歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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一昨14日、吉良邸討ち入りの日だったが、表題の史跡ツアーの講師をつとめた。

京王電鉄広報部主催の「京王文化探訪」企画の一環で、小生には今年で5回目のツアーである。鹿児島と京都のほか、幕末江戸ツアーを南北に分けて2回行ってきたが、好評のため、10月の北方面ツアーを再挙行となった次第。

折からの冷たい雨。
このツアーでは一度も雨に降られたことはなかったが、今回そのジンクスが破れる。
「島津雨」で縁起がよいと初めは言っていたが、雨はやまず底冷え激しく、「島津雨も程度がある」と愚痴をこぼしたら、大笑いされた。
ちなみに、「島津雨」とは、島津家の祖、忠久出生の伝承にちなんでいます。
源頼朝の側室とされる丹後局が北条政子に迫害されて大坂の住吉大社に逃れました。忠久が生まれますが、突如大雨となり、まっ暗になったとき、住吉大社の狐が現れて明るくしたために無事に出産できたというもので、島津家にとって雨は縁起がよいと言い伝えられてきました。
もちろん、忠久出生の逸話は伝承であり、史実とは認めがたいです。

まず千住の小塚原回向院に行く。
安政の大獄関係者、桜田門外の変関係者の墓標を拝観。
ほかにも、鼠小僧や高橋お伝の墓、解体新書成立のきっかけとなった杉田玄白・前野良沢らの腑分けのレリーフなども見学した。

次に、すぐ近くの円通寺に行く。
ここは上野寛永寺の黒門が移築されていることで有名。
修復してあるが、弾痕がたくさん残っており、往時の上野戦争の激戦のさまが察せられた。
黒門の裏手に、彰義隊の墓(戦死之墓)や「死節之墓」を拝観し、彰義隊の首領天野八郎はじめ、榎本武揚・松平太郎・永井尚志・荒井郁之助・大鳥圭介・沢太郎左衛門・高松凌雲・新門辰五郎の供養墓も見た。

その後、谷中に移動して、山岡鉄舟の菩提寺である全生庵を見学し、谷中墓地に行き、徳川慶喜の墓を拝観。ほかには、討ち入りにちなんで、長谷川一夫の墓を見たり、高橋お伝・川上音次郎・雲井龍雄・大原重徳らの墓も見学した。

昼食は、池之端の水月ホテルにある鴎外荘で。
名前のとおり、文豪森鴎外の邸宅である。鴎外はここで「舞姫」を執筆したそうである。
鴎外




午後から雨が小降りになり、ほどなくやんだ。
上野の山に行き、西郷隆盛銅像彰義隊の墓を見学。
さらに、東照宮に行く。もともと伊勢の藤堂家の屋敷に造営されたことや東照大権現の成立を説明。境内の石灯籠が三代将軍家光の本殿再興のときに建立されたことを確認しながら、その配列に幕藩体制の家格秩序が表されていることなども合わせて説明。
その後、鳥取池田家の江戸上屋敷を見学。池田家の成り立ちや、幕末の藩主池田慶徳は徳川慶喜の次兄だったことなどを説明。有力大名の江戸藩邸正門の威容が今日まで残されたことの意義を強調した。
前回のブログでも書いたように、この門が「篤姫」の最終回で、徳川家の屋敷の門として登場したと思われます。

池之端には、旧岩崎邸があります。
三菱を興した岩崎弥太郎の子、久弥が明治中期に立てた洋館です。東京国立博物館や鹿鳴館などを設計したコンドルの手になるもので、瀟洒という言葉がぴったりです。一般公開されたのは近年のことなので、お勧めです。再来年の大河ドラマは岩崎弥太郎の視点から描くそうですから、ここも注目を浴びるかも知れません。
ここは、江戸時代、越後高田の榊原家の下屋敷でしたが、明治になって、桐野利秋の邸宅になったことでも知られています。桐野が陸軍少将になって購入したもので、18.000坪の広大な敷地だったとか。もっとも、桐野は征韓論で下野して鹿児島に帰ったので、ここに住んだのは2年足らずでした。
岩崎邸




最後は浜離宮に行きました。
江戸時代は浜御殿と呼ばれ、将軍家の別荘兼御狩場でした。
勝海舟の『海舟余波』に、ここで将軍家茂、天璋院、和宮が遊んだ逸話が載せられています。
茶屋の敷石に将軍家茂の草履だけがなぜか一番下にあったのを、和宮が上に直したので、大奥の女性たちの和宮を見る目が変わってきたというもの。
江戸切絵図を見ると、浜御殿には2つの茶屋があります。ひとつは池の真ん中にある中島と、池の東のほとりにある松御茶屋です。
参加者に、このうちのどちらかの敷石が海舟の逸話のものではないかと説明。松御茶屋は建物は現存しませんが、礎石はきちんと残っています。そして敷石もちゃんとありました。
でも、池に浮かぶ中島の茶屋のほうが可能性が高そうという話をしました。
最後に、鳥羽伏見の戦いで負けた徳川慶喜が江戸へ逃げ帰って最初に上陸した「御上り段」を見学しました。これも江戸切絵図にちゃんと記載されています。
浜離宮




予定よりやや早く全行程を終了した。
その後、新宿西口まで戻り、友人の研究者たちがやっていた報告会の2次会に出席。
じつはダブルブッキングしていて、報告会には出られなかった。せめて2次会に出て、みなさんにおわび。
レジュメをいただいたが、いろいろ興味深い報告会だったようである。ちゃんと聴けなかったのが残念である。

