歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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謹賀新年
本年もご愛読よろしくお願いします。

今年の大河ドラマ用にカテゴリー「天地人」を追加しました。
昨年ほどは頻繁に更新できないと思いますので、あらかじめご了承のほどを。

さて、旧聞に属しますが、昨年、学研新歴史群像シリーズ16「上杉謙信」で「上杉家の相続問題」と題した拙稿を書きました。
そのなかで、上杉景勝が謙信存命中に「弾正少弼」の官途を名乗っていたかという問題について、櫻井真理子「上杉景虎の政治的位置」(『武田史研究』28号)を紹介して、景勝の覇権が確立してからの創作だと述べました。

この官途はいうまでもなく謙信が名乗ったものです。したがって、景勝が謙信存命中に名乗っていたら、後継問題において重大な要素となります。
しかし、櫻井論文に基づいて、御館の乱勝利後に名乗ったとすれば、景勝の家督相続の正統性にも関わってくる問題です。

私は、櫻井論文と木下聡論文「山内上杉氏における官途と関東管領職の問題」(『日本歴史』685号)を参考にしながら、景勝の弾正少弼名乗りは御館の乱後であり、一方、景虎が官途を名乗らず「三郎」の仮名(けみょう)のままなのも、必ずしも関東管領が仮名のままで官途を名乗らなかったこと(つまり、景虎は関東管領職に就いたか、就く予定だった)を意味するとは限らないのではないかと、私見を述べました。

なお、上杉景虎の「三郎」名乗りについて考察した木下論文については、以前、当ブログのここで紹介したことがありますので、ご参考までに。

これについて、議論の前提となる景勝の弾正少弼名乗りについての別の論文を見落としていたことにあとで気づき、汗顔の至りです。しかも、その論文を持っていたのに読み落としたのですから、何をかいわんやです(トホホ)。

その論文は、以下の通りです。

片桐昭彦「上杉謙信の家督継承と家格秩序の創出」(『上越市史研究』10号、2004年)

片桐論文では、景勝が謙信存命中に「少弼」と名乗った書状を普光寺住職に出していることを紹介するとともに、景虎自身が御館の乱勃発からまもなく、芦名盛氏に宛てて「少弼無曲擬故」云々と、景勝のことを「少弼」と呼んでいることも紹介し、もし景勝が謙信死後に勝手に名乗ったものなら、景虎が認めるはずがないと指摘しています。

片桐論文は典拠を示して、景勝が天正3年(1575)正月に謙信から弾正少弼を譲渡されたと結論づけています。なかなか説得的な見解だと思います。

あえて疑義を呈するとすれば、普光寺宛ての景勝書状(片桐氏は天正3年とする)にある「今度従 上様御幕なと被下、官途させられ候」という一節で、片桐氏は「上様」を謙信だとしていますが、足利義昭ではないかという素朴な疑問もないわけではありません。
しかし、上杉家の当主が家中から「上様」と呼ばれた事例はほかにもあります(『上杉家文書』762号など)。この場合も謙信から景勝に与えられたと見て大過ないのではと思います。

以上から、景勝が謙信存命中の天正3年に弾正少弼の官途を名乗ったというのは間違いないと思われます。
とすれば、景勝はやはり謙信の有力後継者だったことは間違いないことになりますね。

一方、景虎の「三郎」名乗りは、関東管領職をほとんど独占した山内上杉氏の仮名名乗りに準じたものなのかどうか。もっとも、山内上杉家氏の歴代当主は「四郎」か「五郎」が多いですし、直近の憲政にしても「五郎」です。
景虎を山内上杉氏の当主かその継承予定者とするなら、「三郎」は実家の後北条氏時代からの名乗りなので不適切ではないのか、「四郎」か「五郎」への改名の必要はないのか、といった疑問もあります。

相変わらず、この問題は難しいですね。
ドラマでどのように解釈するのか注目されるところです。

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【2009/01/02 11:55】 | 天地人
トラックバック(0) |

