歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第101回
―「南下脱走」企てるも断念―

連載が更新になりました・
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今回は前回の続きです。
町田清次郎がフランスに渡ってからの生活と帰国の様子を書きました。
典拠としたのが清次郎の日記ではなく回顧談のため、時系列がよくわかりません。
フランスに渡ったのはいつで、どれくらい滞在したかもよくわかりません。
おそらく数カ月ではないかと思いますが。

かの策士・モンブラン伯の世話になったというのが興味深いですね。
モンブランは薩摩藩との商社交渉を成立させたかったと思われますので、恩を売ったのでしょう。
大目付の要職にあり、留学生の学頭もつとめる町田久成の末弟の世話はそれにふさわしいものだったと思います。

もっとも、久成もそのことが気懸かりだったようで、ほどなく清次郎は帰国を命じられます。
帰国の船中でのオランダ人少年とその家族との交流は面白いです。
下手をすれば、清次郎はそのままインドネシア、それもオーストラリアに近いパプア・ニューギニアのほうに行ってしまったのではないかと推測されます。

清次郎が長崎に帰ってきたときのいきさつなども面白いのですが、紙数の関係で割愛しました。

それにしても、明治以降の清次郎はどのような仕事をしたのでしょうか?

また回顧談の最後のほうに、清次郎は薩摩平佐領主の北郷主水の養子になる予定だったと書かれています。
この養子縁組は実現したのでしょうか? 実現したら、なぜその後、清次郎は財部名字を名乗っているのか、不勉強のせいで、よくわかりません。
なお、北郷主水はこの連載でも取り上げたことがある小松帯刀の友人、北郷作左衛門久信のことでしょう。かつて書いたことがあります(ここです)。

次回から、島津の琉球侵攻を書く予定です。
なお、4月から同紙の紙面刷新のため、掲載曜日が月曜日に変更になります。
4月6日(月)からです。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2009/03/21 11:02】 | さつま人国誌
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町田清次郎の行方
ばんない
こんにちは。実は町田清次郎の留学については以前ある方がブログで取り上げて興味深く拝見したことがあります。その方の追跡調査に寄れば、その後通訳として活躍したものの、くだんの「征韓論」騒動により辞職、帰郷し、その後今回のネタである回想録を語るまでの約50年が空白のようです。
その後の没年・没地も全く不明のようです…。
ご子孫・親族の方が今回の桐野さんの記事を見て反応して下さるのを期待するしかなさそうです。

平佐北郷家(北郷久信の出身家)については今のところ管見では『川内市史』が一番詳しいと思いますが、これも久信以後については全く触れていません。『「さつま」の姓氏』によると、久信の後はどうも実子が後を嗣いだようで、おそらく実子誕生により養子縁組解消…となったのではと推測されます。
小松帯刀の養子だった町田申四郎も消息未詳ですし、薩摩藩有数の開明派上級藩士の割には、町田家の人々は恵まれてないですね…。


清次郎その後
桐野作人
ばんないさん、こんにちは。

清次郎のその後の履歴が不明なのは、おそらく「征韓論」に関係するのではないかと、私も臆測しておりました。
どうも、西郷方に与した感じですね。洋行経験がありながら、珍しい事例だと思います。門閥家出身ですから、西郷党に与するのはふつうなら考えにくいのですが。
平佐北郷家に養子入りしなかった理由も了解しました。
ご教示有難うございました。

例外
ばんない
こんばんは。

門閥家出身、というかそれよりもっと上の身分かも知れませんが、西郷軍に身を投じて戦死したと言えば島津啓次郎(佐土原藩主子息)がいますね。また、啓次郎も洋行経験があるようですね。アナポリス海軍学校に在籍経験があるとか。


島津啓次郎
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

返事が遅れてすみません。
島津啓次郎、たしかに逸材でしたね。惜しい人物をなくしたものです。
西南戦争で、鹿児島の人材は払底してしまったという説がありましたが(笑)。



ばんない
こんにちは。

啓次郎は家族にはもちろん、当の西郷にも従軍を止められたそうで、まあそれでも最後は押し掛けていったのですが、あまりにも早まった行動が残念でなりません。よほど当時の政府の有りように不満があったのでしょう。島津家出身者で西南戦争に参加したのは彼だけじゃなかったでしょうか。

西南戦争で鹿児島の人材は払底したというのは、修学旅行の時のバスガイドさんの定番の持ちネタだそうですね(苦笑)。一種の自虐ネタのように思いますが。

ところで差し出がましい話なのですが、拙サイト「戦国島津女系図」のアドレスが変わりましたので、お暇なときに変更して下されば幸いです。新アドレスはURL欄に張っております。
お体ご自愛下さい。

リンクのアドレス変更
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

リンクのほうは変更しておきました。
今後ともよろしく。

清次郎の墓
-
こんばんは
鹿児島市在住のものです
町田清次郎は祖先と親から聞いています。
墓にも名前があります。
私の曽祖父にあたるようです。祖父が町田家から今の家に養子としてきたそうです。祖父が養子としてきたのに曽祖父の清次郎がうちのお墓に入っているのか聞いてみたことがないのでわかりません。父より父の兄のオジが詳しく知っているようなのでまた機会があれば聞いておきます。

コメント御礼
桐野
お名前がわかりませんが、はじめまして。

町田清次郎のご子孫にあたる方なのですね。
わざわざコメントいただき、有難うございます。

もし系譜やお墓のことがわかれば、差し支えのない程度にいろいろ教えていただければ幸いです。
個人情報など気にかかることがありましたら、左側のメールフォームをお使い下さいませ。不特定多数に公開するようなことは致しませんので。

