歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第93回
―ロンドン手本、内陸志向―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は、伊地知貞馨の大和遷都論です。
おそらくほとんどの人がご存じないと思います。
さらにいえば、伊地知貞馨という人物もあまりなじみがないと思います。

伊地知は、島津久光の率兵上京計画に奔走し、成果をあげています。
久光四天王の一人で、もっと活躍できたはずですが、江戸の藩邸放火事件に関わったことで、中央での国事周旋ができなくなりました。彼の知名度があまりないのはそのためだと思います。

伊地知はその後、薩摩藩の紡績事業振興を図ります。
その関係で、大和を訪れ、実際に地勢その他を詳しく調査しています。
その経験から大和が遷都地にふさわしいと思うようになったのでしょう。

ロンドンがそのモデルだというのが面白いですね。
考えてみれば、ロンドンに限らず、パリ、ベルリン、ワシントン、サンクト・ペテルブルク、ほとんどすべて欧米列強の首都は内陸部にあります。
その意味では、伊地知の考え方は一定の妥当性があったといえましょう。

大久保利通、伊地知正治、伊地知貞馨と、薩摩藩士が遷都問題に積極的なのは興味深いですね。たしか、黒田清綱も江戸遷都を唱えたと聞いています。

次回何を書くか、じつは未定です。
いくつか候補はあるんですが……。

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【2009/01/24 21:55】 | さつま人国誌
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大和川
ばんない
>伊地知貞馨
確かに聞かない名前ですね。ちょっとネットで検索したところでは新政府に出仕後、琉球関係で賄賂を受け取った疑いで大久保利通に弾劾されて失脚した人物のようですが…。苗字が堀→伊地知になったのは海江田信義みたいに婿養子にでも入ったのでしょうか?

前回までの難波遷都に続き今度は大和遷都とは、伊地知貞馨本人はそのつもりはなかったようですがクラシック指向が強まってますね(苦笑)。ただ、古代の大和朝廷は余り大和川の水運をうまく使ってないようで、大和川流域に築かれた宮都はなかったと思います。斑鳩に自分の拠点を移した厩戸皇子(聖徳太子)が唯一大和川の水運を使おうとした人物じゃないかという説もどこかで見たことがありますが。江戸時代になってもかなりの暴れ川で流域の住民は苦労したようです。
http://www.yamato300.jp/tukekae/tukekae.html

ところで実際に旅行したことがないので断言は出来ませんが、サンクトペテルブルグは港湾都市じゃなかったでしたっけ。
http://maps.google.com/maps?hl=ja&lr=&q=st%E3%80%80petersburg&revid=710485556&resnum=0&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl

モスクワか
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

サンクトペテルブルクではなくて、モスクワでしたね。
もっとも、幕末期の首都がどっちだったか、うろ覚えです。
モスクワなら、確実に内陸だと思いますが……。

久光四天王
へいぞー
桐野先生お疲れ様です。
ふと気になったのですが、〝久光四天王〟の造語は町田明広氏が名付け親なのでしょうか?

町田氏の新刊書を読むまでは、堀次郎が外交手腕に長けた人物とは思えませんでした。

どうも西郷とは合わない……というより、西郷から見捨てられた退転者のイメージが強いですね。
桂久武宛て(明治四年十一月三日)の書簡にも心情が吐露されてますね。


久光四天王
桐野作人
へいぞーさん、こんばんは。

「久光四天王」は、町田明広氏が初めて使ったのではないかと思います。
私も以前、彼に使わせてほしいとお願いして許してもらいました(笑)。

堀次郎=伊地知貞馨はもう少し評価されていい人物ではないでしょうか。
西郷との親疎だけで評価されるというのもどうかと思います。西郷を絶対基準にするのは、研究じゃなく信仰ですからね。

堀次郎
町田明広
桐野さん、ご無沙汰しております。久しぶりの書き込みです。

堀の評価について、まったく同感です。彼の安政・文久期の縦横無尽な外交家としての活躍は、薩摩藩の様々な周旋においてかけがえのないものでした。
個人的には、脱藩中の吉田稔麿との接触なども、興味深いものがあります。

