歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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徳之島から今夕帰京しました。

NHK大河ドラマ「天地人」第18回「義の戦士たち」を観ました。
今さら感想を書くのも何なのですが、看過できない点があったもので。

どうなんでしょうか、何回も出てきた魚津城攻めのCG。
決して出来がいいとは思えないものを何度もやる必然性が感じられませんが。
その分の経費を実写の戦闘シーンに回してもよかったのでは。
魚津城の孤立無援ぶりは実写でも表現できると思うのですが。

家老の兼続が単身、織田軍に包囲されている魚津城に使者となるなんて、論外ですね。もちろん、史実ではありません。
老将吉江に「立場を弁えろ」と叱られていましたが、それなら、そんな軽はずみな行動をとるなと叱るべきでしょうに。もし織田軍に見つかって死んだらどうするんでしょう(笑)。
また、魚津籠城の諸将が、自分も残ると言い出した兼続に「情に流されてどうするのだ」と叱っておりましたが、その彼らも降伏せよという景勝の上意に従わず、越後武士の意地を通すと言っておりましたが、これも主君の命に従わない感情論ではないんですかね。
相変わらず、ツッコミどころ満載の脚本です。

兼続が景勝との密談で、越中に出ると見せかけ、北信の織田軍を越後領内に引き入れてから、反転して叩くという「秘策」を決めていましたが、上杉軍にそんな器用な作戦ができるとはとても思えません。
一応、魚津城が落ちると、遠からず境目を突破されてしまうので、景勝は救援に向かわざるをえなかったというのが真相に近く、天神山に滞陣しているとき、北信から森長可の侵入を知らされて、春日山城防衛のために撤退したと見るべきでしょう。このとき、北信に景勝・兼続が出陣した形跡は見られません。実際、北信に出陣したのは信長死後の6月中旬頃ですね。


それより、一番奇異だったのは、備中高松城を水攻めしている秀吉が信長に宛てた書状です。
包紙の宛所がな、なんと、

織田殿

となっておりましたぞ。
これは謙信や信玄など同格の大名の書き方で、家臣の秀吉が書けるものではありません。
何より、秀吉は「上様」である信長に直接書状を出せません。それは主従関係の鉄則といってよい常識です。
もし信長に書状で何か伝えたいとしたら、その側近に宛てます。
このときも実際は、菅屋長頼に宛てたといわれています(『甫庵太閤記』)。

自分が謙信か信玄になったかのように傲岸不遜に振る舞う秀吉がどうして「可愛い奴」なんですかね? 信長って、そんなに寛容でしたっけ?
いやはや、このあたりは書札礼の基本だと思うのですが、目配りが足りませんね。当時の身分秩序や身分意識は丁寧に描いてほしいものです。

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【2009/05/03 23:28】 | 天地人
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お、織田殿・・・
御座候
「披露」だの書札礼などという専門知識がなくても、「織田殿」はあり得ないと脚本家は考えないんですかね?

書状ではなくセリフで用いてみたら、その奇異さに思い至るはずです。

まあ兼続と信長がテーブルを挟んで向かい合って椅子に座っているシーンを描くぐらいですから、不自然とは感じないのかもしれませんが・・・「刀を差した現代劇」ぶりが著しいですね。

様と殿
桐野作人
御座候さん、こんばんは。

仰せの通りで、専門知識はなくても疑問を感じるはずですがねえ。
「上様」とか「上」とでも書いてあったら、まだしもだと思いますが……。

昨今、ある市民がお役所から送られてくる文書類の宛名が「○○様」となっているのはけしからん、「○○殿」とせよと怒ったとかいうエピソードがありますが、現代日本人の感覚として、「様」より「殿」が格上という通念的誤解があることが、斯様な現象を生じさせているのかなという気もしました。
だとすれば、文字どおり、現代的な解釈なんでしょうね(笑)。


じろー三郎
初めまして。いつも拝見させていただいております。
誰も「これおかしいだろ」って気づかなかったんでしょうか。さすがにこれは、細かい考証ミスとは言えない気がします。そもそもが、ラストで取り上げられた魚津の諸将が決死の覚悟を披瀝した書状も兼続宛で、その旨を景勝に披露するように頼んでいるのに・・・・・

考証ミス?
桐野作人
じろー三郎さん、こんばんは。

例の「織田殿」宛て秀吉書状のお粗末ですが、そこまで時代考証の責任ではないのではという気もします。
制作側が単なる美術のアイテムとして勝手に作り、時代考証の先生が関知していなかったかもしれませんしね。

もっとも、時代考証の先生によって、脚本をどの程度チェックするか、精粗があるようにも感じます。
今年は昨年よりも粗っぽいことはたしかだと思いますが。

兼続宛て書状の件はご指摘のとおりだと思います。
魚津籠城衆は主君景勝に直接書状を出せないことは、これからも明らかですね。
そこから、類推すれば、さほど難しくないというのもそのとおりです。
今年のドラマは、とくに軍事や合戦に関して、現代人の素人感覚で製作している印象が拭いきれません。

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お、織田殿・・・
「披露」だの書札礼などという専門知識がなくても、「織田殿」はあり得ないと脚本家は考えないんですかね?

書状ではなくセリフで用いてみたら、その奇異さに思い至るはずです。

まあ兼続と信長がテーブルを挟んで向かい合って椅子に座っているシーンを描くぐらいですから、不自然とは感じないのかもしれませんが・・・「刀を差した現代劇」ぶりが著しいですね。
2009/05/04(Mon) 21:04 | URL  | 御座候 #vWEeux/c[ 編集]
様と殿
御座候さん、こんばんは。

仰せの通りで、専門知識はなくても疑問を感じるはずですがねえ。
「上様」とか「上」とでも書いてあったら、まだしもだと思いますが……。

昨今、ある市民がお役所から送られてくる文書類の宛名が「○○様」となっているのはけしからん、「○○殿」とせよと怒ったとかいうエピソードがありますが、現代日本人の感覚として、「様」より「殿」が格上という通念的誤解があることが、斯様な現象を生じさせているのかなという気もしました。
だとすれば、文字どおり、現代的な解釈なんでしょうね(笑)。
2009/05/04(Mon) 21:33 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
初めまして。いつも拝見させていただいております。
誰も「これおかしいだろ」って気づかなかったんでしょうか。さすがにこれは、細かい考証ミスとは言えない気がします。そもそもが、ラストで取り上げられた魚津の諸将が決死の覚悟を披瀝した書状も兼続宛で、その旨を景勝に披露するように頼んでいるのに・・・・・
2009/05/06(Wed) 16:51 | URL  | じろー三郎 #ei18Z64o[ 編集]
考証ミス?
じろー三郎さん、こんばんは。

例の「織田殿」宛て秀吉書状のお粗末ですが、そこまで時代考証の責任ではないのではという気もします。
制作側が単なる美術のアイテムとして勝手に作り、時代考証の先生が関知していなかったかもしれませんしね。

もっとも、時代考証の先生によって、脚本をどの程度チェックするか、精粗があるようにも感じます。
今年は昨年よりも粗っぽいことはたしかだと思いますが。

兼続宛て書状の件はご指摘のとおりだと思います。
魚津籠城衆は主君景勝に直接書状を出せないことは、これからも明らかですね。
そこから、類推すれば、さほど難しくないというのもそのとおりです。
今年のドラマは、とくに軍事や合戦に関して、現代人の素人感覚で製作している印象が拭いきれません。
2009/05/07(Thu) 00:44 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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2009/05/04(Mon) 03:36:16 |  旅じゃ.com
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