歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
9、10の両日、上洛した。

某紙が小松帯刀の京都邸について記事にしたいというので、その取材に応じるのが目的だった。
記者はつい最近まで同社の鹿児島支局に勤務していたそうで、私が小松の京都邸について書いているのを見たらしい。

小松の京都邸「御花畑」をどこに比定すべきか、薩長同盟が小松邸で結ばれたかどうか、どのように考えたらよいのかなどを説明したのち、旧近衛殿(同志社大学新町校舎)と近衛家堀川屋敷跡(堀川一条東入ル)を記者と共に回った。

堀川屋敷跡は昨夏建碑したこともあり、私たちが来訪したときも見学者がいた。家主のMさんとも久しぶりにお会いする。

夜は三条木屋町の居酒屋龍馬で、中村武生氏らと久しぶりに旧交を温めた。

今回、養源院にある有名な血天井を見たいと思っていた。
血天井は関ヶ原合戦の前哨戦である伏見城攻防戦で亡くなった鳥居元忠ら徳川方の将兵の血潮が床板に染み込んでいたのを供養のため、天井板にしたもの。
じつをいうと、初めての拝観だった。前から一度訪れたいと思っていたので、ようやく念願がかなった。
養源院





でも、写真撮影禁止だったので、がっかり。
お寺の人にテープによる案内と、鳥居元忠が切腹したとされる場所の血潮のあたりを説明してもらった。ただ、どうして鳥居元忠のものだとわかるのか不思議だった……。

ほかにも、俵屋宗達の象の絵なども鑑賞。
ここに、徳川秀忠だけでなく、十五代の徳川将軍の位牌も安置されていたとは知らなかった。

翌日は鷹峯に出かけた。
前夜、中村氏から鷹峯の御土居堀がかなりよく見えるようになったと聞いたから、少し予定を変更した。じつをいうと、ここの御土居堀は10年ほど前だったか、一度見たことがある。
鷹峯の御土居堀はその北西端の角地にあたる。
隣接した飲食店が撤去されたので、眺望がよくなった。
工事関係者がいたので、許可を得ようとしたが、工事中という理由で、いちばん奧まで入れてもらえず、肝心のL字部分が見えずじまいだった。
下の写真は御土居の断面が見えるところ。
御土居





消化不良のまま、せっかくなので、近隣の史跡を見学。
鷹峯といえば、何といっても本阿弥光悦である。光悦の屋敷跡がお寺になっていたが、拝観できず。
茶屋四郎次郎清次の屋敷跡もあると案内板にあったが、標石も立っておらず、どこだかわからなかった。

すぐ近くに源光庵というお寺があるのを見つけた。
何げに案内板を見ると、何と、ここにも血天井があるではないか。
さっそく見学させてもらう。
ここは撮影OKだった。
本堂のすべての天井が血天井で作られていた。
足跡が鮮明に残っていたのが印象的だった。
源光庵






また、同庵の近くには、寛永の三名妓の一人、島原の二代目吉野太夫ゆかりの常照寺があった。
何年か前の大河ドラマ「武蔵」で、キョンキョンが演じていた。
太夫は天下随一の名妓と呼ばれるほど、あらゆる芸事に通じていたという。
京都の豪商灰屋紹益が吉野大夫に惚れて身請けし、夫婦となった。
お寺の入り口に、紹益が彼女に先立たれて世を儚んだ歌碑がある。

都をば花なき里になしにけり 吉野を死出の山にうつして

ほかにも、境内には彼女の墓、彼女が寄進した朱塗りの吉野門、紹益が彼女を偲んで建てた比翼塚などがある。
また遺芳庵という茶室もあった。その窓が太夫にちなんで吉野窓と呼ばれていて、円形の下部が横に切られていて完全な円ではないのが特徴という。完全ではない、まだ悟りを開いていないという意味とか。
吉野大夫墓
吉野窓




その後、東山に取って返し、阿弥陀ヶ峰の豊国廟を参拝する予定でいたが、折から大粒の雨となった。そのため、あの500段を超える階段を登る覚悟が萎えてしまい、今回は断念した。

それにしても、偶然とはいえ、血天井を2軒も見られたのは僥倖だったかも。

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【2009/06/11 21:44】 | 歴史紀行
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血天井
ばんない
今晩は。中村先生のブログで先に知ったのですが、上洛されていたのですね。光悦寺工事中とは残念でしたね。でもあそこは御庭はともかく建物は余り面白くな(以下自粛)

で、源光庵の近く?にもう一つ正伝寺というお寺がありまして、そこも伏見城の血天井で有名です。一度拝観したのですが、遂この間のように思っていても既にそれから○○年…。

5つの血天井
桐野
ばんないさん、こんばんは。

血天井はなんと、5カ所もあるんですね。
ほかには大原の宝泉院、宇治の興聖寺も。

伏見城はこのときの籠城戦で焼失したはずなんですが、鳥居元忠らが最期を遂げた場所は燃えなかったのでしょうかね? 素朴な疑問です。

血天井
びわこ
桐野さん、こんにちは。

血しぶきの飛んだ材を使いまわしするのは、何か意味があるのでしょうか?
お寺に使われるのは、供養の意味もあってなんでしょうか?

お寺の朱塗りの山門が、実は血しぶきの跡があるから、朱に塗ってわからなくした・・・という話を聞いたことがあるのですが。(もともとは、城門だったのを)

供養?
桐野
びわこさん、こんばんは。

さて、血天井が供養になるのかどうか。
養源院などでは、そのように説明していました。

遺骸がないので、血というか血天井というゆかりのもので代替するのでしょうか?

