歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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道之島(奄美諸島)のひとつ、徳之島行きのレポートです。

今回の旅行の主な目的は、次の催し物に参加のためです。

【薩摩藩奄美琉球侵攻400年記念事業】
未来への道しるべ

5月2日午後1時半から、徳之島町の文化会館で開かれました。
収容人員は600名。前夜の打ち合わせ会では、主催者側としては半分集まるかと、かなり心配げでしたが、杞憂に終わりました。
立ち見も出るほどたくさんの島民が集まりました。
写真は開演直後のものですが、その後も参加者は増えて、もっと盛況でした。
満員の会場





今回の催しは、表題の趣旨のとおりだが、島津軍の琉球侵攻のなかで、もっとも激戦となった徳之島で開催されたことに意義があり、しかも、奄美・徳之島、琉球、薩摩の三者が集ったことである。

開演は創作舞踊の演舞から始まった。
徳之島の島民が島津軍を迎え撃った秋徳湊の戦いをテーマにしたものである。
創作舞踊





今回の来賓で、もっとも注目を浴びたのは、島津家第32代当主、島津修久(のぶひさ)氏が参加され、挨拶したことでしょう。何といっても、侵攻した側の直系子孫ですから。
ロータリークラブや茶道の裏千家の徳之島会員との交流を兼ねての来島で、挨拶されたときには、会場がどよめき、ストロボがあちこちでたかれました。

基調講演は、弓削政己氏(奄美郷土研究会)。
3月に奄美本島に行ったとき、弓削氏にはいろいろ教えていただき、有難かった。彼とは大学の学部・専攻の先輩・後輩でもある。
弓削氏





弓削氏の講演の中で興味深かったのは、
①徳之島の戦いについて、島津側の史料発掘により、従来の通説の修正が迫られていることがわかったこと。
②島津氏による奄美直轄支配に冊封体制の影響があること。
③奄美諸島の代官支配は少人数であり、それが可能になったのには、奄美の島役人(与人など)を郷士格取り立てによって体制内化したことであり、債務奴隷の家人(ヤンチュ)発生などとも合わせて、島津氏の支配システムを奄美内部の階層構造の変化と関連づけて分析することが不可欠であること。
④近世の黒糖収奪システムの特質として、とくに島民の窮乏化はモノカルチャー経済における著しい不等価交換に基づくものだったこと。たとえば、酒の値段は大坂市場の24倍とか、等々。

ほかにも、調所広郷と島津斉彬の施策の違いとか、明治初年の大島商社についての通説の誤りとか、なかなか面白かったが、時間の関係で、一字名字政策などは割愛されたのが残念だった。

シンポは旧知の吉満庄司氏(徳之島高校教諭、前黎明館学芸員)の司会で、5人のパネリストがそれぞれの立場と視点を述べ、会場からの質問に回答するという形で行われた。
シンポ演壇





シンポ終了後、近くのホテルで懇親会。
こちらも島外、島内からたくさん集まった。
楽しかったのは、何といっても余興である。琉球舞踊や徳之島の踊り、そして最後はみんなで踊った。島津修久さんも踊りの輪に加わっていた。
主催者代表の徳之島町長はアマチュアバンドでサックスを担当していて、その生演奏もあった。
バンド

琉球舞踊





パネリストで琉球側代表だった金城正篤・高良倉吉の琉球大学のお二人。とくに高良氏の著作はよく読んでいた。お二人が三線を弾きながら、楽しく唄ったのには、さすがウチナーの人たちだと感じ入った。
金城・高良





懇親会の二次会もあったが、少々疲れたので、先にホテルに帰った。
長くて濃い一日が過ぎていった。

次回は島内史跡めぐりと闘牛大会を書きます。

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【2009/05/06 23:14】 | 戦国島津
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電羊斎
はじめてコメントさせていただきます。
今回のイベントは本当に感慨深いものがあります。
特に島津さんの来訪は本当にうれしく思いました。

