歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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朝5時起き、羽田から鹿児島経由で、お昼頃、徳之島空港に着陸。
鹿児島からの便はプロペラ機かと思ったら、150人は乗れるジェット機だった。
しかも、満員。どうやら3日の闘牛大会に合わせて帰省する人が多いらしい。

徳之島空港は島の西北、天城町にあり、ホテルとシンポ会場は反対の東南の徳之島町にある。
町役場の課長さんに出迎えていただき、ホテルまで運んでもらった。約40分の道のり。
空港で名前の紙を出して待っていますという留守電が入っていたが、着いてみると、長さ5メートルくらいの紙に名前が大書してあって、恥ずかしいやら冷や汗が出るやら。

じつをいうと、徳之島は初めてです。
先月訪問した奄美も初めてでした。
昨夏は種子島を訪れており、最近、南づいています。
こちらに来ると、例外なく開放的になるというか、血が騒ぎますね。
遺伝子的には、こちらに先祖がいたのかもしれません。
島の西側と東側では海の景観が少し違う。
東側=太平洋側に珊瑚礁が多い。
同じ島でも風土や自然の多様性を感じる。

最初に撮影した写真がこれ。
昭和の有名な横綱、朝潮太郎(初代)の銅像というのが何とも。
横綱はこちらの出身でした。
背後の山は井之川岳。
徳之島一の高峰(標高645メートル)です。
朝潮太郎






ホテルに行く途中、亀徳の港に寄ってもらう。
ここが400年前、島津軍と現地島民との間で激戦が展開された秋徳湊である。
近年、大きな案内板が立てられた。
戦いの様子は、案内板をご覧下さい。この戦いが明日のシンポのテーマの一つです。
地名が秋徳から亀徳に変わったのは、奄美に同名の地名があったので、混同を避けるためと、懇親会で教えてもらった。こういう情報は現地でないと、なかなかわからないから、有難い。
秋徳




すぐ近くの高台に秋津神社があるというので、連れて行ってもらった。
現在の亀徳はだいぶ埋め立てられていて、当時はこの神社の下あたりまでが湊だったという。
そして、この神社のあたりに琉球王朝の役所があったという。
もちろん、現在は何の痕跡もない。
秋津神社




徳之島の歴史は恥ずかしながら、ほとんど知らないが、第二次大戦関連の史跡も多い。
一番有名なのが戦艦大和の慰霊碑。
大和は徳之島沖で沈没した。慰霊碑から沈没地点あたりが見えるそうである。
御真影を奉じた奉安殿も残っているそうで驚く。
先月、奄美本島南の加計呂麻島に行ったときも奉安殿が残っていると聞いた。
ほかにも沖永良部島に流される西郷吉之助が一時上陸した史跡もある。

滞在中、これらの史跡が回れるかどうか。

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【2009/05/01 22:08】 | 戦国島津
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いよいよ明日なんですね。
中村太郎
こんばんは。ご無沙汰しております。
4/25~27に徳之島を訪問してきました。
その折、シンポジウムに桐野氏がいらっしゃることを、コーディネーターのY氏からお聞きしました。
Y氏は桐野氏がいらっしゃることを、とても感謝していらっしゃいました。

