歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第99回
―洗礼受け、生涯独身貫く―

連載が更新になっていました。
お伝えするのが一日遅れました。

左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

しばらく藩外、県外の人を続けていましたが、今回もそうです。
桐野利秋の京都時代、その恋人だった村田さとのことを書きました。

といっても、彼女がどんな人なのか、伝承以外それほど情報があるわけではありません。
それでも、桐野の日記『京在日記』に頻繁に登場するのはたしかです。
ただ、それもさと個人ではなく、さとの実家である村田屋という煙管店に桐野が頻繁に立ち寄っていることがわかるだけですが。それも二日とあけずですから、かなりお熱だったことがわかります。
桐野はさとの弟伊三郎のことも可愛がっていたようです。

以前、さとの墓を訪ねたことがありました。せっかくなので、記事にしてみようと思いました。
記事にも書いたように、哲学の道の南端にある若王子神社近くから同志社墓地の参道があるのですが、これが雨上がりだったせいもあって、なかなかの難路で、頂上に着いたときは息も切れそうで、汗だらけでした。

途中、「猪注意、刺激を与えないようにして下さい」という看板を見て苦笑。
「刺激を与えるな」といってもどうすればいいんだよと、思わずツッコミ。

そしたら、頂上の墓地には、至るところに土や枯葉を掘り起こした跡がありました。明らかに猪くんの仕業です。看板に偽りなしだったことに妙に納得。

同志社墓地は墓域の一番奥にあります。柵で囲われていました。
そのなかに新島襄・八重夫妻、親戚(八重の兄)の山本覚馬などの墓が。
新島襄






新島襄の墓銘を刻んだのは勝海舟だそうです。
でも、「島」の字、横棒が一本足らないのでは?
山本覚馬は元会津藩士で、戊辰戦争のとき、京都に残り、薩摩藩お預けとなりましたが、山本の学識、見識に薩摩側では驚いて、厚遇したといわれています。明治になって新島夫妻を後見したことで知られています。

それにサプライズだったのは、徳富蘇峰の墓があったことです。
たしか蘇峰の墓は多磨墓地だったかにもあったと思いますが……。
こちらは供養墓なんでしょうか?
蘇峰がクリスチャンだったことは知っていましたが、新島襄から洗礼を受けたのでしょうか?

村田さとの墓は同志社墓地の枠外、手前のほうにありました。
近くに村田名字の墓もありましたが、さとの実家かどうかは確認できませんでした。

さとの墓がとてもきれいで、新しく見えたのに少し違和感がありましたが、大正年間まで生きていたことで納得しました。

桐野と知り合ったことがその生涯に大きな影響を与えたのでしょうが、師のそばで眠っていることは何よりだと思います。
村田家は新島夫妻のスポンサーでもあったようです。さとの家族まで入信していたかどうかはわかりませんが、新島夫妻との親密さを考えると、家族中で入信していた可能性が高いですね。

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【2009/03/08 10:20】 | さつま人国誌
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素人さんに手を出してはいけません!
ばんない
昨日のうちに拝見しておりました。
村田さとさんは気の毒な女性ですね。こちらで言及されましたように新島襄の妻・八重子は会津藩出身で、戊辰戦争のさいに断髪して鉄砲かついで活躍したのは有名な話です。桐野さんのお話によると、村田さんは薩摩藩出身の男性に棄てられて会津藩側の女性に救われる形となったわけですが、何とも皮肉な話だと思いました。村田さんは同志社墓地に墓があり、死ぬまで独身で暮らしていたと言うことを考えると同志社女子学校(現在の同志社女子中学校/高校・女子大学)の職員か何かをしていたのではないかとも思われますが、ちょっと調べた限りではそういう形跡はないようですね。同志社の方にはネットにはUPされていない史料が残っている可能性もありますが。

徳富蘇峰は新島襄の弟子です。熊本バンドというキリスト教系結社を組んだ物の地元から叩き出されるような形になり、キリスト教の縁で新島に預けられます。途中で考え方の相違から同志社は中途退学していますが、最後まで新島には私淑していたようです。

しかし、最近は同志社墓地まで猪出るようになりましたか。そのうち鹿とか猿に襲撃されるのも時間の問題かも知れません。

同志社女子学校
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

村田さとは新島夫妻のうち、やはり同性のよしみで八重夫人との関係が強かったようですから、同志社女子学校に奉職した可能性はありますね。なるほどと思いました。

もっとも、その地は旧薩摩藩邸で、思い人の痕跡が残っている所でもありましたが……。

徳富蘇峰の件、ご教示有難うございます。

鹿、猿もですが、とくに猪に遭遇したらイヤですね。
もしかして、墓のお供え物を狙って出没するんですかね?

