歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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NHK大河ドラマ「天地人」第1回「五歳の家臣」

いよいよ始まりましたね。

冒頭、子役だけではもたないので、天正14年(1586)の上杉景勝の初上洛のところから始まりましたね。豊臣秀吉・北政所・石田三成が、顔見せ的に登場しておりました。
場面は大坂城での歓待だったと思われますが、「人たらし」の秀吉が直江兼続に砂金を積んで、自分の家来になれと強制しておりました。まあ、ありえないフィクションですね。
秀吉は上杉家を東国取次とし、徳川家康と競わせようとしていましたから、兼続を家来にしてしまうと、上杉家が弱体化してしまい、目論見が達せられなくなりますから。

それに、どうせ秀吉の「黄金太閤」ぶり(実際は関白ですが)を演出するなら、史実では、秀吉が大坂城の黄金の茶室で上杉景勝をもてなしています。茶頭は千宗易(利休)でした。黄金の茶室と金の天目茶碗のほうが豪勢で面白いと思いますが、そこには兼続は招かれなかったようですから、具合が悪かったのかな? あるいは単に予算の問題?

なお、景勝は京都で参内して、従四位下・左近衛権少将に叙任されています。いわゆる公家成です。兼続も叙爵(五位)したという説もありますが、それはおそらく2年後のことでしょう。

石田三成についてですが、大坂城天守から秀吉と2人で、下を見下ろしていました。三成は秀吉の前で腕を組んでいましたね。
とても不躾、不届きな態度です。演出がいただけませんね。ふつうなら、後ろに坐って控えるべきでしょう。


一転して、幼少の坂戸城時代になりました。
永禄7年(1564)から始まりました。たしかに兼続は数えの5歳ですね。
長尾政景の水死事件が描かれました。
これは同年7月5日のこと。
上杉輝虎はその知らせを関東で聞くという設定でしたが、おかしいですね。
そのとき、輝虎は春日山にいるはずです。同月末に出兵しますが、それも関東ではなく信濃です。
そして、川中島で武田信玄と対陣しますが、2カ月間にらみ合っただけで撤退します。いわゆる第5次川中島合戦です。

そのほかは、ほとんど創作ばかりで、とくにコメントの必要を感じません。
子役は健闘していましたが、何となく「篤姫」を意識した演出だったような気がします。
あと、ナレーションで上杉と(上田)長尾の対立と説明していたのもいただけません。同じ長尾一族だと一言あってもよかったのでは。

輝虎を演じた阿部寛はかっこいいですね。まるで劇画から抜け出てきたようでした。個人的には、そのままずっと主役をやってくれてもいいですけどね(爆)。

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【2009/01/05 00:11】 | 天地人
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ぶるぼん
桐野先生、新年あけましておめでとうございます。
本年度もコバンザメでトラックバックをしつこく貼らせていただくことになりますが、会員すら関心の薄い当会ブログのアクセス増のための些細なご支援と思ってお許しください。
こちらも少しばかり写真・スタンプなどを極力UPして、歴史への関心をもってもらえればと思っています。

北斗の謙信
ばんない
旧年中はいろいろとこちらではお世話になりました。

今回は途中から拝見、お怒りの「三成腕組みシーン」は見られなかったのですが(苦笑)、まあ、ドラマとしては去年の第1回よりは大河らしくなってはいたと思います。でも第1回であんなにロケしたら早々と予算のほうが息切れで尻窄みになりそうですね…。

阿部寛の謙信(輝虎)は確かに迫力ありましたね、アレでは謙信と言うよりケンシロウという方がふさわしいですが(爆)。今回の謙信の位置づけは2001年の大河『北条時宗』の北条時頼(演じたのは渡辺謙)に似ているように感じました。『時宗』の時は時頼が死んで渡辺謙が出なくなると途端に脱落した人が多かったですが…(私もその一人ですが 汗)
あと、御歳60歳なのに吉川モニカ晃司の乗る馬に必死で徒で追いすがる笹野高史の木下藤吉郎に思わず(同情の)涙が…。

構いません
桐野作人
ぶるぼんさん、こんばんは。

トラックバック、全然構いませんよ。
もしかすると、相互リンクしたようがいいのかとも思いましたが、毎週1回のトラックバックのほうが目立つかもしれませんね。
いつも、あちこちのスタンプをよく集めていらっしゃるなと感嘆しながら拝見しています。

ケンシロウ
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

そうそう、輝虎はケンシロウぽかったですね。
あとよく知らないのですが、ゲームの「戦国ばさら」にも似ているとかいないとか?

