歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一昨17日(火)夜、小学館古文書塾「てらこや」に出講。

今回は「小松帯刀と幕末薩摩藩」5のシリーズの4回目。
テーマは趣向を変えて、表題の著作を読みました。

英国策論』は慶応2年(1866)、サトウが横浜の英字紙「ジャパン・タイムス」に対日外交問題についての論説を匿名で連載したものを、日本語訳した小冊子です。全部で20頁ほどと短く、90分の講座でも全文を読了しました。
なお、テキストは国立国会図書館のサイトにある「近代デジタルライブラリー」収録のものを使いました。

内容はどのようなものでしょうか。
サトウは、幕府が日本を代表する唯一の政府であることを否定し、それを諸侯連合に移すことを主張しています。そのために、イギリスが幕府と結んだ安政条約を破棄し、新たに諸侯連合と結べばよいと考えています。つまり、条約再締結という外交的努力によって(幕府から見たら限りなく内政干渉に近いですが)、日本の政権移行を平和的に実現しようという野心的なものです。

イギリスの日本における外交上の最大目的は平和的に貿易の利益を上げることにあります。幕府が対外貿易の利益を独占している現状に、20近い「独立大名」(国持大名)が不満をもっており、それが外国人殺傷などの攘夷行動に駆りたてているという認識がサトウにはありました。つまり、諸侯にも貿易の分け前を与えれば、それに満足して攘夷をしようとは思わないだろうと考えていたのでしょう。

幕府と「独立大名」との葛藤・対立を解消することがイギリスの国益に叶うというのが『英国策論』の趣旨だと思います。

一方で、この著作によって勇気づけられたのがいくつかの「独立大名」です。
それは薩摩、長州、土佐、越前、尾張、宇和島、阿波などの諸侯です。そのうちの4家(薩摩・土佐・越前・宇和島)が翌慶応3年(1867)4月、四侯会議を催して、長州処分と共に兵庫開港のイニシアチブをとろうとしました。これはサトウが構想した「諸侯会議」を日本側から具体化する動きだったともいえると思います。
とくに兵庫開港を誰の主導の下で行うか、これこそ「幕府」か「諸侯会議」のいずれが日本を代表する政府であるかと決定する試金石になったのです。
結果はご存じのとおり、徳川慶喜が四侯を押し切ってしまいますが……。

英国策論』の成立事情やその意義はどのようなものかという点について、石井孝『増訂 明治維新の国際環境』分冊二をサブテキストとして読みました。
論著をこれだけ長く読んだのはこの講座では初めてだったのではないかと思います。
40年以上前の著作ですが、さすがに幕末維新研究者のなかでいちばん対外関係史に詳しい人です。あまり古びていない内容でした。
受講者の方にも、私の下手な説明よりわかってもらえたのではないかと思います。

次回はいよいよ四侯会議に入ろうと思います。
問題は『続再夢紀事』の膨大な分量をどれだけコンパクトに用意できるかですね。これは頭が痛い。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング

スポンサーサイト

【2009/02/19 17:30】 | てらこや
トラックバック(0) |


佐多
こんばんわ。
ここ一年、ネットの具合が悪く接続出来ない状態でした。
ADSLから光へ変更しました次第です。
大河も終わりましたが、近世・禰寢文書(村山知一著)という本に禰寢重永の代からの系譜が詳細に書かれています。於近の生まれた年も記載してあります。確か文政11年ですね。重永は隠居した後に加治木に居住してそこで亡くなっています。強制的に隠居させられたとどこかで聞いたような気がします。鎌田播磨守の女の子供は色々あったのでしょうね。

近世・禰寝文書
桐野作人
佐多さん、こんばんは。

ネットトラブルだったのですか。そういえば、最近、お名前をお見かけしませんでしたね。

「近世・禰寝文書」紹介有難うございます。
前から見たいと思っていた史料です。
お近が文政11年(1828)生まれだとすると、小松帯刀より7歳年上になりますね。

英国策論
星川 稔
英国策論について、これは英、国策論でしょうか、英国、策論なのでしょうか。原本読んだことないので教えてください。

英国策論
桐野
星川さま
コメント有難うございます。

お尋ねの件ですが、どちらでもかまわないかと。
主体が英国にあるという点が胆で、英国の対日外交論だと考えればよいと思います。

英国の対日外交の目的がどこにあるのかは、ブログの本文を読んでいただければおわかりになると思います。

取り急ぎお答えまで。

コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
こんばんわ。
ここ一年、ネットの具合が悪く接続出来ない状態でした。
ADSLから光へ変更しました次第です。
大河も終わりましたが、近世・禰寢文書(村山知一著)という本に禰寢重永の代からの系譜が詳細に書かれています。於近の生まれた年も記載してあります。確か文政11年ですね。重永は隠居した後に加治木に居住してそこで亡くなっています。強制的に隠居させられたとどこかで聞いたような気がします。鎌田播磨守の女の子供は色々あったのでしょうね。
2009/02/19(Thu) 20:23 | URL  | 佐多 #-[ 編集]
近世・禰寝文書
佐多さん、こんばんは。

ネットトラブルだったのですか。そういえば、最近、お名前をお見かけしませんでしたね。

「近世・禰寝文書」紹介有難うございます。
前から見たいと思っていた史料です。
お近が文政11年(1828)生まれだとすると、小松帯刀より7歳年上になりますね。
2009/02/19(Thu) 22:17 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
英国策論
英国策論について、これは英、国策論でしょうか、英国、策論なのでしょうか。原本読んだことないので教えてください。
2013/07/17(Wed) 19:47 | URL  | 星川 稔 #-[ 編集]
英国策論
星川さま
コメント有難うございます。

お尋ねの件ですが、どちらでもかまわないかと。
主体が英国にあるという点が胆で、英国の対日外交論だと考えればよいと思います。

英国の対日外交の目的がどこにあるのかは、ブログの本文を読んでいただければおわかりになると思います。

取り急ぎお答えまで。
2013/07/18(Thu) 11:18 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。