村田家末裔です。
浅田遥
はじめまして。私は、村田さと(村田煙管店)の末裔で、女優の浅田遥ともうします。さとさんと桐野さまのお話、また西郷さまのお話、代々村田家で受け継がれております。

また、来年9月公開予定映画「半次郎」にて村田さとも登場します。そして、私もさとの末裔という事で出演しております。

さとさんについて調べていたら、こちらの記事を発見したのでコメントさせていただきました。

はじめまして
桐野
浅田遥さん、こんばんは。

村田さとさんのご子孫の方ですか!!
ようこそ、おいで下さいました。
お家のほうには、さとさんや桐野、西郷など多くの逸話が伝えられているとか。もし機会があれば、うかがいたいものです。
さとさんは同志社大学に勤務されていたのでしょうか?

映画「半次郎」にも出演なさるとか。榎木さんには、お会いしたことがあります。ご活躍お祈りします。
今後ともよろしくお願いします。

桐野作人

お返事が遅くなりました・
浅田遥
村田本家に聞いたところ、さとさんは、同志社には勤務していなかったそうです。ただ、かなり、新島ご夫妻には、よくしていただいていたと聞きました。
また、映画”半次郎”の村田屋のシーンでは、村田家に伝わる煙管をお貸ししたので、本物の幕末に使われていた煙管がセットに使われております。

同志社
桐野
浅田遥さん、こんばんは。

またおいでいただき、有難うございます。
そうですか。さとちゃんは同志社には勤務していなかったのですね。

映画にも出演される由、楽しみにしています。

浅田遥さんこんにちは
村田
はじめまして。山形に住んでいる村田と申します。1718年に村田文六が浅草黒舟町(現在の台東区寿町と蔵前にまたがる旧地名)に創業した村田煙管の末裔ではないかということで調べております。京都の村田煙管について代々語り継がれているご様子ですが、江戸とのつながりが分かればお聞きしたいと思います。黒舟町の村田煙管の場所は高村光雲も「幕末懐古談」に出てきますが、小林信彦著「和菓子屋の息子」には旧日本橋区米沢町(現在の中央区東日本橋一丁目)の村田煙管も出てきます。JR神田駅前にある石福金属興業は1960年代まで煙管を作っていたそうで、ここが最後まで残った村田煙管屋かも知れません。
横から割り込んですみません。場違いかもしれませんがよろしくお願いします。

コメント御礼
桐野
村田さん、はじめまして。

コメント有難うございます。
江戸と京都の村田煙管店がつながりがあるかもしれないとお調べとのこと。
何か成果があればよいですね。

ここにコメントいただいた浅田遥さんはタレントさんのようなので、お返事をいただけるかどうかわからないことをあらかじめお伝えしておきます。
ご了承下さいませ。

No title
村田
桐野さん、申し訳ありません。横レス山形の村田です。
時間の流れがゆったりしたブログのようですので、返事をいただけたら幸運と思って、桃栗3年書き込み8年位の気持ちで待っています。

浅田遥さんのブログ
桐野
村田さん

浅田さんはブログをお持ちのようです。
メッセージも送れるようです。お尋ねになってみてはいかがでしょうか?

http://ameblo.jp/halnei/

No title
村田
桐野様
ありがとうございます。探してみます。
村田

桐野利秋…
雅俊
初めて。桐野利秋のひひ孫になります。上手く言えませが、一度、さとさんのお墓参りをしなくては行けないと思ってます。花束持って行きます。自分で言うのも変ですが、桐野利秋によく似てます。