興味深いです。
NAO4@吟遊詩人
>桐野さま
本年もよろしくお願いいたします。
早速取り上げていただいた「上杉景勝の弾正少弼」は、興味深く読ませていただきました。「御舘の乱」は知ってはいるものの、「景勝」と「三郎景虎」のそもそもの上杉家内部での立場、後北条氏の動きなど、突き詰めてないところがたくさんあり、この方面の知識を広げるのに、ご提示いただいた論文は役立ちそうな気がしております。

私は、歴史の興味を大河に合わせて、時代を行ったり来たりさせているところがあり、今年は幕末より戦国に比重が移りそうです。「天地人」は直江兼続が主人公であることもあり、中央政府の視点でない、歴史が見られて面白いかもしれません。

何かとよろしくお願いいたします。

今年の大河ドラマ
桐野作人
NAO4@吟遊詩人さん、こんにちは。

新年早々のコメント有難うございます。
今年の大河はどうでしょうね。直江の幼少時代などはわかっていないので、ほとんど創作だと思いますが。
予告編を見たかぎりでは、直江と景勝の切っても切れぬ縁が描かれそうですね。

個人的には、上杉氏と中央政権との関わりをどう描くかに興味があります。
ですが、あまり期待値を高めないでおきたいです(笑)。

上杉景勝の官途継承
板倉丈浩
おはようございます。

>片桐昭彦「上杉謙信の家督継承と家格秩序の創出」

この論文は私も読みましたが、片桐氏の指摘のうち、景勝の「弾正少弼」継承を景虎が認めていたという部分については、史料的に首肯できます。
しかし、御指摘の通り、景勝書状の「上様」は将軍義昭とも解釈できますよね。
となると、謙信没後の文書である可能性も出てきます。

上杉家御年譜によると、謙信が死去した天正6年3月13日の記事で「去ル天正四年御名字譲与シ玉フ事モ今日決定ス」とありますから(『御年譜』は謙信の名字官途譲状を天正4年のものとしている)、それまでは景勝の官途継承は正式に決定されていなかったようです。
ですから、件の景勝書状も謙信没後のものと解釈するのが妥当ではないかと思いますがどうでしょう。

>景勝が謙信存命中の天正3年に弾正少弼の官途を名乗った
>とすれば、景勝はやはり謙信の有力後継者だったことは間違いない

上杉家の公式解釈はそうなんですが(『御年譜』に「御家督ノ御底蘊ナルヘシ」とある)、私は官途継承と家督継承は別問題ではないかなと考えています。
確かに大名の後継者が(先例重視で結果的に)官途を継承する例は多いのですが、逆は必ずしも真ならずで、「筑前守」の前田利家は秀吉の後継者ではありませんし、「三河守」の結城秀康や松平忠直は家康の後継者ではありません。
(他の家臣に比べて特別扱いしているのは間違いないですが)
官途とあわせて「上杉」の名字をわざわざ譲与しているところも、羽柴姓や松平姓が有力大名に授与されたことを想起させますし、景勝はやはり家臣扱いだったのではないでしょうか。

>相変わらず、この問題は難しいですね。

これは、全く同感です

新刊紹介
市野澤 永
昨年に出版して欲しかったですが、
今福匡氏の著書は好きですね。

書名 上杉景虎
   謙信後継を狙った反主流派の盟主
著者 今福 匡
価格 \1,890(税込み)
出版 宮帯出版社
ISBN 978-4-86366-077-9
発行 2011年2月

詳しくは、こちらまで ↓http://www.miyaobi.com/publishing/




今福さん
桐野
市野澤さん

今福さんが新刊を出しましたか。
前作の『直江兼続』はよかったです。おそらく現段階で最上の史伝かと。


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コメント
この記事へのコメント
興味深いです。
>桐野さま
本年もよろしくお願いいたします。
早速取り上げていただいた「上杉景勝の弾正少弼」は、興味深く読ませていただきました。「御舘の乱」は知ってはいるものの、「景勝」と「三郎景虎」のそもそもの上杉家内部での立場、後北条氏の動きなど、突き詰めてないところがたくさんあり、この方面の知識を広げるのに、ご提示いただいた論文は役立ちそうな気がしております。