北条時頼と時宗の関係と同様というのはまったく同意です。
じつは偶然ですが、私も最近「時宗」と似ているという話を友人に話をしました。
輝虎は7,8回は登場するようですね。
たしか、時頼も10回くらいは出たような?

また、子役と大人の主人公の入れ替わりについては、「義経」を思い出しました。もっとも、神木龍之介くんの演技と可愛さは絶品でしたけどね。

今回は入れ替わりのショックを少しやわらげようという工夫だったのでしょうか。




上杉景勝と徳川家康
御座候
>秀吉は上杉家を東国取次とし、徳川家康と競わせようとしていました

「競わせようとしていた」というのはどういう意味ですか? 景勝上洛時点では、家康はまだ豊臣政権に臣従していませんよね。北条氏との同盟を梃子に関東に影響力を浸透させつつある徳川家康という「仮想敵」を景勝に牽制させる、という意味でしょうか?

東国取次
桐野作人
御座候さん、こんにちは。

ご質問の件ですが、景勝のほうが家康より少し先に上洛しているのはたしかですね。景勝が天正14年6月、家康は10月です。
本来は二人をほぼ同時に上洛させたかったのでしょうが、家康のほうが景勝よりも豊臣政権との間に懸案事項が多かったので、上洛手続きが長引いたからでしょう。

「競わせる」というのは、家康が豊臣政権の「仮想敵」というよりは、豊臣政権の東国支配(惣無事令にも関わりますが)に家康だけでなく、景勝も関与させようという秀吉の狙いがあったという趣旨です。

まず、初上洛=臣従においても、石田三成らが景勝に対して、「関東の境目が決まる前に上洛したほうがよい」という副状を送っています。明らかに家康を意識した内容で、家康より先に上洛した方が得策だ(秀吉の覚えがめでたい)と暗に勧めています。

その後、家康は上洛したのちの同年12月頃に、秀吉から「関東惣無事之儀」を命じられていますが、同年9月、景勝も「関左并伊達・会津御取次」を命じられています。
さらに、同16年には景勝も家康と同様に清華成して、同じ家格になっています。

これらのことから、豊臣政権(秀吉ー三成)は二人が東国政策において重要な役割を果たすよう期待したと思われます。同時に、それは両者を競わせることでもあり、相互牽制の側面もあったのではないかという趣旨です。




徳川家康と上杉景勝
御座候
懇切丁寧な御解説、有り難うございます。

ただ、家康臣従後は景勝の取次行為が減少しており、この事実に基づき、東国取次は主に家康が担うことになった、というのが通説的理解であるように私は思うのですが・・・お考えがございましたら、ぜひ御教示下されば幸いです。

通説的理解
桐野作人
御座候さん、こんにちは。

ご指摘のように家康が東国取次で、景勝は後景に退いたというのが通説的理解でした。
でも、最近、豊臣政権の東国政策において、景勝の役割や関与を再評価する動きもあります。とりあえず、下記論文を参考に書いてみました。

矢部健太郎「東国「惣無事」政策の展開と家康・景勝--「私戦」の禁止と「公戦」の遂行」『日本史研究』509号、2005年


新説
御座候
御存知かもしれませんが、更に、矢部説を批判し通説を改めて支持する論文もございます。その点については如何でしょうか?


戸谷穂高「天正・文禄期の豊臣政権における浅野長吉」『遙かなる中世』21号、2006年

有難うございます
桐野作人
御座候さん

戸谷論文は未見なので、勉強させてもらいます。
ご紹介有難うございました。

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桐野先生、新年あけましておめでとうございます。
本年度もコバンザメでトラックバックをしつこく貼らせていただくことになりますが、会員すら関心の薄い当会ブログのアクセス増のための些細なご支援と思ってお許しください。
こちらも少しばかり写真・スタンプなどを極力UPして、歴史への関心をもってもらえればと思っています。
2009/01/05(Mon) 00:59 | URL  | ぶるぼん #-[ 編集]
北斗の謙信
旧年中はいろいろとこちらではお世話になりました。

今回は途中から拝見、お怒りの「三成腕組みシーン」は見られなかったのですが(苦笑)、まあ、ドラマとしては去年の第1回よりは大河らしくなってはいたと思います。でも第1回であんなにロケしたら早々と予算のほうが息切れで尻窄みになりそうですね…。

阿部寛の謙信(輝虎)は確かに迫力ありましたね、アレでは謙信と言うよりケンシロウという方がふさわしいですが(爆)。今回の謙信の位置づけは2001年の大河『北条時宗』の北条時頼(演じたのは渡辺謙)に似ているように感じました。『時宗』の時は時頼が死んで渡辺謙が出なくなると途端に脱落した人が多かったですが…(私もその一人ですが 汗)
あと、御歳60歳なのに吉川モニカ晃司の乗る馬に必死で徒で追いすがる笹野高史の木下藤吉郎に思わず(同情の)涙が…。
2009/01/07(Wed) 22:03 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
構いません
ぶるぼんさん、こんばんは。