雑誌記事、拝読しました。
地元だけに、さすがに詳しいですね。
勉強になりました。
よくわかりません。

あやしい血天井
さ〜しゃ
桐野さん、こんにちは。
先日私も養源院へ行ってきました。
鳥居元忠の血潮の跡の説明を聞きましたが、
なぜ彼のものだとわかるのか私も疑問を感じました。
それと伏見城は焼失したと何かの本で読んだ記憶があるのですが、実際はどうなのでしょう。
・・・となると血天井もあやしくなるのでしょうか?

豊国廟も参拝してきました。
天下人だったのに、あんな場所にひっそりと廟があるのかと思うと少し寂しい気持ちになりました。
片道500段以上の階段は間違いなく翌日筋肉痛になりますので
次回お出かけの際はお気をつけ下さいませ。






血天井
桐野
さ〜しゃさん、初めましてだったでしょうか。

養源院を拝観されたのですね。
血天井の真偽はともかく、京都周辺に5カ所も血天井があり、しかも、みな伏見城のものというのが興味深いです。

供養のためだと思いますが、伏見落城はよほど庶民にとっては哀しい出来事だったのでしょうか。その共通する心情は何なのでしょうかね。

ちなみに、別のエントリーで、石田三成の書状を引用しましたが、そのなかに「雑人原踏み荒し」云々という文言があったのが気になっています。
これは籠城方が自害して果てたのち、攻城方の雑兵たちが金目の物を略奪したりしたことを指していると思います。

さ〜しゃさんも養源院で、鮮明な足跡をご覧になったかと思いますが、あれは必ずしも自害した人ではなく、鵜の目鷹の目で獲物を探しまわる攻城方の雑兵のものもあるかもしれませんね。自害した人々の血が床に流れ出ていたでしょうから、素足の雑兵たちがそれを踏んで、足跡をつけた可能性もないとはいいきれません。

豊国廟も登られたんですね。
私も前に登ったことがあるのですが、今回、ちゃんと撮影しようと思っておりました。でも、あいにくの雨で足許が不安だったので断念しました。
筋肉痛が軽くなるように登りたいと思います(笑)。

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血天井
今晩は。中村先生のブログで先に知ったのですが、上洛されていたのですね。光悦寺工事中とは残念でしたね。でもあそこは御庭はともかく建物は余り面白くな(以下自粛)

で、源光庵の近く?にもう一つ正伝寺というお寺がありまして、そこも伏見城の血天井で有名です。一度拝観したのですが、遂この間のように思っていても既にそれから○○年…。
2009/06/11(Thu) 22:44 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
5つの血天井
ばんないさん、こんばんは。

血天井はなんと、5カ所もあるんですね。
ほかには大原の宝泉院、宇治の興聖寺も。

伏見城はこのときの籠城戦で焼失したはずなんですが、鳥居元忠らが最期を遂げた場所は燃えなかったのでしょうかね? 素朴な疑問です。
2009/06/11(Thu) 23:46 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
血天井
桐野さん、こんにちは。

血しぶきの飛んだ材を使いまわしするのは、何か意味があるのでしょうか?
お寺に使われるのは、供養の意味もあってなんでしょうか?

お寺の朱塗りの山門が、実は血しぶきの跡があるから、朱に塗ってわからなくした・・・という話を聞いたことがあるのですが。(もともとは、城門だったのを)
2009/06/12(Fri) 18:36 | URL  | びわこ #-[ 編集]
供養?
びわこさん、こんばんは。

さて、血天井が供養になるのかどうか。
養源院などでは、そのように説明していました。

遺骸がないので、血というか血天井というゆかりのもので代替するのでしょうか?

雑誌記事、拝読しました。
地元だけに、さすがに詳しいですね。
勉強になりました。
よくわかりません。
2009/06/12(Fri) 23:32 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
あやしい血天井
桐野さん、こんにちは。
先日私も養源院へ行ってきました。
鳥居元忠の血潮の跡の説明を聞きましたが、
なぜ彼のものだとわかるのか私も疑問を感じました。
それと伏見城は焼失したと何かの本で読んだ記憶があるのですが、実際はどうなのでしょう。
・・・となると血天井もあやしくなるのでしょうか?

豊国廟も参拝してきました。
天下人だったのに、あんな場所にひっそりと廟があるのかと思うと少し寂しい気持ちになりました。
片道500段以上の階段は間違いなく翌日筋肉痛になりますので
次回お出かけの際はお気をつけ下さいませ。




2009/06/20(Sat) 11:14 | URL  | さ〜しゃ #mQop/nM.[ 編集]
血天井
さ〜しゃさん、初めましてだったでしょうか。

養源院を拝観されたのですね。
血天井の真偽はともかく、京都周辺に5カ所も血天井があり、しかも、みな伏見城のものというのが興味深いです。

供養のためだと思いますが、伏見落城はよほど庶民にとっては哀しい出来事だったのでしょうか。その共通する心情は何なのでしょうかね。

ちなみに、別のエントリーで、石田三成の書状を引用しましたが、そのなかに「雑人原踏み荒し」云々という文言があったのが気になっています。
これは籠城方が自害して果てたのち、攻城方の雑兵たちが金目の物を略奪したりしたことを指していると思います。

さ〜しゃさんも養源院で、鮮明な足跡をご覧になったかと思いますが、あれは必ずしも自害した人ではなく、鵜の目鷹の目で獲物を探しまわる攻城方の雑兵のものもあるかもしれませんね。自害した人々の血が床に流れ出ていたでしょうから、素足の雑兵たちがそれを踏んで、足跡をつけた可能性もないとはいいきれません。

豊国廟も登られたんですね。
私も前に登ったことがあるのですが、今回、ちゃんと撮影しようと思っておりました。でも、あいにくの雨で足許が不安だったので断念しました。
筋肉痛が軽くなるように登りたいと思います(笑)。
2009/06/20(Sat) 20:13 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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