私は、歴史の興味を大河に合わせて、時代を行ったり来たりさせているところがあり、今年は幕末より戦国に比重が移りそうです。「天地人」は直江兼続が主人公であることもあり、中央政府の視点でない、歴史が見られて面白いかもしれません。

何かとよろしくお願いいたします。
2009/01/03(Sat) 00:40 | URL  | NAO4@吟遊詩人 #laIirjiw[ 編集]
今年の大河ドラマ
NAO4@吟遊詩人さん、こんにちは。

新年早々のコメント有難うございます。
今年の大河はどうでしょうね。直江の幼少時代などはわかっていないので、ほとんど創作だと思いますが。
予告編を見たかぎりでは、直江と景勝の切っても切れぬ縁が描かれそうですね。

個人的には、上杉氏と中央政権との関わりをどう描くかに興味があります。
ですが、あまり期待値を高めないでおきたいです(笑)。
2009/01/03(Sat) 17:33 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
上杉景勝の官途継承
おはようございます。

>片桐昭彦「上杉謙信の家督継承と家格秩序の創出」

この論文は私も読みましたが、片桐氏の指摘のうち、景勝の「弾正少弼」継承を景虎が認めていたという部分については、史料的に首肯できます。
しかし、御指摘の通り、景勝書状の「上様」は将軍義昭とも解釈できますよね。
となると、謙信没後の文書である可能性も出てきます。

上杉家御年譜によると、謙信が死去した天正6年3月13日の記事で「去ル天正四年御名字譲与シ玉フ事モ今日決定ス」とありますから(『御年譜』は謙信の名字官途譲状を天正4年のものとしている)、それまでは景勝の官途継承は正式に決定されていなかったようです。
ですから、件の景勝書状も謙信没後のものと解釈するのが妥当ではないかと思いますがどうでしょう。

>景勝が謙信存命中の天正3年に弾正少弼の官途を名乗った
>とすれば、景勝はやはり謙信の有力後継者だったことは間違いない

上杉家の公式解釈はそうなんですが(『御年譜』に「御家督ノ御底蘊ナルヘシ」とある)、私は官途継承と家督継承は別問題ではないかなと考えています。
確かに大名の後継者が(先例重視で結果的に)官途を継承する例は多いのですが、逆は必ずしも真ならずで、「筑前守」の前田利家は秀吉の後継者ではありませんし、「三河守」の結城秀康や松平忠直は家康の後継者ではありません。
(他の家臣に比べて特別扱いしているのは間違いないですが)
官途とあわせて「上杉」の名字をわざわざ譲与しているところも、羽柴姓や松平姓が有力大名に授与されたことを想起させますし、景勝はやはり家臣扱いだったのではないでしょうか。

>相変わらず、この問題は難しいですね。

これは、全く同感です
2009/01/12(Mon) 08:21 | URL  | 板倉丈浩 #/2jzPtOA[ 編集]
新刊紹介
昨年に出版して欲しかったですが、
今福匡氏の著書は好きですね。

書名 上杉景虎
   謙信後継を狙った反主流派の盟主
著者 今福 匡
価格 \1,890(税込み)
出版 宮帯出版社
ISBN 978-4-86366-077-9
発行 2011年2月

詳しくは、こちらまで ↓http://www.miyaobi.com/publishing/


2011/02/01(Tue) 21:47 | URL  | 市野澤 永 #-[ 編集]
今福さん
市野澤さん

今福さんが新刊を出しましたか。
前作の『直江兼続』はよかったです。おそらく現段階で最上の史伝かと。
2011/02/03(Thu) 21:21 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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