歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第109回
―奄美諸島を17日間で制圧―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回から、いよいよ琉球本島への侵攻が始まります。
ただ、前回の徳之島や沖永良部島のことを追加で書きたかったので、内容的には両者が混在しています。
タイトルは奄美諸島、掲載写真は山北の今帰仁城、と分裂してしまいました。統一するとすれば、

島津軍、今帰仁城を占拠

といったタイトルのほうがよかったかもしれません。

沖永良部島は徳之島よりさらに南にある島で、西郷隆盛の流刑地でも知られています。
当時、まわりはサンゴ礁だらけだったのか、軍船からの上陸は非常に難しいと思われていたのが、意外とあっさりと上陸してしまったため、島民は戦わずして降伏してしまいました。

このときの有名な逸話があります。
島津軍総大将の樺山久高が「一戦にも及ばず馬鹿者共」と罵倒したそうで、その後、上陸地点を「馬鹿尻」と名づけたとか(「琉球入ノ記」)

なお、伊地知季安『南聘紀考』では「馬鹿港」になっています。
これは当地「島尻」の地名が「バー」(粟のできる畑作地帯という意味)と呼ばれていたのをもじったもので、「琉球入ノ記」の脚色だといわれています。
いかにも侮蔑的なこの地名がようやく改められたのは、明治30年(1897)のこと。辺境の冒険家でも知られる笹森儀助が大島島司だったとき、農政家で知られる前田正名の名を取って「正名」と改めたとか。

今帰仁城はかつて訪れたことがあり、今回、そのとき撮影した写真を使いました。来訪当時は世界遺産登録に向けて修復中で、あちこちに青いシートがかかっていたため、撮影に苦労しました。現在の景観は当時と違っているかも知れません。

このときは2日間にわたって、沖縄のグスクめぐりをしました。今帰仁のほか、中城、勝連、具志川、浦添、座喜味、知念、南山、糸数、安慶名、玉城、名護など、たくさんのグスクを見学したのを思い出します。なかでも、今帰仁と名護がいちばん北にあったグスクでした。

とくに今帰仁グスクは、周囲をめぐる城壁が波打つように連なっており、あたかも万里の長城を小さくしたような感じで印象的でした。

次回は首里城が占領されるあたりを書くことになりそうです。

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【2009/05/25 16:48】 | さつま人国誌
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