実は私の父も徳之島出身で、私自身は大阪育ちですが、小さなころから島の話を聞いたり、闘牛のビデオを見て育ちました。成長してからはおやじと二人で黒糖焼酎をちびりちびりやっていました。
徳之島は十数年前に一度訪れたきりですが、きれいな海や風景は忘れられません。

今は中国の大連に在住していますが、徳之島人、奄美人の一人として、島のみなさんの健闘を祈りたいと思います。

お疲れさまでした
tsubu
桐野先生、こんにちは。そして、おかえりなさい。
徳之島まで本当にお疲れさまでした。

徳之島での催し物は大変盛況だったようですね。
吉満さんのお名前なども拝見し、とても懐かしく感じました。(鹿児島では随分お世話になりましたので)
弓削政己氏の基調講演で話された、調所広郷と島津斉彬の施策の違いや明治初年の大島商社についての通説の誤り等、とても興味があるテーマですので私も聴きたかったです。

実は私自身奄美諸島には行ったことがなく(実は沖縄も行ったことがありません>_<)、宮崎に住んでいた頃に一度離島巡りをしたいと計画を立てていたのですが、未だ果たせずにおります。
いつも来年こそは! と思っているんですが……。
私事ばかりになりましたが、次回の島内史跡めぐりと闘牛大会のレポを楽しみにしております。

「未来の~」行きたかったです。
中村太郎
シンポジウム大盛況だったとのことで、喜んでおります。
実は、シンポジウム一週間前のお忙しい時に、吉満氏に徳之島島内を案内していただいたのです。
鹿児島では私がお世話になり、お会いしたのも二回だけのお付き合いなんですが。
出席できないので、会場と横幕だけ写真に撮り、チラシをもらって徳之島を離れました。(笑)

斉彬と調所
無名戦士
最近の研究では一般のイメージと違って実は調所よりも斉彬の時代になってからの方が搾取がきつくなっており、西郷も士族の為には他へ犠牲が及ぶことを黙認している資料が出たりしています。しかし砂糖惣買入制を厳しくシステム化するための三島方という役所を作り徹底した管理体制を敷いた調所が、その気になればいくらでも厳しくできる制度を構築したわけで、免罪にはならないと考えます。

大連
桐野作人
電羊斎さん、こんばんは。

大連からのコメント有難うございます。
御父様が徳之島のご出身なのですね。
思い入れもひとしおのことと存じます。

私も大連には行ったことがあります。
中心街のロータリーやヤマトホテルなども見た覚えが。
近くの旅順要塞跡も見学しました。


刊行
桐野作人
tsubuさん、お久しぶりです。

tsubuさんのサイトはとても充実していますから、奄美にも行かれたとばかり思っていました。
吉満さんが異動する前に行かれたほうがいいかも。

講演会とシンポはあとで本にまとめられるそうです。
共催の沖縄大学地域研究所から刊行だと思います。
私も少し書くように言われています(笑)。

よかったですね
桐野作人
中村太郎さん、こんばんは。

吉満さんに島内を案内してもらったようですか。
それは頼もしかったことでしょう。

もしかしたら、どこかでお会いするかもしれませんね。

調所と斉彬
桐野作人
無名戦士さん、はじめまして。

弓削さんも斉彬時代のほうが調所広郷の時代より収奪が激しかったといわれていますね。斉彬の評価も再検討すべきで、「明君」像だけで語るのは一面的だと個人的には思っています。

たしかに三島方のシステムをつくったのは調所ですし、いわゆる天保の財政改革が三島の犠牲の上に成り立っているのも事実だと思います。

ただ、ここでは「免罪」云々の評価はしておりません。念のため、申し添えておきます。

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コメント
この記事へのコメント
はじめてコメントさせていただきます。
今回のイベントは本当に感慨深いものがあります。
特に島津さんの来訪は本当にうれしく思いました。

実は私の父も徳之島出身で、私自身は大阪育ちですが、小さなころから島の話を聞いたり、闘牛のビデオを見て育ちました。成長してからはおやじと二人で黒糖焼酎をちびりちびりやっていました。
徳之島は十数年前に一度訪れたきりですが、きれいな海や風景は忘れられません。