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【2008/12/16 21:43】 | イベント
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和宮と家茂の草履
ばんない
こんにちは。
雨で大変なツアーになったようですね。

ところで文中でも取り上げられた有名な「和宮が先に庭に飛び降り家茂の草履の位置を直した」というエピソードなのですが、このエピソードは勝の創作(もしくは法螺)という説があるようなのです。たしかこの本に載っていた説です。
 『大江戸の姫さま』(角川選書)関口すみ子著
但し関口氏は日本史研究が専門ではなかったと記憶しています。

ところで、桐野利秋は東京では豪邸に暮らしていたんですね。どうも『翔ぶが如く』のせいか、ずっと西郷のボロ屋敷(苦笑)に居着いているイメージが強かったので、ちょっと予想外でした。

創作?
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

浜御殿の敷石の話、勝の創作ですか。
あちゃー。
たしかに勝はホラ吹きですから、ウラをとるべきだったかも。といっても、とりようがないですけどね。

どうなんでしょうね?
ばんない
確かに裏が取りようがないんですよね。だって勝が「当人から聞いた話だ」といったら、天璋院も静寛院宮も当事者は皆あの世の人、さらに勝は伯爵様、聞き手は「はいそうですね」としか言いようがないのですから(苦笑)

関口氏の本では「江戸時代の最高位の姫君がこういう行動をとる事はあり得ず、勝が創作したに違いない」というような内容のことを書いてられた(様な記憶)のですが…この書き方では、「勝のはなし=ホラ」説も、あくまで関口氏個人の推測に過ぎないと考えられます。うーむ。

ところで。
勝ってやはりほら吹きだったんですか?(爆)

勝はホラ吹き?
桐野作人
ばんないさん、こんにちは。

関口さんの主張もはっきりした根拠があるわけではなさそうですね。
和宮が縁からピョンと飛び下りたのははしたない行為で、皇女や御台所がやるはずがない → だから、勝のホラだという理屈のようですね。

ただ、ピョンと飛び下りたというは勝の作り話でも、静かに下りた和宮がそっと草履を直したということはありえそうで、必ずしもホラとは限りませんね。

敷石クイズを出した立場から、勝を少し擁護したくもなります。

勝の場合、「氷川清話」などを読んでいますと、西郷への賛美が過剰ですよね。あれって、本当は西郷を褒めるというより、そのえらい西郷とサシで江戸開城を決めたのは自分だ、自分も西郷並みにえらいと、自分の名声を拡げるのが目的なんじゃないかという気もします(笑)。
そういうのって、ホラじゃなくて、自己顕示欲ですかね?


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和宮と家茂の草履
こんにちは。
雨で大変なツアーになったようですね。

ところで文中でも取り上げられた有名な「和宮が先に庭に飛び降り家茂の草履の位置を直した」というエピソードなのですが、このエピソードは勝の創作(もしくは法螺)という説があるようなのです。たしかこの本に載っていた説です。
 『大江戸の姫さま』(角川選書)関口すみ子著
但し関口氏は日本史研究が専門ではなかったと記憶しています。

ところで、桐野利秋は東京では豪邸に暮らしていたんですね。どうも『翔ぶが如く』のせいか、ずっと西郷のボロ屋敷(苦笑)に居着いているイメージが強かったので、ちょっと予想外でした。
2008/12/16(Tue) 22:44 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
創作?
ばんないさん、こんばんは。

浜御殿の敷石の話、勝の創作ですか。
あちゃー。
たしかに勝はホラ吹きですから、ウラをとるべきだったかも。といっても、とりようがないですけどね。
2008/12/19(Fri) 23:23 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
どうなんでしょうね?
確かに裏が取りようがないんですよね。だって勝が「当人から聞いた話だ」といったら、天璋院も静寛院宮も当事者は皆あの世の人、さらに勝は伯爵様、聞き手は「はいそうですね」としか言いようがないのですから(苦笑)

関口氏の本では「江戸時代の最高位の姫君がこういう行動をとる事はあり得ず、勝が創作したに違いない」というような内容のことを書いてられた(様な記憶)のですが…この書き方では、「勝のはなし=ホラ」説も、あくまで関口氏個人の推測に過ぎないと考えられます。うーむ。

ところで。
勝ってやはりほら吹きだったんですか?(爆)
2008/12/20(Sat) 01:19 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
勝はホラ吹き?
ばんないさん、こんにちは。

関口さんの主張もはっきりした根拠があるわけではなさそうですね。
和宮が縁からピョンと飛び下りたのははしたない行為で、皇女や御台所がやるはずがない → だから、勝のホラだという理屈のようですね。

ただ、ピョンと飛び下りたというは勝の作り話でも、静かに下りた和宮がそっと草履を直したということはありえそうで、必ずしもホラとは限りませんね。

敷石クイズを出した立場から、勝を少し擁護したくもなります。

勝の場合、「氷川清話」などを読んでいますと、西郷への賛美が過剰ですよね。あれって、本当は西郷を褒めるというより、そのえらい西郷とサシで江戸開城を決めたのは自分だ、自分も西郷並みにえらいと、自分の名声を拡げるのが目的なんじゃないかという気もします(笑)。
そういうのって、ホラじゃなくて、自己顕示欲ですかね?
2008/12/21(Sun) 15:57 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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