歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第117回
―「天下国家不用立」を嘆く―

連載が更新になりました。
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前回告知した新出の小松書簡です。
開運! なんでも鑑定団」に出品された史料です。
あだやおろそかにできない番組ですね。

宛所の堀直太郎(1830~69)は薩摩藩士。その子孫宅に伝来した書簡です。
堀は軍賦役や奥羽追討総督参謀など要職をつとめ、維新後は会計官の職にありましたが、病死しています。ご子孫によれば、肺結核だったそうです。
享年40。若いですね。

もともと右筆、書記畑の人ですから、長生きしていたら、有能な官僚になっていた可能性大ですね。

内容は、大政奉還後、小松の「足痛」が再発して、藩主島津茂久の率兵上京に随行できなくなり、副題のような痛恨の念を書いたものです。

同日に、小松は後藤象二郎にもほぼ同趣旨の書簡を出しています。
藩内、藩外の双方に釈明に追われたわけですね。

後藤や松平春嶽は小松の「足痛」を失脚による仮病ではないかと疑いましたが、それはやはりないと思います。

書簡の日付11月11日は、藩主出立の2日前です。
小松は出立のギリギリまで、回復するかどうかを見極めていましたが、ついに見込みなしと悟って、各方面に随行断念を伝えたわけですね。
仮病説は小松に失礼な臆測だと思います。

それに、小松は翌年1月下旬に上京しました。
そしてすぐさま、維新政府の重職である参与に任じられています。
もし失脚したなら、ありえないことです。
また上京直後、三度「足痛」が再発し、一度は参与就任を固辞して、しばらく養生していますから、仮病でなかったことは明白です。

小松の病気と政局との関わりが知られる貴重な書簡だといえましょう。
ご提供いただいた堀の曾孫貞義氏に感謝です。

次回は話の流れから、堀直太郎について書けないかと思案中です。
あまりまとまった史料がないのですが……。

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【2009/08/03 12:03】 | さつま人国誌
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