信は、のちに小松のことを回想し、藩閥にとらわれずに人材を登用した小松の公正さを絶讃するとともに、小松の病名を「
腎臓病」だったと証言しています。大隈も小松の最晩年にそば近くにいた人だけに、この証言も無視できません。
個人的には、小松と公私にわたって親しかった桂久武の書簡に信がおけると思っていますが、まだ検討の余地があるかも知れません。
大河ドラマは明日が最終回ですが、仕事その他で見られそうもありません(泣)。
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