今は中国の大連に在住していますが、徳之島人、奄美人の一人として、島のみなさんの健闘を祈りたいと思います。
2009/05/07(Thu) 15:42 | URL  | 電羊斎 #-[ 編集]
お疲れさまでした
桐野先生、こんにちは。そして、おかえりなさい。
徳之島まで本当にお疲れさまでした。

徳之島での催し物は大変盛況だったようですね。
吉満さんのお名前なども拝見し、とても懐かしく感じました。(鹿児島では随分お世話になりましたので)
弓削政己氏の基調講演で話された、調所広郷と島津斉彬の施策の違いや明治初年の大島商社についての通説の誤り等、とても興味があるテーマですので私も聴きたかったです。

実は私自身奄美諸島には行ったことがなく(実は沖縄も行ったことがありません>_<)、宮崎に住んでいた頃に一度離島巡りをしたいと計画を立てていたのですが、未だ果たせずにおります。
いつも来年こそは! と思っているんですが……。
私事ばかりになりましたが、次回の島内史跡めぐりと闘牛大会のレポを楽しみにしております。
2009/05/07(Thu) 17:40 | URL  | tsubu #CKHio5VI[ 編集]
「未来の~」行きたかったです。
シンポジウム大盛況だったとのことで、喜んでおります。
実は、シンポジウム一週間前のお忙しい時に、吉満氏に徳之島島内を案内していただいたのです。
鹿児島では私がお世話になり、お会いしたのも二回だけのお付き合いなんですが。
出席できないので、会場と横幕だけ写真に撮り、チラシをもらって徳之島を離れました。(笑)
2009/05/07(Thu) 21:49 | URL  | 中村太郎 #-[ 編集]
斉彬と調所
最近の研究では一般のイメージと違って実は調所よりも斉彬の時代になってからの方が搾取がきつくなっており、西郷も士族の為には他へ犠牲が及ぶことを黙認している資料が出たりしています。しかし砂糖惣買入制を厳しくシステム化するための三島方という役所を作り徹底した管理体制を敷いた調所が、その気になればいくらでも厳しくできる制度を構築したわけで、免罪にはならないと考えます。
2009/05/08(Fri) 13:10 | URL  | 無名戦士 #-[ 編集]
大連
電羊斎さん、こんばんは。

大連からのコメント有難うございます。
御父様が徳之島のご出身なのですね。
思い入れもひとしおのことと存じます。

私も大連には行ったことがあります。
中心街のロータリーやヤマトホテルなども見た覚えが。
近くの旅順要塞跡も見学しました。
2009/05/08(Fri) 21:48 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
刊行
tsubuさん、お久しぶりです。

tsubuさんのサイトはとても充実していますから、奄美にも行かれたとばかり思っていました。
吉満さんが異動する前に行かれたほうがいいかも。

講演会とシンポはあとで本にまとめられるそうです。
共催の沖縄大学地域研究所から刊行だと思います。
私も少し書くように言われています(笑)。
2009/05/08(Fri) 21:53 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
よかったですね
中村太郎さん、こんばんは。

吉満さんに島内を案内してもらったようですか。
それは頼もしかったことでしょう。

もしかしたら、どこかでお会いするかもしれませんね。
2009/05/08(Fri) 21:54 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
調所と斉彬
無名戦士さん、はじめまして。

弓削さんも斉彬時代のほうが調所広郷の時代より収奪が激しかったといわれていますね。斉彬の評価も再検討すべきで、「明君」像だけで語るのは一面的だと個人的には思っています。

たしかに三島方のシステムをつくったのは調所ですし、いわゆる天保の財政改革が三島の犠牲の上に成り立っているのも事実だと思います。

ただ、ここでは「免罪」云々の評価はしておりません。念のため、申し添えておきます。
2009/05/08(Fri) 21:57 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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2009/05/07(Thu) 12:35:14 |  与論島クオリア
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