さて、「久光四天王」ですが、私より前にどなたかがご使用でしたら、ぜひご教示いただきたいです。

久光四天王
へいぞー
この造語を使う研究者や作家が今後増えてくかも知れませんね。
桐野さん、町田さん回答ありがとうございます。

愚拙も芳即正氏や佐々木克氏、今回の町田さんの先行研究から大いに学びたい所存です。


久光四天王
桐野作人
町田明広さん、こんばんは。

管見の限り、「久光四天王」なる用語はこれまでなかったように思います。
またいろいろ教えて下さいませ。

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この記事へのコメント
大和川
>伊地知貞馨
確かに聞かない名前ですね。ちょっとネットで検索したところでは新政府に出仕後、琉球関係で賄賂を受け取った疑いで大久保利通に弾劾されて失脚した人物のようですが…。苗字が堀→伊地知になったのは海江田信義みたいに婿養子にでも入ったのでしょうか?

前回までの難波遷都に続き今度は大和遷都とは、伊地知貞馨本人はそのつもりはなかったようですがクラシック指向が強まってますね(苦笑)。ただ、古代の大和朝廷は余り大和川の水運をうまく使ってないようで、大和川流域に築かれた宮都はなかったと思います。斑鳩に自分の拠点を移した厩戸皇子(聖徳太子)が唯一大和川の水運を使おうとした人物じゃないかという説もどこかで見たことがありますが。江戸時代になってもかなりの暴れ川で流域の住民は苦労したようです。
http://www.yamato300.jp/tukekae/tukekae.html

ところで実際に旅行したことがないので断言は出来ませんが、サンクトペテルブルグは港湾都市じゃなかったでしたっけ。
http://maps.google.com/maps?hl=ja&lr=&q=st%E3%80%80petersburg&revid=710485556&resnum=0&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl
2009/01/25(Sun) 13:16 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
モスクワか
ばんないさん、こんばんは。

サンクトペテルブルクではなくて、モスクワでしたね。
もっとも、幕末期の首都がどっちだったか、うろ覚えです。
モスクワなら、確実に内陸だと思いますが……。
2009/01/25(Sun) 21:07 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
久光四天王
桐野先生お疲れ様です。
ふと気になったのですが、〝久光四天王〟の造語は町田明広氏が名付け親なのでしょうか?

町田氏の新刊書を読むまでは、堀次郎が外交手腕に長けた人物とは思えませんでした。

どうも西郷とは合わない……というより、西郷から見捨てられた退転者のイメージが強いですね。
桂久武宛て(明治四年十一月三日)の書簡にも心情が吐露されてますね。
2009/01/26(Mon) 00:01 | URL  | へいぞー #-[ 編集]
久光四天王
へいぞーさん、こんばんは。

「久光四天王」は、町田明広氏が初めて使ったのではないかと思います。
私も以前、彼に使わせてほしいとお願いして許してもらいました(笑)。

堀次郎=伊地知貞馨はもう少し評価されていい人物ではないでしょうか。
西郷との親疎だけで評価されるというのもどうかと思います。西郷を絶対基準にするのは、研究じゃなく信仰ですからね。
2009/01/27(Tue) 01:16 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
堀次郎
桐野さん、ご無沙汰しております。久しぶりの書き込みです。

堀の評価について、まったく同感です。彼の安政・文久期の縦横無尽な外交家としての活躍は、薩摩藩の様々な周旋においてかけがえのないものでした。
個人的には、脱藩中の吉田稔麿との接触なども、興味深いものがあります。

さて、「久光四天王」ですが、私より前にどなたかがご使用でしたら、ぜひご教示いただきたいです。
2009/01/27(Tue) 21:49 | URL  | 町田明広 #-[ 編集]
久光四天王
この造語を使う研究者や作家が今後増えてくかも知れませんね。
桐野さん、町田さん回答ありがとうございます。

愚拙も芳即正氏や佐々木克氏、今回の町田さんの先行研究から大いに学びたい所存です。
2009/01/28(Wed) 23:22 | URL  | へいぞー #-[ 編集]
久光四天王
町田明広さん、こんばんは。

管見の限り、「久光四天王」なる用語はこれまでなかったように思います。
またいろいろ教えて下さいませ。
2009/01/29(Thu) 00:11 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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