玄孫
桐野
雅俊さん

玄孫(やしゃご)でいらっしゃるのですか。
さとさんのお墓は山深い所にあり、猪も出るようですから、お気を付け下さい。

いろいろご教示いただければ幸いです。
今後ともよろしく。

桐野作人

桐野利秋の書簡 家族への手紙の解読
ggreen
桐野利秋の家族への手紙の解読について
先日、長野英世氏著 桐野利秋(新人物往来社 昭和47年)
の口絵写真にある桐野利秋の家族への書簡を見つけました。
「宮崎陣中より母と家族にあてたもの。」と書いてあります。
行書、草書の手引き書を買って解読を試みましたが、中途まで完全解読は断念しました。
一部は、解読しました。
若くして死んでゆく桐野が
後に残した年老いた母、若い妻、幼い子供達、家族に対する愛情あふるれる手紙だと感じました。
家族に保護を求めなさいという言葉が随所にでてきます。宛名も母上様、~殿、~どのとなっています。
願わくば、桐野作人先生に完訳をお願いできたらと思います。
そうすれば、家族愛、人間味にあふれる桐野の新しい側面が見えてくると存じます。

桐野書簡
桐野
ggreenさん

ご紹介の本にある書簡、確認しました。
たしかに仰せのとおりですね。
私もその本を所蔵していたのに、うっかりしていました。
そのうち、読んでみたいと思います。

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コメント
この記事へのコメント
素人さんに手を出してはいけません!
昨日のうちに拝見しておりました。
村田さとさんは気の毒な女性ですね。こちらで言及されましたように新島襄の妻・八重子は会津藩出身で、戊辰戦争のさいに断髪して鉄砲かついで活躍したのは有名な話です。桐野さんのお話によると、村田さんは薩摩藩出身の男性に棄てられて会津藩側の女性に救われる形となったわけですが、何とも皮肉な話だと思いました。村田さんは同志社墓地に墓があり、死ぬまで独身で暮らしていたと言うことを考えると同志社女子学校(現在の同志社女子中学校/高校・女子大学)の職員か何かをしていたのではないかとも思われますが、ちょっと調べた限りではそういう形跡はないようですね。同志社の方にはネットにはUPされていない史料が残っている可能性もありますが。

徳富蘇峰は新島襄の弟子です。熊本バンドというキリスト教系結社を組んだ物の地元から叩き出されるような形になり、キリスト教の縁で新島に預けられます。途中で考え方の相違から同志社は中途退学していますが、最後まで新島には私淑していたようです。

しかし、最近は同志社墓地まで猪出るようになりましたか。そのうち鹿とか猿に襲撃されるのも時間の問題かも知れません。
2009/03/08(Sun) 12:49 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
同志社女子学校
ばんないさん、こんばんは。

村田さとは新島夫妻のうち、やはり同性のよしみで八重夫人との関係が強かったようですから、同志社女子学校に奉職した可能性はありますね。なるほどと思いました。

もっとも、その地は旧薩摩藩邸で、思い人の痕跡が残っている所でもありましたが……。

徳富蘇峰の件、ご教示有難うございます。

鹿、猿もですが、とくに猪に遭遇したらイヤですね。
もしかして、墓のお供え物を狙って出没するんですかね?
2009/03/09(Mon) 21:39 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
村田家末裔です。
はじめまして。私は、村田さと(村田煙管店)の末裔で、女優の浅田遥ともうします。さとさんと桐野さまのお話、また西郷さまのお話、代々村田家で受け継がれております。

また、来年9月公開予定映画「半次郎」にて村田さとも登場します。そして、私もさとの末裔という事で出演しております。

さとさんについて調べていたら、こちらの記事を発見したのでコメントさせていただきました。
2009/11/16(Mon) 19:46 | URL  | 浅田遥 #-[ 編集]
はじめまして
浅田遥さん、こんばんは。

村田さとさんのご子孫の方ですか!!
ようこそ、おいで下さいました。
お家のほうには、さとさんや桐野、西郷など多くの逸話が伝えられているとか。もし機会があれば、うかがいたいものです。
さとさんは同志社大学に勤務されていたのでしょうか?