今後ともよろしく。

町田清次郎の墓
-
こんばんは
7/6に町田清次郎は曽祖父にあたると書き込みしたものです。
父に確認し、過去帳をみたりしたところ、同姓同名の別人のようでした。
曽祖父があまり過去について話さない人だったようで。うちの町田家が松元の出だということと養子ということで、あの町田清次郎なのではないだろうかと思っていたようでした。
よく確認もせず書き込みして申し訳ありませんでいた。

そうでしたか
桐野
わざわざの調査、有難うございます。
少し見込違いだったようですが、気にしないで下さい。
また何かわかったら、教えて下さいませ。

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この記事へのコメント
町田清次郎の行方
こんにちは。実は町田清次郎の留学については以前ある方がブログで取り上げて興味深く拝見したことがあります。その方の追跡調査に寄れば、その後通訳として活躍したものの、くだんの「征韓論」騒動により辞職、帰郷し、その後今回のネタである回想録を語るまでの約50年が空白のようです。
その後の没年・没地も全く不明のようです…。
ご子孫・親族の方が今回の桐野さんの記事を見て反応して下さるのを期待するしかなさそうです。

平佐北郷家(北郷久信の出身家)については今のところ管見では『川内市史』が一番詳しいと思いますが、これも久信以後については全く触れていません。『「さつま」の姓氏』によると、久信の後はどうも実子が後を嗣いだようで、おそらく実子誕生により養子縁組解消…となったのではと推測されます。
小松帯刀の養子だった町田申四郎も消息未詳ですし、薩摩藩有数の開明派上級藩士の割には、町田家の人々は恵まれてないですね…。
2009/03/21(Sat) 18:17 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
清次郎その後
ばんないさん、こんにちは。

清次郎のその後の履歴が不明なのは、おそらく「征韓論」に関係するのではないかと、私も臆測しておりました。
どうも、西郷方に与した感じですね。洋行経験がありながら、珍しい事例だと思います。門閥家出身ですから、西郷党に与するのはふつうなら考えにくいのですが。
平佐北郷家に養子入りしなかった理由も了解しました。
ご教示有難うございました。
2009/03/23(Mon) 10:29 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
例外
こんばんは。

門閥家出身、というかそれよりもっと上の身分かも知れませんが、西郷軍に身を投じて戦死したと言えば島津啓次郎(佐土原藩主子息)がいますね。また、啓次郎も洋行経験があるようですね。アナポリス海軍学校に在籍経験があるとか。
2009/03/23(Mon) 22:35 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
島津啓次郎
ばんないさん、こんばんは。

返事が遅れてすみません。
島津啓次郎、たしかに逸材でしたね。惜しい人物をなくしたものです。
西南戦争で、鹿児島の人材は払底してしまったという説がありましたが(笑)。
2009/04/03(Fri) 23:33 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
こんにちは。

啓次郎は家族にはもちろん、当の西郷にも従軍を止められたそうで、まあそれでも最後は押し掛けていったのですが、あまりにも早まった行動が残念でなりません。よほど当時の政府の有りように不満があったのでしょう。島津家出身者で西南戦争に参加したのは彼だけじゃなかったでしょうか。

西南戦争で鹿児島の人材は払底したというのは、修学旅行の時のバスガイドさんの定番の持ちネタだそうですね(苦笑)。一種の自虐ネタのように思いますが。

ところで差し出がましい話なのですが、拙サイト「戦国島津女系図」のアドレスが変わりましたので、お暇なときに変更して下されば幸いです。新アドレスはURL欄に張っております。
お体ご自愛下さい。
2009/04/04(Sat) 18:43 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
リンクのアドレス変更
ばんないさん、こんばんは。

リンクのほうは変更しておきました。
今後ともよろしく。
2009/04/06(Mon) 19:25 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
清次郎の墓
こんばんは
鹿児島市在住のものです
町田清次郎は祖先と親から聞いています。
墓にも名前があります。
私の曽祖父にあたるようです。祖父が町田家から今の家に養子としてきたそうです。祖父が養子としてきたのに曽祖父の清次郎がうちのお墓に入っているのか聞いてみたことがないのでわかりません。父より父の兄のオジが詳しく知っているようなのでまた機会があれば聞いておきます。
2009/07/06(Mon) 23:28 | URL  |  #-[ 編集]
コメント御礼
お名前がわかりませんが、はじめまして。

町田清次郎のご子孫にあたる方なのですね。
わざわざコメントいただき、有難うございます。

もし系譜やお墓のことがわかれば、差し支えのない程度にいろいろ教えていただければ幸いです。
個人情報など気にかかることがありましたら、左側のメールフォームをお使い下さいませ。不特定多数に公開するようなことは致しませんので。

今後ともよろしく。
2009/07/07(Tue) 00:06 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
町田清次郎の墓
こんばんは
7/6に町田清次郎は曽祖父にあたると書き込みしたものです。
父に確認し、過去帳をみたりしたところ、同姓同名の別人のようでした。
曽祖父があまり過去について話さない人だったようで。うちの町田家が松元の出だということと養子ということで、あの町田清次郎なのではないだろうかと思っていたようでした。
よく確認もせず書き込みして申し訳ありませんでいた。
2009/07/17(Fri) 21:44 | URL  |  #-[ 編集]
そうでしたか
わざわざの調査、有難うございます。
少し見込違いだったようですが、気にしないで下さい。
また何かわかったら、教えて下さいませ。
2009/07/18(Sat) 21:47 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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