
江戸時代、薩摩の少年、ゴンザが漂流してロシアに渡り、露日辞書を完成させたことは鹿児島ではだいぶ知られている。
先日、この話を古文書塾の受講生のみなさんに話した。とくにゴンザが女郎屋を「
ワルカコトスルトコル」(悪かことするところ)と訳したことを紹介したら、大笑いになった。そこで、今回から、ゴンザが編纂した露日辞書(露薩辞書)から面白い言葉を末尾で紹介してみたい。クイズ形式で出題します。翌日に解答を示しますので、とくに鹿児島県外のご出身の方、参加してみて下さい。
その前に、ゴンザのことを少し紹介しておきます。
江戸時代中期、将軍吉宗の治世。
薩摩生まれのゴンザ少年(1718?-1739)は、鹿児島から大坂に向けた船(ワカシワ丸)に乗り込んで出航しました。船には米のほか、藩御用達の絹織物などの貴重品を積んでいました。なぜかといえば、薩摩藩主継豊は将軍吉宗の意向で、竹姫(五代将軍綱吉養女)を娶ることとなったので、そのための結納品を積載していたのです。
将軍家との縁組みは何かと物入りなので、薩摩藩は何とか竹姫との縁談を断ろうとしましたが、吉宗じきじきのお声掛かりで、とうとう断れなくなりました。そうしたいわくつきの縁組みにゴンザの航海は関わっていたわけです。
ところが、途中、船が時化に遭って、ロシア領のカムチャッカ半島に漂流しました。享保十四年(1729)のこと。ときにゴンザ12歳だったそうです。
折からロシアは東進政策を推進していたので、日本人のゴンザらはロシア当局から厚遇され、首都ペテルブルクの科学アカデミーに所属して、露日辞書の編纂を命じられました。ゴンザはロシアの女帝アンナに拝謁しましたが、女帝はゴンザの流暢なロシア語に驚き、日本語学校を設立し、ゴンザをその教師にするよう命じたといわれます。
仲間たちがほとんど死亡するなか、当局の勧めにより、ゴンザ少年は一人で露日辞書を編纂しました(写真参照)。一万数千の語彙を収集して対訳しました。これは世界初の露日辞典でしたが、実質は露日というより露薩辞書といったほうがよいでしょう。ゴンザは故国に帰れぬまま、わずか22歳の若さで異国の地に没しました。
ゴンザはロシアで、デミアン・ポモルツェフと名乗ったそうです。ゴンザが亡くなったとき、ロシア科学アカデミーは異国人ゴンザの功績を称えるために肖像画と石膏像を製作し、それが今日まで伝えられています(冒頭写真参照)。
このゴンザの事績が広く知られるようになり、鹿児島県でも顕彰活動が行われ、鹿児島一の繁華街天文館の一角には、ゴンザ通りも誕生しています。また鹿児島にはゴンザファンクラブも発足し、写真のような会報を刊行するなど活発な活動が行われております。

また、ゴンザの出身地は鹿児島県のどこだったのか、いろいろ調査がされています。ゴンザの露日辞書から、ゴンザが使用した方言の分布も調べられているようですが、まだ特定するには至っていません。
なお、その後の調査により、ゴンザの自署が見つかり、下に左衛門のくずし字があったことから、ゴンザはゴン左衛門、おそらく権左衛門という名前だったと思われます。
ゴンザが編纂した露日辞書は日本語版に翻訳もされており、『新スラヴ日本語辞典』(ナウカ社、1985)として出版されています。
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さて、「
ゴンザの露薩語講座」の始まりです。「
ワルカコトスルトコル」→「女郎屋、遊郭」という形で答えて下さいね。
第1問:
スイチョル?