映画「半次郎」にも出演なさるとか。榎木さんには、お会いしたことがあります。ご活躍お祈りします。
今後ともよろしくお願いします。

桐野作人
2009/11/16(Mon) 20:08 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
お返事が遅くなりました・
村田本家に聞いたところ、さとさんは、同志社には勤務していなかったそうです。ただ、かなり、新島ご夫妻には、よくしていただいていたと聞きました。
また、映画”半次郎”の村田屋のシーンでは、村田家に伝わる煙管をお貸ししたので、本物の幕末に使われていた煙管がセットに使われております。
2010/03/15(Mon) 16:02 | URL  | 浅田遥 #-[ 編集]
同志社
浅田遥さん、こんばんは。

またおいでいただき、有難うございます。
そうですか。さとちゃんは同志社には勤務していなかったのですね。

映画にも出演される由、楽しみにしています。
2010/03/16(Tue) 02:14 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
浅田遥さんこんにちは
はじめまして。山形に住んでいる村田と申します。1718年に村田文六が浅草黒舟町(現在の台東区寿町と蔵前にまたがる旧地名)に創業した村田煙管の末裔ではないかということで調べております。京都の村田煙管について代々語り継がれているご様子ですが、江戸とのつながりが分かればお聞きしたいと思います。黒舟町の村田煙管の場所は高村光雲も「幕末懐古談」に出てきますが、小林信彦著「和菓子屋の息子」には旧日本橋区米沢町(現在の中央区東日本橋一丁目)の村田煙管も出てきます。JR神田駅前にある石福金属興業は1960年代まで煙管を作っていたそうで、ここが最後まで残った村田煙管屋かも知れません。
横から割り込んですみません。場違いかもしれませんがよろしくお願いします。
2010/06/26(Sat) 14:48 | URL  | 村田 #/b9LZW6A[ 編集]
コメント御礼
村田さん、はじめまして。

コメント有難うございます。
江戸と京都の村田煙管店がつながりがあるかもしれないとお調べとのこと。
何か成果があればよいですね。

ここにコメントいただいた浅田遥さんはタレントさんのようなので、お返事をいただけるかどうかわからないことをあらかじめお伝えしておきます。
ご了承下さいませ。
2010/06/27(Sun) 15:28 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
No title
桐野さん、申し訳ありません。横レス山形の村田です。
時間の流れがゆったりしたブログのようですので、返事をいただけたら幸運と思って、桃栗3年書き込み8年位の気持ちで待っています。
2010/07/01(Thu) 12:28 | URL  | 村田 #-[ 編集]
浅田遥さんのブログ
村田さん

浅田さんはブログをお持ちのようです。
メッセージも送れるようです。お尋ねになってみてはいかがでしょうか?

http://ameblo.jp/halnei/
2010/07/01(Thu) 12:54 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
No title
桐野様
ありがとうございます。探してみます。
村田
2010/07/01(Thu) 19:58 | URL  | 村田 #-[ 編集]
桐野利秋…
初めて。桐野利秋のひひ孫になります。上手く言えませが、一度、さとさんのお墓参りをしなくては行けないと思ってます。花束持って行きます。自分で言うのも変ですが、桐野利秋によく似てます。
2011/08/23(Tue) 08:10 | URL  | 雅俊 #-[ 編集]
玄孫
雅俊さん

玄孫(やしゃご)でいらっしゃるのですか。
さとさんのお墓は山深い所にあり、猪も出るようですから、お気を付け下さい。

いろいろご教示いただければ幸いです。
今後ともよろしく。

桐野作人
2011/08/23(Tue) 11:38 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
桐野利秋の書簡 家族への手紙の解読
桐野利秋の家族への手紙の解読について
先日、長野英世氏著 桐野利秋(新人物往来社 昭和47年)
の口絵写真にある桐野利秋の家族への書簡を見つけました。
「宮崎陣中より母と家族にあてたもの。」と書いてあります。
行書、草書の手引き書を買って解読を試みましたが、中途まで完全解読は断念しました。
一部は、解読しました。
若くして死んでゆく桐野が
後に残した年老いた母、若い妻、幼い子供達、家族に対する愛情あふるれる手紙だと感じました。
家族に保護を求めなさいという言葉が随所にでてきます。宛名も母上様、~殿、~どのとなっています。
願わくば、桐野作人先生に完訳をお願いできたらと思います。
そうすれば、家族愛、人間味にあふれる桐野の新しい側面が見えてくると存じます。
2011/09/03(Sat) 12:34 | URL  | ggreen #-[ 編集]
桐野書簡
ggreenさん

ご紹介の本にある書簡、確認しました。
たしかに仰せのとおりですね。
私もその本を所蔵していたのに、うっかりしていました。
そのうち、読んでみたいと思います。
2011/09/04(Sun) 06:32 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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