歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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本日は世紀の大イベントのようですが、あいにく天候が悪く、見えない所が多いようですね。

3月、奄美大島を訪れたとき、西郷流謫地としても知られる北部の龍郷町は、皆既日蝕が見られるゾーンで、地元の方からぜひおいでと言われましたが……。
下の写真は、奄美北部のあやまる岬です。海の奧の岬がそれです。新聞記事などによれば、ここでは日蝕が観察できたそうです。
あやまる岬





中近世の史料では、「日食」ではなく「日蝕」と書かれています。
日蝕は旧暦の朔日に現象します。
本日も旧暦の6月1日なのです。

拙著『真説本能寺』や『だれが信長を殺したのか』でも書きましたが、本能寺の変の前日、天正10年(1582)6月1日は、じつは日蝕でした。
蝕分は6(皆既日蝕を10として)だったそうで、おそらく雨ではなかった京都でも見られたと思います。
まさに日蝕のその日、信長が本能寺に祗候した公家衆に、京暦の不十分さを指摘しました。
私はそのことは当日、日蝕だったことと無関係なのかと問題提起したことがあります。
もしかしたら、「王」である信長は自分の身体が日蝕の妖しい光を浴びるのが我慢できなかったのでしょうか? だとすれば、信長は迷信深かったことになるのでしょうか。

中世、天皇も将軍(鎌倉・室町)も日蝕の光を不吉なものとして忌避しました。
宮中女官の日記『御湯殿の上の日記』には、日蝕当日、禁裏御所を菰で巻いたとか、正月節会が日蝕とぶつかったときには、節会を中止したという記事が散見されます。
黒田日出男『王の身体 王の肖像』(平凡社、1993年)に、日蝕と「王」の身体のことが詳しく書かれています。興味のある方はご覧下さい。

信長時代の事例をあげますと、天正3年(1575)4月1日、長篠合戦の50日ほど前のことですが、日蝕が起こりました。宮廷女官の日記『御湯殿の上の日記』には次のように書かれています。

「日しよくにて、ひつしさるまでの時也、御所つゝみあり」
(日蝕にて、未・申までの時也、御所裹(包)みあり)

日蝕が午後2時から4時まで続いたので、禁裏御所の御簾を下ろし、菰で包んだというわけです。

さて、日蝕を忌む習俗はその後もずっと続きました。
幕末宮廷のあれこれを綴った、下橋敬長『幕末の宮廷』(東洋文庫、平凡社)のなかにも、日蝕のとき、御所の庇を巻いたという証言があり、幕末期までこの習俗が続いていたことがわかります。

幕末薩摩藩の史料にもあります。
『忠義公史料一』362号「日蝕参賀被停」には、文久元年(1861)6月1日に日蝕が現象したことが書かれています。

「一、蝕により参賀止めらる」

とあり、朝廷の朔日参賀が中止になっています。
この日の日蝕は蝕分「三分」で、巳の刻(午前10時頃)から巳の半刻まで続いたとありますから、1時間ほど現象したようです。
翌2年11月1日も日蝕で参賀停止になっています。

中世から幕末まで、日蝕は朝廷にとって重要な忌み事だったわけですね。
さて、現代は?

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【2009/07/22 12:51】 | 雑記
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日蝕
伊ヶ内
ひょっとして明智光秀は、日蝕があることが、
織田の世から明智の世に代わる転換点だと
考えて、日蝕の次の日を襲撃の日に選んだかとも
思ったんですが、「だれが信長を殺したのか」
の214ページには挙兵の三日前に至っても
明智光秀が挙兵の決断ができなかった
事実が書いてありますもんね。
結局、突発的行動だったのかなあ、と思ったりします。


光秀と日蝕
桐野
伊ヶ内さん、はじめましてだったでしょうか?

日蝕は意外と起こっていますから、このときだけとくにどうということもないのではと思います。
朝廷はともかく、武家はあまり気にしなかったかもしれませんし。

拙著を読んでいただき、有難うございます。

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この記事へのコメント
日蝕
ひょっとして明智光秀は、日蝕があることが、
織田の世から明智の世に代わる転換点だと
考えて、日蝕の次の日を襲撃の日に選んだかとも
思ったんですが、「だれが信長を殺したのか」
の214ページには挙兵の三日前に至っても
明智光秀が挙兵の決断ができなかった
事実が書いてありますもんね。
結局、突発的行動だったのかなあ、と思ったりします。
2009/07/22(Wed) 19:17 | URL  | 伊ヶ内 #HfMzn2gY[ 編集]
光秀と日蝕
伊ヶ内さん、はじめましてだったでしょうか?

日蝕は意外と起こっていますから、このときだけとくにどうということもないのではと思います。
朝廷はともかく、武家はあまり気にしなかったかもしれませんし。

拙著を読んでいただき、有難うございます。
2009/07/23(Thu) 00:22 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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