徳之島(というか、鹿児島の離島へ行ったのは初めてでしたが)は、どこも、とても素晴らしかったです。
桐野氏もいろいろ見学できるとよろしいのですが。

戦艦大和について詳しくないのですが、沈没地点は「徳之島沖」というより、今では「坊の岬沖」というのではないでしょうか。

え、えっ
桐野作人
中村太郎さん、こんばんは。

私より少し前に徳之島に行かれたのですか?
もう、びっくりです。
Y氏にもお会いになったとは……。

はて、中村太郎さんは私の存じ上げている方でしょうか?
もしかして沖永良部島や喜界島にも足を伸ばされたとか。

大和の沈没地点は坊ノ岬沖としているみたいですね。
有難うございます。


ボケてまして、すみません。
中村太郎
旅行ボケが治っていないうえに、連休ボケも重なりまして、失礼いたしました。
「ご無沙汰」は言葉が足りませんで、「コメントが久し振りです。」の意味です。
残念ながら、桐野さまのお姿も「生」で拝見したことはございません。
紛らわしい書き方をいたしまして、誠に申し訳ございませんでした。
しかも2日なのに、1日と勘違いして「明日」などと書き込みしております。本当に失礼申し上げましたが、お許し下さい。
沖永良部島などへは、今回行けませんでしたが、いつか行きたいと思っております。
徳之島の翌日は大口・高熊山などを見学しましたが、帰り道の薩摩永野で西郷菊次郎頌徳碑を、偶然見つけまして、びっくりしました。

大和沈没地点
岩剣石塁
http://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=7pPwyd3Em92WodMX.X3tQn4o9bM8_2cCqu4-

 大和沈没地点につきましては、長崎県男女群島の地名が出てくる事もありますね。地図上で見てみると、ここらしいです。
 いろんな方が沈没地点を記されていて
いらっしゃいますが、同じ緯度経度であるのに
陸地名が諸説あるのがおもしろいですね。

見えませんでした
桐野作人
岩剣石塁さん、こんにちは。

サイトの紹介、有難うございます。
クリックしてみましたが、表示されませんでした。

縮尺
岩剣石塁
すみません。地図の縮尺を変えてみられてください(^^;)

見えました
桐野作人
岩剣石塁さん、こんばんは。

単純な操作をしないでいたようです。
ちゃんと見られました。

たしかに徳之島沖というより、坊ノ岬沖、あるいは五島列島沖といったほうがよいかもしれませんね。

徳之島の慰霊碑に行ったのですが、大きな慰霊の塔が立っているはるか向こうが沈没地点かと思ったのですが、少しずれているかもしれません。

同じ便
4パパ
僕ら夫婦も同じ便で徳之島へ上陸しました。

子供4人連れていたんで もう疲れましたわ。

高熊山
桐野作人
中村太郎さん、こんにちは。

もしかしたらと思っていましたが、お会いしたことはないのですね。
ハンドル名は桐野利秋の従者か、大久保利通の御者か、どちらからか取られたのでしょうね。察するところ、前者か。

高熊山は、私も20年くらい前に取材で行ったことがあります。大河ドラマ「翔ぶが如く」のときでした。
大きな岩にたくさんの弾痕があったのを覚えています。きっとこれもご覧になったようですね。辺見十郎太の石碑があったように記憶しています。
もっとも、ここで一番奮戦したのは熊本隊で、隊長池辺吉十郎などは、薩軍は我らを弾よけに使っていると、辺見の用兵に怒り心頭ですが(笑)。

地元紙によれば、桐野利秋の映画「半次郎」のスタッフも同所にロケハンに行ったようですね。主演の榎木氏の実家の近くですしね。

おお
桐野作人
4パパ さん、はじめまして。

徳之島のご出身でしょうか?
その後、シンポ会場の文化会館か、闘牛会場の東目手久でもすれ違ったかもしれませんね。

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コメント
この記事へのコメント
いよいよ明日なんですね。
こんばんは。ご無沙汰しております。
4/25~27に徳之島を訪問してきました。
その折、シンポジウムに桐野氏がいらっしゃることを、コーディネーターのY氏からお聞きしました。
Y氏は桐野氏がいらっしゃることを、とても感謝していらっしゃいました。

徳之島(というか、鹿児島の離島へ行ったのは初めてでしたが)は、どこも、とても素晴らしかったです。
桐野氏もいろいろ見学できるとよろしいのですが。

戦艦大和について詳しくないのですが、沈没地点は「徳之島沖」というより、今では「坊の岬沖」というのではないでしょうか。
2009/05/02(Sat) 22:12 | URL  | 中村太郎 #-[ 編集]
え、えっ
中村太郎さん、こんばんは。

