歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第103回
―「隣好」から「与力」へ―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

なお、今回から月曜日連載になります。
月曜日は第2週が休刊になることが多いですが、そのときは連載も休載になります。今後ともご愛顧のほどを。

今回は島津氏の琉球侵攻の2回目です。
前回から後ろに戻った感じで、多少ぐだぐだ感がありますが、個人的にこだわりがあるところでして、複雑でわかりにくいですが、あえて書きました。

それは、豊臣政権服属以前の島津義久時代の薩琉関係はどのようなものだったのかを確認しておきたかったからです。
ひとつわかったことは、旧来の島津本宗家(奥州家)と日新斎以降貴久までの島津家では、薩琉関係は対等だったことです。嘉吉附庸説が否定されるのはもちろんですが、紋船(あやぶね)の派遣も、島津氏当主の代替わりのための派遣というより、足利将軍家への入貢のためだったという説もあります(黒嶋敏「印判・あや船―島津氏関連史料を読む―」 『青山史学』26号)。
貴久以前の島津氏にとって、琉球を服属させることは守護権力の脆弱さや地理的な条件から困難だったと思われます。

ただ、琉球渡航朱印状については、越前の朝倉義景が島津氏の仲介を求めている史料もあることから、ある程度琉球貿易の既得権を保持しているというのが、島津家側の認識だったかもしれません。
しかし、一方で、豊後大友氏が島津氏ではなく、種子島氏を介して琉球貿易をしている形跡もあり、島津氏の排他的な権益というわけではなかったようです。

そして、義久の時代になると、三州統一をなし遂げますが、この島津氏の権力増大が薩琉関係にも次第に影響を与えるようになったと思われます。
それでも儀礼上の上下関係を押し付けるだけでしたが、秀吉に降伏してからは、琉球への豊臣政権の介入を阻止するために、薩琉関係の緊密化、琉球の「与力」化に否応なしに突き進まざるをえなくなります。
今回はそのあたりを書きました。

次回は義久から家久への代替わりと薩琉関係について書くことになりそうです。

なお、次週13日は休刊日ですので休載です。次回掲載は20日(月)になります。お気をつけ下さい。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2009/04/06 19:24】 | さつま人国誌
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朝倉氏の件
NAO4@吟遊詩人
いつも、さつま人国誌、ブログ楽しく拝読させていただいております。

>琉球渡航朱印状については、越前の朝倉義景が島津氏の仲介を求めている史料もある

朝倉氏が、「琉球と交易していた」あるいは「しようとしていた」というのは、面白いお話ですね。

朝倉義景と琉球貿易
桐野作人
NAO4@吟遊詩人さん、こんにちは。

朝倉義景と琉球貿易については、過去にも論じたことがあります。以下をご参照下さい。

http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-63.html

いつも、お教えくださり、ありがとうございます。
NAO4@吟遊詩人
桐野先生
過去ブログお教えくださり、ありがとうございます。
本当は、先のコメントで、出典をお聞きしたかったのですが、これで分かりました。
ありがとうございました。

さつま人国誌、ブログとも、自分が読み始めた時期(恐らく昨年中盤頃)以前を読んでおりませんで、大変失礼いたしました。

朝倉氏の一乗谷遺跡は、20年近く前に行ったことはあるのですが、当時資料館は出来たてて、大変立派な建物だったのを覚えております。(今では大分古びてしまったでしょうか?) しかし、学術的には良い仕事をしているのですね。

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朝倉氏の件
いつも、さつま人国誌、ブログ楽しく拝読させていただいております。

>琉球渡航朱印状については、越前の朝倉義景が島津氏の仲介を求めている史料もある

朝倉氏が、「琉球と交易していた」あるいは「しようとしていた」というのは、面白いお話ですね。
2009/04/08(Wed) 04:23 | URL  | NAO4@吟遊詩人 #laIirjiw[ 編集]
朝倉義景と琉球貿易
NAO4@吟遊詩人さん、こんにちは。

朝倉義景と琉球貿易については、過去にも論じたことがあります。以下をご参照下さい。

http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-63.html
2009/04/08(Wed) 09:43 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
いつも、お教えくださり、ありがとうございます。
桐野先生
過去ブログお教えくださり、ありがとうございます。
本当は、先のコメントで、出典をお聞きしたかったのですが、これで分かりました。
ありがとうございました。

さつま人国誌、ブログとも、自分が読み始めた時期(恐らく昨年中盤頃)以前を読んでおりませんで、大変失礼いたしました。

朝倉氏の一乗谷遺跡は、20年近く前に行ったことはあるのですが、当時資料館は出来たてて、大変立派な建物だったのを覚えております。(今では大分古びてしまったでしょうか?) しかし、学術的には良い仕事をしているのですね。
2009/04/09(Thu) 05:23 | URL  | NAO4@吟遊詩人 #laIirjiw[ 編集]
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