歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第94回
―西郷と会見したのか?―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回から2回にわたって、高杉晋作を書くことにしました。先日、木戸孝允の薩摩入りも書きましたので、高杉も忘れてはならないと思ったからです。

ご存じのとおり、高杉と薩摩の縁は決して濃いものではありませんが、まったくないわけではありません。今回は、高杉と西郷隆盛は果たして会ったことがあるのかどうか、というテーマで書きました。

元治元年(1864)11月から、西郷は第一次征長を平和裡に収拾しようとし、豊前小倉に出張し、五卿移転問題をめぐって、受け入れ先となる筑前藩をはじめとした有志たちと接触したのをきっかけに、薩長和解の動きが出てきて、西郷が下関に渡って長州藩の諸隊幹部と会見するところまで漕ぎ着けます。
五卿は朝敵とされた長州藩にとって不可欠なシンボルでしたから、その移転には当然難色を示すわけですが、五卿を大事にすることと、長州藩を悪いようにしないという西郷の誠意が通じて、一応の解決をみます。

その過程で、長州藩諸隊の総帥である高杉と西郷が会見したのではないかという疑問に迫ったのが今回です。
結論からいえば、会っていないのではないかと思います。
でも、下関稲荷町の妓楼大阪屋で両雄が会ったという、かなり具体的な逸話も残っています。

今回は久留米藩士水野正名の伝記を使いましたが、その情報源は筑前藩士早川養敬(勇)の手記「落葉の錦」のようです。

ところが、いろんなデータベースで調べても、「落葉の錦」がヒットしません。どうも単独の著作ではなく、史料集のなかに収録されていて、その史料集の収録書目が掲載されていないためにヒットしないのかなと思います。
いまのところ『野史台維新史料叢書』あたりではないかと目星を付けているところですが……。
もしご存じの方がおいでなら、ご教示いただければ幸いです。まことに情けない話ですみません。

なお、補強史料として、早川養敬の伝記『従四位早川春波翁来歴』があり、入手しました。これには、以下のような一節があります。

「頓て西郷は月形か迎に随ひ、吉井幸輔、税所笑蔵、の二士を伴ひ直に起て馬関に来る、月形は迎入れ、馬関稲荷町の青楼大坂屋(対帆楼)に密会し、高杉其他十四五名の隊士と薩の三士は一場の宴席を共にし、従来両藩の間に横りたる讐敵乖背の紛状をして抔盤狼藉の間散解して痕なからしめる」

これだと、西郷たちが高杉たち十数人と会っていることになっています。
妓楼大阪屋は対帆楼ともいうんですね。

落葉の錦」はこの伝記とは別物なんでしょうね?

ともあれ、五卿問題と薩長和解の当事者の一人だった筑前藩士の伝記にこれだけ具体的に書かれていると、両雄の会見はあったのかもしれないとも思えますが、さて、どうなんでしょうか?

次回は、未遂に終わった高杉の入薩の企てを書く予定です。

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【2009/01/31 11:31】 | さつま人国誌
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西郷・高杉会談はあったのか
板倉丈浩
こんにちは。北陸・安土遠征、お疲れさまでした。
さて、「落葉の錦」については私もわかりませんでしたが、高杉の伝記『高杉晋作伝入筑始末』に早川が手記を寄せていて、早川と月形が密かに西郷を連れだして高杉に会わせたと明記しているようですので、あるいはこれを指すのかもしれません。

また、黒田清綱も「会った」と証言しているみたいです↓
http://www.e-furuhon.com/~matuno/bookimages/23100.htm
ただ、この時黒田は下関に行っていないようですので、信憑性には疑問が残ります。

伊藤博文だけでなく、西郷に同行した税所も面会の事実を否定しているそうですから(近世日本国民史)、早川の勘違いか作り話と考えるのが妥当でしょう。

西郷が小松に宛てた書簡で「隊長の者と論判した」とあり、隊長クラスの誰かと会ったのは確実で、『防長回天史』等では赤根武人(奇兵隊総督)ではないかと推測しています。

しかし、この直後、12月25日付けで太田市之進(御楯隊総督)と野村和作(諸隊客分)が征長総督あてに嘆願状を提出しているところを見ると(土方久元『回天実記』)、「隊長の者」とは太田・野村である可能性が高いのではないかとも思えますね。

落葉の錦
吾嬬
はじめまして。
筑前の郷土史家:江島茂逸編『荒津瀉落葉の錦 前編上下・後編上下』という文献が、山口県文書館の「藩政文書>毛利家文庫>75維新記事雑録14」にあるのですが、桐野様の言われる「落葉の錦」とはこの文献のことではないでしょうか。
内容は、五卿送迎・征長解兵・薩長和解の間の事情について記述したものらしいのですが、私自身は未見ですのでこれ以上のことは分かりませんが・・・
編者の江島茂逸は、板倉様がコメントされている『高杉晋作傳入筑始末』(團々書店。明治26年)(復刻版:しまや出版部。平成2年)の著者です。
上記の山口県文書館所蔵の文献が「ハズレ」であった場合は、何卒笑って御許し下さいませ。

落葉の錦
桐野作人
板倉丈浩さん、こんばんは。
吾嬬さん、はじめましてでしょうか?