私より少し前に徳之島に行かれたのですか?
もう、びっくりです。
Y氏にもお会いになったとは……。

はて、中村太郎さんは私の存じ上げている方でしょうか?
もしかして沖永良部島や喜界島にも足を伸ばされたとか。

大和の沈没地点は坊ノ岬沖としているみたいですね。
有難うございます。
2009/05/03(Sun) 23:43 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
ボケてまして、すみません。
旅行ボケが治っていないうえに、連休ボケも重なりまして、失礼いたしました。
「ご無沙汰」は言葉が足りませんで、「コメントが久し振りです。」の意味です。
残念ながら、桐野さまのお姿も「生」で拝見したことはございません。
紛らわしい書き方をいたしまして、誠に申し訳ございませんでした。
しかも2日なのに、1日と勘違いして「明日」などと書き込みしております。本当に失礼申し上げましたが、お許し下さい。
沖永良部島などへは、今回行けませんでしたが、いつか行きたいと思っております。
徳之島の翌日は大口・高熊山などを見学しましたが、帰り道の薩摩永野で西郷菊次郎頌徳碑を、偶然見つけまして、びっくりしました。
2009/05/04(Mon) 00:59 | URL  | 中村太郎 #-[ 編集]
大和沈没地点
http://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=7pPwyd3Em92WodMX.X3tQn4o9bM8_2cCqu4-

 大和沈没地点につきましては、長崎県男女群島の地名が出てくる事もありますね。地図上で見てみると、ここらしいです。
 いろんな方が沈没地点を記されていて
いらっしゃいますが、同じ緯度経度であるのに
陸地名が諸説あるのがおもしろいですね。
2009/05/04(Mon) 09:04 | URL  | 岩剣石塁 #-[ 編集]
見えませんでした
岩剣石塁さん、こんにちは。

サイトの紹介、有難うございます。
クリックしてみましたが、表示されませんでした。
2009/05/04(Mon) 19:06 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
縮尺
すみません。地図の縮尺を変えてみられてください(^^;)
2009/05/04(Mon) 19:35 | URL  | 岩剣石塁 #-[ 編集]
見えました
岩剣石塁さん、こんばんは。

単純な操作をしないでいたようです。
ちゃんと見られました。

たしかに徳之島沖というより、坊ノ岬沖、あるいは五島列島沖といったほうがよいかもしれませんね。

徳之島の慰霊碑に行ったのですが、大きな慰霊の塔が立っているはるか向こうが沈没地点かと思ったのですが、少しずれているかもしれません。
2009/05/04(Mon) 19:59 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
同じ便
僕ら夫婦も同じ便で徳之島へ上陸しました。

子供4人連れていたんで もう疲れましたわ。
2009/05/04(Mon) 21:57 | URL  | 4パパ #-[ 編集]
高熊山
中村太郎さん、こんにちは。

もしかしたらと思っていましたが、お会いしたことはないのですね。
ハンドル名は桐野利秋の従者か、大久保利通の御者か、どちらからか取られたのでしょうね。察するところ、前者か。

高熊山は、私も20年くらい前に取材で行ったことがあります。大河ドラマ「翔ぶが如く」のときでした。
大きな岩にたくさんの弾痕があったのを覚えています。きっとこれもご覧になったようですね。辺見十郎太の石碑があったように記憶しています。
もっとも、ここで一番奮戦したのは熊本隊で、隊長池辺吉十郎などは、薩軍は我らを弾よけに使っていると、辺見の用兵に怒り心頭ですが(笑)。

地元紙によれば、桐野利秋の映画「半次郎」のスタッフも同所にロケハンに行ったようですね。主演の榎木氏の実家の近くですしね。
2009/05/05(Tue) 12:26 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
おお
4パパ さん、はじめまして。

徳之島のご出身でしょうか?
その後、シンポ会場の文化会館か、闘牛会場の東目手久でもすれ違ったかもしれませんね。
2009/05/05(Tue) 12:29 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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