歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第90回
―藩閥を排し、公正無私―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回もまだ、小松帯刀にこだわっています。
ひとつは、玄蕃頭の位置づけがある程度わかったので、それを伝えたかったこと。
次いで、大隈重信が小松帯刀を高く評価していることをぜひ知ってもらいたかったからです。
大隈重信に小松と接点があったなんて、あまり知られていないと思いますが、じつは、小松の部下でした。外国官の役人として、小松の下で働いており、記事で書いたように、小松は大隈を自分の後継者として推薦し、政府は小松の意向を尊重して、それを実現しました。

小松の部下で薩摩藩出身者は、町田久成・寺島宗則・五代友厚と、いずれも英国留学組の俊英ぞろいでした。とくに寺島はのちに外務卿となり、活躍したことで知られています。このような同郷の後輩を差し置いて、小松は大隈を抜擢したのです。その理由は記事に書きましたので、ご覧下さい。

明治初年の生き残った志士たちは、政府を私物化するつもりなど毛頭なく、あくまで国家への貢献を一義とし、仕事も人事も公正を期して励んでいたことがわかります。彼らの新国家樹立に賭ける重い使命感が伝わってきます。
それとくらべて、現在の政治は何と軽いことかと感じますが……。

大隈重信は明治14年政変で下野したために、のちに隈板内閣の首班とはなったものの、政治家としてより早稲田の創設者というイメージのほうが強いですね。

しかし、大隈の才能を高く買っていたのは、小松だけでなく、大久保利通もそうです。
大久保研究者の勝田政治氏によれば、大久保が自分の後継者に擬していたのは、伊藤博文ではなく、大隈だったとのこと。

考えてみれば、大隈は薩摩の有力者2人になぜか高く評価されていますね。
そのことは換言すれば、小松も大久保も藩閥意識にこだわらなかった人物であることを示しているように思います。

次回は、1月3日が正月三が日の特別紙面のため休載となり、10日になります。
明治初年の内政と外交の隠れたる大事件となった浦上キリシタン事件について触れたいと思います。この事件には、小松も大隈も関わっています。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2008/12/27 09:51】 | さつま人国誌
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小梅
はじめまして。南日本新聞の「さつま人国誌」、インターネットで毎回読んでいます。ドラマの「篤姫」は終わってしまいましたが、小松帯刀のことをこれからも書いてください。現代に帯刀のような政治家がいたらいいのにと思います。

大隈と伊藤
ばんない
こんにちは。

大久保が大隈を高く買っていたというのはちょっと驚きでした。伊藤博文とのつながりの方がよくいわれますしね。一方の大隈は木戸孝允とのつながりの強さが強調されることが多いように思います。一方で大隈と西郷隆盛は巷説では不仲と言われていますが、どうだったんでしょうか。
また、愚問になりますが、維新の時にも影が薄かったという肥前藩出身の大隈が新政府の官僚にいきなりなれたのは、フルベッキの推薦なのでしょうか?

そういえば後に伊藤はハルビンで暗殺されますが、大隈は「華々しい死に方をした伊藤君がうらやましい」と半ば本気で周囲に語っていたそうです、ちょっと不謹慎だぞと思いますが(苦笑)。同年代でもあり、歴史に残る強烈な死に方をした伊藤に対してライバル心が強くあったのでしょうね。

また、久しぶりに町田久成の名前が出てきましたね。町田はこの後大飛躍した大隈・伊藤に対し、世を捨てるようにして政界を去りますが、久成の弟が回想録で語った話などを考えあわせるに、海外を広く見聞し、当時の門閥出身武士としてはかなり進歩的だったと思われる久成ですら、このような身分大逆転の状況に付いていけなかったのかな、とも推測され、興味深いです。

次回は浦上キリシタン事件とのこと、大山県令の話なども出てくるのでしょうか。年明けが楽しみです。

小松について
桐野作人
小梅さん、こんばんは。

コメント有難うございます。
小松については、私もこだわりがあるので、折に触れて書き、まとめてみるつもりでおります。また読んで下さいね。

大隈重信
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

勝田政治『<政事家>大久保利通』(講談社メチエ)によれば、大久保路線の継承者は大隈重信だったと書かれていますね。近年は大久保との関係が強調されていると思います。

大隈の中央政界への登場は長崎裁判所時代、浦上キリシタン事件の処理が小松の目に止まった可能性があります。またイカロス号事件の処理もあったかもと疑っているところですが。

あるいは、中井弘が小松に紹介したのかもしれません。明治元年の小松の横浜・江戸下りには、中井と大隈が同行しています。

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コメント
この記事へのコメント
はじめまして。南日本新聞の「さつま人国誌」、インターネットで毎回読んでいます。ドラマの「篤姫」は終わってしまいましたが、小松帯刀のことをこれからも書いてください。現代に帯刀のような政治家がいたらいいのにと思います。
2008/12/27(Sat) 16:28 | URL  | 小梅 #-[ 編集]
大隈と伊藤
こんにちは。

大久保が大隈を高く買っていたというのはちょっと驚きでした。伊藤博文とのつながりの方がよくいわれますしね。一方の大隈は木戸孝允とのつながりの強さが強調されることが多いように思います。一方で大隈と西郷隆盛は巷説では不仲と言われていますが、どうだったんでしょうか。
また、愚問になりますが、維新の時にも影が薄かったという肥前藩出身の大隈が新政府の官僚にいきなりなれたのは、フルベッキの推薦なのでしょうか?

そういえば後に伊藤はハルビンで暗殺されますが、大隈は「華々しい死に方をした伊藤君がうらやましい」と半ば本気で周囲に語っていたそうです、ちょっと不謹慎だぞと思いますが(苦笑)。同年代でもあり、歴史に残る強烈な死に方をした伊藤に対してライバル心が強くあったのでしょうね。

また、久しぶりに町田久成の名前が出てきましたね。町田はこの後大飛躍した大隈・伊藤に対し、世を捨てるようにして政界を去りますが、久成の弟が回想録で語った話などを考えあわせるに、海外を広く見聞し、当時の門閥出身武士としてはかなり進歩的だったと思われる久成ですら、このような身分大逆転の状況に付いていけなかったのかな、とも推測され、興味深いです。

次回は浦上キリシタン事件とのこと、大山県令の話なども出てくるのでしょうか。年明けが楽しみです。
2008/12/27(Sat) 16:59 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
小松について
小梅さん、こんばんは。

コメント有難うございます。
小松については、私もこだわりがあるので、折に触れて書き、まとめてみるつもりでおります。また読んで下さいね。
2008/12/31(Wed) 00:51 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
大隈重信
ばんないさん、こんばんは。

勝田政治『<政事家>大久保利通』(講談社メチエ)によれば、大久保路線の継承者は大隈重信だったと書かれていますね。近年は大久保との関係が強調されていると思います。

大隈の中央政界への登場は長崎裁判所時代、浦上キリシタン事件の処理が小松の目に止まった可能性があります。またイカロス号事件の処理もあったかもと疑っているところですが。

あるいは、中井弘が小松に紹介したのかもしれません。明治元年の小松の横浜・江戸下りには、中井と大隈が同行しています。
2008/12/31(Wed) 00:56 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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