歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第118回
―不遇の勝海舟と交流も―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は、前回の小松帯刀書簡の宛所となった堀直太郎(1830~69)を取り上げました。
1回では書ききれなかったので、次回も書く予定です。上下か上中下になるかは未定です。

堀直太郎といっても、ほとんど知られていませんが、西郷や大久保とほぼ同世代の人で、家柄も同じ御小姓与でしょう。精忠組には加盟していないと思います。若い頃から藩政中枢近くにおり、むしろ出世は早いほうだと思います。

堀の履歴で少し疑問に思ったのは、軍賦役への就任時期です。
略伝などによれば、文久3年(1863)、薩英戦争前に任命されています。

しかし、軍賦役は二度目の島流し(元治元年)から帰還した西郷が任命されたり、ほかにも伊地知正治や黒田嘉右衛門(清綱)なども任命されていることを考えると、堀の就任は時期が早い気がします。その後、堀は江戸留守居の補佐役(添役か)になりますが、軍賦役よりは低い役職のように思われます。
とすれば、堀の軍賦役就任は慶応末年くらいではないかなと推測していますが、史料がなくてよくわかりません。

堀と親しい人物の一人は勝海舟です。海舟の日記慶応元年条には堀の名前が何度も出てきます。
堀が平右衛門から直太郎に改名した時期がわかる記述もあることから、両者が相当親しい関係にあったことがわかります。

次回は、慶応3年(1867)前後の堀について書く予定です。

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【2009/08/10 18:03】 | さつま人国誌
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2009/08/13(Thu) 21:37 |   |  #[ 編集]
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