歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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先日の北陸・安土調査のとき、撮影した写真をいくつか載せておきます。

まず、福井です。
1月24日、雪が降ったりやんだりでした。
柴田勝家の居城だった北ノ庄城跡にある柴田神社に行きました。
あいにく激しい雪でした。
勝家像もお市像も雪まみれです。
勝家が賤ヶ岳の合戦で雪をおして出陣した苦労が察せられました。
帰路、あまりに寒かったので、近くの蕎麦屋に入りました。
「お市蕎麦」があるという触れ込みでしたが、あいにく冷たい椀子蕎麦風です。
私は温かいにしん蕎麦を食べましたが、お市蕎麦を食べた同行の2人には「裏切り者」だと言われました(爆)。
*写真はクリックすれば、拡大されます。

柴田勝家
お市
お市そば






翌25日、安土城考古博物館の調査が終わったあと、まだ陽が高かったので、安土山に登りました。
私は数年ぶりの訪問で、地主の見寺が木戸を設けてから初めてです。
木戸銭は500円。
以前は木戸じたいがなかっただけに、少々解せません。
木戸銭が安土山の保全に使われるなら、まだしも納得できるのですが、どうなんでしょうか。

整備された大手道を一気に伝・武井夕庵邸まで登り、その後、黒門や二の丸の信長墓所を見てから、本丸、さらに天主跡と、いつものルートで登りました。
前日と打って変わって晴天で、天主からの眺望も格別です。

帰路は見寺経由で帰りました。
天正10年(1582)5月、見寺の本堂前面に、徳川家康接待のために設けられたであろう能舞台跡を見学し、信長に能の不出来を折檻された梅若大夫の悲哀に思いを馳せる。
当時の三重塔だけは相変わらず健在だ。

仁王門から百々橋口に下りようとして、道が封鎖されているのに気づく。
そうか、こちらを開けていたら、出入りフリーとなって木戸銭を徴集できなくなる。
帰路も大手道に帰る仕組みになっていたのを、遅まきながら気づかされた。
安土木戸
大手道



信澄・乱丸




左上:安土城大手道の木戸、中上:一直線の大手道、右上:伝・津田信澄/森乱屋敷跡



天主登り口
天主礎石
惣見寺






左上:天主上り口、中上:天主台の礎石、右上:見寺三重塔

安土山をあとにして、城下にあったイエズス会のセミナリオ跡を見学して、安土駅に戻った。
久しぶりの安土。有酸素運動をしたためか、気分爽快で帰路についた。

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【2009/01/29 21:21】 | 信長
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