歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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昨夜、小学館古文書講座「てらこや」に出講。
テーマは「小松帯刀と幕末薩摩藩」の5クール目。
詳しくは、こちらをご覧下さい。

年明け早々から始まった。
今回は受講者の人数が多い。
ずっとシリーズものの続きで、途中からは参加しにくいはずではないかと思うが、有難い限りである。

今回は「四境戦争後の形勢」と題して行った。
前シリーズの最後の2回で将軍家茂と孝明天皇の死をそれぞれ取り上げたが、今回はもう一度、将軍家茂の死(慶応2年7月頃)に戻る。四境戦争で長州藩が勝利したのちの形勢を見るのが目的。

前回、公家衆22人による8・30列参運動に少し言及したので、もう少し詳しく説明しようと思い、顛末がよくまとまっている『大久保利通日記』を読み始めたが、議奏や武家伝奏、天皇の小番衆である内々と外様の違い、また近世になって創設された近習番などを説明しているうちに、またたく間に時間が経って、1時間も要してしまった。
ほんのさわりだけのつもりが、ほとんどメインになってしまう。

でも、中味は面白かった。列参運動の中心的人物である中御門経之や大原重徳が舌鋒鋭く、尹宮朝彦親王(一会桑権力の守護者)を非難しているだけでなく、孝明天皇に対しても、「朝廷之御失躰」を認めるよう、激しく迫る様は、宮廷内の下剋上的実力行動の激しさと、孝明天皇の孤立化を見る思いがした。
中御門はのちに討幕の密勅の署名者だし、大原は親薩摩の公家。
二条関白と朝彦親王を追い詰めて、彼らが孝明天皇の死を契機に、一気に朝廷の主導権を握るようになる伏線となるような事件といえよう。

でも当然、後ろにしわ寄せ。
15枚のレジュメの半分ほどしか進まなかった。
またしても、時間配分のミスである。まったく学習能力がない、懲りない講師である(爆)。
こうなったら、開き直って時間やペース配分をそれほど気にせず、自分が語りたいことを語ったほうがいいのかもしれないなと、感じた次第。

次回は今回のレジュメの続きと、いわゆる将軍空位時代について考える予定です。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2009/01/07 23:58】 | てらこや
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