年賀状もまだ書いておりませんが、クリスマス前後、京都と名古屋に出張でした。
12月24日(水)天晴イヴの日の朝、新幹線で京都へ。
前回、デジカメトラブルにより撮影できなかったところと、執筆のための取材や来年の史跡ツアーの下見を兼ねて、いくつか回る。
三条京阪近くの
新門前通縄手(大和大路通)。
慶応4年(1868)2月、宿所の知恩院を発し、明治天皇との会見のため、初めて参内する英国公使パークス一行が攘夷派浪士に襲撃された場所である。襲撃を身を以て防いだのは土佐の後藤象二郎と、薩摩の中井弘だった。

知恩院からのパークスの進路を実地に確認した。知恩院の旧参道である東西の新門前通と南北の縄手通が交わる辻のあたりで襲撃を受けたのだろうか。いくつか資料を持参したが、襲撃場所をさらに絞り込めるような情報をもっていなかったのが残念である。
あるいは、すでに場所が特定されているかもしれない。ぜひ建碑して下さい>中村武生さま
なお、新門前通には古美術店や骨董店がたくさんあり、独特の雰囲気のある通りである。
とても気に入った。また訪れてみたい。
東山三条にある某ユースホステルが
坂本龍馬とお龍が結婚した場所だと、中村武生氏の著書『京都の江戸時代をあるく』(文理閣)で教えてもらっていたので行ってみる。
じつはそのすぐ近くにある
明智光秀の首塚に行くついでだったが。首塚は何度も来ているのに、こんなに近場だったとは全然知らなかった。
首塚の近くの和菓子屋さんで、光秀饅頭をお土産用に買う。黒糖で作られた甘いあずき餡の饅頭です。
その後、円山公園の奧にある
長楽寺に行く。

ここは水戸藩ゆかりのお寺で、安政の大獄の犠牲となった鵜飼吉左衛門・幸吉親子や、
頼山陽・三樹三郎親子、また徳川慶喜の側近として知られる原市之進、慶喜の弟昭訓などの墓がある。
お寺の裏手にあり、足許のおぼつかない場所もあったが、ひととおり拝観した。

また、壇ノ浦のもくずと消えた安徳天皇の生母、
建礼門院徳子が髪を下ろした場所でもあり、その供養塔(御髪塔とも仏舎利塔とも)もあった。

賑やかな円山公園のすぐ近くなのに、ほとんど訪れる人もいない。年末のせいもあるだろうが、静寂な空間を冷気と共に味わった。
長楽寺の近くにある安養寺も見学。
ここは法然が専修念仏を唱えた吉水草庵があったところ。法然の説法の人気が仇となり、法然もその弟子親鸞も配流されることになる。
その近くに料亭「左阿弥」があった。知る人ぞ知る料亭らしい。
門の横に何と、「
織田頼長公居館」という石碑があった。
織田頼長といってもあまり知られていないだろうが、織田有楽斎の長男。豊臣秀頼の家臣だったが、大坂冬の陣では厭戦派の代表的人物。陣所に遊女を引き入れて騒いだため、真田信繁や後藤又兵衛から非難されている。夏の陣の直前に、父とともに大坂城から脱出してしまった。そんな人である。
その後、雲生寺と名乗り、茶人として過ごしたというが、こんなところに住んでいたとは知らなかった。

ほかにも、八坂の塔や庚申堂、高台寺塔頭圓徳院、西行庵・芭蕉堂などを回ったが、書き出せばキリがないので省略。これで、写真はバッチリである。
夜は、居酒屋「龍馬」で、旧知のみなさんと歓談。
独りでしゃべりすぎたようだ。反省。
翌日の伏見・薩摩藩邸跡建碑の除幕式は次に書きます。
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