「落葉の錦」についてのご教示、有難うございます。
じつは、ほかの方からもメールをいただきまして教えてもらいました。
吾嬬さんのご指摘のようですね。

いずれにしろ、西郷との会見説は否定論が多いですね。


emma
こんにちは。早川春波の伝記をお持ちのようなので質問したいのですが、早川と対馬藩士小宮延太郎との関係についてご存知でしたらぜひお教えいただきたいと思い、めーるさせていただきました。小宮延太郎の経歴と小宮が野村望東尼と面会したのか、姫島から救出するメンバーに入っていたのかを現在調査中です。早川の著作には小宮の名前も平田大江の名前も出てきますが、詳しくは出ていないのです。早川の日記が手に入れば情報があるかもしれないのですが・・・

ご自分で
桐野
emmaさん

ご自分で調査されているなら、そのようになされては。
このエントリーと関連コメントに、史料の出典などはすべて書かれています。
図書館その他で調べられると思いますが。

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西郷・高杉会談はあったのか
こんにちは。北陸・安土遠征、お疲れさまでした。
さて、「落葉の錦」については私もわかりませんでしたが、高杉の伝記『高杉晋作伝入筑始末』に早川が手記を寄せていて、早川と月形が密かに西郷を連れだして高杉に会わせたと明記しているようですので、あるいはこれを指すのかもしれません。

また、黒田清綱も「会った」と証言しているみたいです↓
http://www.e-furuhon.com/~matuno/bookimages/23100.htm
ただ、この時黒田は下関に行っていないようですので、信憑性には疑問が残ります。

伊藤博文だけでなく、西郷に同行した税所も面会の事実を否定しているそうですから(近世日本国民史)、早川の勘違いか作り話と考えるのが妥当でしょう。

西郷が小松に宛てた書簡で「隊長の者と論判した」とあり、隊長クラスの誰かと会ったのは確実で、『防長回天史』等では赤根武人(奇兵隊総督)ではないかと推測しています。

しかし、この直後、12月25日付けで太田市之進(御楯隊総督)と野村和作(諸隊客分)が征長総督あてに嘆願状を提出しているところを見ると(土方久元『回天実記』)、「隊長の者」とは太田・野村である可能性が高いのではないかとも思えますね。
2009/02/01(Sun) 17:32 | URL  | 板倉丈浩 #/2jzPtOA[ 編集]
落葉の錦
はじめまして。
筑前の郷土史家:江島茂逸編『荒津瀉落葉の錦 前編上下・後編上下』という文献が、山口県文書館の「藩政文書>毛利家文庫>75維新記事雑録14」にあるのですが、桐野様の言われる「落葉の錦」とはこの文献のことではないでしょうか。
内容は、五卿送迎・征長解兵・薩長和解の間の事情について記述したものらしいのですが、私自身は未見ですのでこれ以上のことは分かりませんが・・・
編者の江島茂逸は、板倉様がコメントされている『高杉晋作傳入筑始末』(團々書店。明治26年)(復刻版:しまや出版部。平成2年)の著者です。
上記の山口県文書館所蔵の文献が「ハズレ」であった場合は、何卒笑って御許し下さいませ。
2009/02/02(Mon) 04:04 | URL  | 吾嬬 #Zv.oGqPQ[ 編集]
落葉の錦
板倉丈浩さん、こんばんは。
吾嬬さん、はじめましてでしょうか?

「落葉の錦」についてのご教示、有難うございます。
じつは、ほかの方からもメールをいただきまして教えてもらいました。
吾嬬さんのご指摘のようですね。

いずれにしろ、西郷との会見説は否定論が多いですね。
2009/02/04(Wed) 00:19 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
こんにちは。早川春波の伝記をお持ちのようなので質問したいのですが、早川と対馬藩士小宮延太郎との関係についてご存知でしたらぜひお教えいただきたいと思い、めーるさせていただきました。小宮延太郎の経歴と小宮が野村望東尼と面会したのか、姫島から救出するメンバーに入っていたのかを現在調査中です。早川の著作には小宮の名前も平田大江の名前も出てきますが、詳しくは出ていないのです。早川の日記が手に入れば情報があるかもしれないのですが・・・
2011/10/22(Sat) 19:08 | URL  | emma #34LmXsmg[ 編集]
ご自分で
emmaさん

ご自分で調査されているなら、そのようになされては。
このエントリーと関連コメントに、史料の出典などはすべて書かれています。
図書館その他で調べられると思いますが。
2011/10/22(Sat) 19:32 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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