トラックバック、全然構いませんよ。
もしかすると、相互リンクしたようがいいのかとも思いましたが、毎週1回のトラックバックのほうが目立つかもしれませんね。
いつも、あちこちのスタンプをよく集めていらっしゃるなと感嘆しながら拝見しています。
2009/01/08(Thu) 00:05 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
ケンシロウ
ばんないさん、こんばんは。

そうそう、輝虎はケンシロウぽかったですね。
あとよく知らないのですが、ゲームの「戦国ばさら」にも似ているとかいないとか?

北条時頼と時宗の関係と同様というのはまったく同意です。
じつは偶然ですが、私も最近「時宗」と似ているという話を友人に話をしました。
輝虎は7,8回は登場するようですね。
たしか、時頼も10回くらいは出たような?

また、子役と大人の主人公の入れ替わりについては、「義経」を思い出しました。もっとも、神木龍之介くんの演技と可愛さは絶品でしたけどね。

今回は入れ替わりのショックを少しやわらげようという工夫だったのでしょうか。


2009/01/08(Thu) 00:10 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
上杉景勝と徳川家康
>秀吉は上杉家を東国取次とし、徳川家康と競わせようとしていました

「競わせようとしていた」というのはどういう意味ですか? 景勝上洛時点では、家康はまだ豊臣政権に臣従していませんよね。北条氏との同盟を梃子に関東に影響力を浸透させつつある徳川家康という「仮想敵」を景勝に牽制させる、という意味でしょうか?
2009/01/11(Sun) 14:38 | URL  | 御座候 #-[ 編集]
東国取次
御座候さん、こんにちは。

ご質問の件ですが、景勝のほうが家康より少し先に上洛しているのはたしかですね。景勝が天正14年6月、家康は10月です。
本来は二人をほぼ同時に上洛させたかったのでしょうが、家康のほうが景勝よりも豊臣政権との間に懸案事項が多かったので、上洛手続きが長引いたからでしょう。

「競わせる」というのは、家康が豊臣政権の「仮想敵」というよりは、豊臣政権の東国支配(惣無事令にも関わりますが)に家康だけでなく、景勝も関与させようという秀吉の狙いがあったという趣旨です。

まず、初上洛=臣従においても、石田三成らが景勝に対して、「関東の境目が決まる前に上洛したほうがよい」という副状を送っています。明らかに家康を意識した内容で、家康より先に上洛した方が得策だ(秀吉の覚えがめでたい)と暗に勧めています。

その後、家康は上洛したのちの同年12月頃に、秀吉から「関東惣無事之儀」を命じられていますが、同年9月、景勝も「関左并伊達・会津御取次」を命じられています。
さらに、同16年には景勝も家康と同様に清華成して、同じ家格になっています。

これらのことから、豊臣政権(秀吉ー三成)は二人が東国政策において重要な役割を果たすよう期待したと思われます。同時に、それは両者を競わせることでもあり、相互牽制の側面もあったのではないかという趣旨です。


2009/01/12(Mon) 17:58 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
徳川家康と上杉景勝
懇切丁寧な御解説、有り難うございます。

ただ、家康臣従後は景勝の取次行為が減少しており、この事実に基づき、東国取次は主に家康が担うことになった、というのが通説的理解であるように私は思うのですが・・・お考えがございましたら、ぜひ御教示下されば幸いです。
2009/01/12(Mon) 22:46 | URL  | 御座候 #-[ 編集]
通説的理解
御座候さん、こんにちは。

ご指摘のように家康が東国取次で、景勝は後景に退いたというのが通説的理解でした。
でも、最近、豊臣政権の東国政策において、景勝の役割や関与を再評価する動きもあります。とりあえず、下記論文を参考に書いてみました。

矢部健太郎「東国「惣無事」政策の展開と家康・景勝--「私戦」の禁止と「公戦」の遂行」『日本史研究』509号、2005年
2009/01/16(Fri) 14:13 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
新説
御存知かもしれませんが、更に、矢部説を批判し通説を改めて支持する論文もございます。その点については如何でしょうか?


戸谷穂高「天正・文禄期の豊臣政権における浅野長吉」『遙かなる中世』21号、2006年
2009/01/17(Sat) 16:50 | URL  | 御座候 #Oy7xWeJw[ 編集]
有難うございます
御座候さん

戸谷論文は未見なので、勉強させてもらいます。
ご紹介有難うございました。
2009/01/17(Sat) 17:49 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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