歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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昨8日夜、小学館アカデミー「てらこや」特別講座「小松帯刀と幕末薩摩藩7」第4回に出講。

前回、薩土盟約の中身を「船中八策」との対比で検討したが、今回は薩土盟約の背景や意義についてまず検討した。西郷吉之助が土佐藩から薩土盟約を呼びかけられて「渡りに船の心地がした」という感想を洩らしていることから、薩摩藩は積極的に薩土盟約に賛成していたことなどを述べる。
またその理由として、薩摩藩は土佐藩の大政奉還建白を幕府が拒絶すると確信しており、その拒絶を契機に、すでに固めていた武力挙兵方針の大義名分を得るためだったことも確認。

とくに薩摩藩が路線の異なる土佐藩と提携した理由について、従来の通説だった二股論(武力倒幕と平和的大政奉還)が批判されていることなどを、家近良樹氏の著書を紹介する形で見ていった。

それから、西郷が長州藩の柏村数馬・御堀耕助に披露した「三都一時事を挙げ候策略」=三都同時挙兵計画について、柏村の日記を読む。
西郷は三都同時挙兵して、京都と大坂城を制圧しても、「討幕は仕らず」と述べていることから、西郷の考える「討幕」とは何なのかを述べる。

また、「討幕」「倒幕」といった用語のもつイメージがじつは誤解や混乱を与えているのではないかとか、史料用語と研究者の概念規定の違いなどにも言及。
倒幕」が平和的大政奉還も含む、幕府制度一般の廃止と定義するなら、「」の字が武力行使をイメージさせるから、研究用語してはあまりふさわしくないのではないかという話をした。
そしたら、受講者から「廃幕」ならどうかという提案があり、なるほどと思った。この用語なら、土佐藩の大政奉還路線も薩摩藩の武力挙兵路線もともに「廃幕」論として括ることができ、大政奉還論と武力倒幕の対立といった、不毛で誤解に満ちた俗流歴史観からも解放されるかもしれない。

まったくの余談だが、紹介した越前藩の『続再夢紀事』慶応3年7月16日条に、五山の送り火を見物した記事があって興味深かった。
越前藩邸はおそらく賀茂川の東、聖護院村の熊野神社南にある屋敷が該当するだろうか? ほかにもあるかもしれないが。しかも、三階から見物したとあるから、越前藩邸は三階建ての建物があったことになる。当時としては珍しいのではないか。

じつは、以前私の新聞連載で紹介したことがあるが、薩摩藩も同日に小松・西郷・大久保・町田久成など在京重役が小松邸二階に集まって、送り火を見物している(ここです)。
薩摩、越前の両藩士たちが期せずして送り火を見上げている光景を想像すれば面白い。ほかにも幕府方とか、土佐藩なども見物していたかもしれない。

それで、肝心の送り火だが、次のように記されている。

「今夜は如意ヶ嶽に大の字、加茂山に船、西山にきせる、左の字等を顕はせるゆゑ、三階にて御見物」

東山の如意ヶ嶽の大文字が一番有名だが、加茂山は西賀茂船山の船形だろう。
西山は「きせる」とある。西山は「妙」の松ヶ崎西山(同東山の「法」と合わせて「妙法」)のことだろうが、「きせる」って何だ。意味がよくわからないが、当時は煙管の火形でも浮かび上がったのだろうか?
また鳥居形のことが書かれていないのは、当時はなかったということか?
「左の字」とは大北山の左大文字のことか?

京都の夏の風物詩は幕末でもほぼ同様だったことがわかるが、多少形には変遷があるのかもしれないと感じた。詳しい方がおいでなら、教えて下さい。

次回は今期の最終回です。
薩摩藩内討幕反対派の動向を中心に見ていく予定です。

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【2009/09/09 15:16】 | てらこや
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きせる
中村武生
いつもお世話になっております。

お役にたつか、わかりませんが。ひとつ知っていることがあったので。

 京都の郷土史家にして、おそらくいま京都の俗話のほとんどを現代人に周知させたといっていい田中緑紅(1891-1969)の著書に、関連の記載がありました。
 
 「大文字」の文字には、現存するもの以外にもいくつかあったと紹介した部分で、人から聞いた話として、

「もう一つ「竹の先きの鈴」を見たと云う人がありますが、或は煙管ではなかったかとも云はれ、西山だ、四条、五条から真西に見えたと云う方もありますが、どの地図にも記録もありませず全く夢の様な話で松尾辺の人も知らぬと云い、最近老ノ坂だと云う人がありますが真偽不明であります」
(『京の送火 大文字』緑紅叢書4、京を語る会、1957年、26ページ)

 田中緑紅も『続再夢紀事』の記事を知っていたら、喜んだと思います。

田中緑紅
桐野
中村武生さん、こんばんは。

やはり、「きせる」の送り火もあったんですね。
どんな形なのか、気になります。
送り火はそれぞれ仏教にちなんだ意味があるんでしょうね。
「大」は大日如来?
「妙法」は法華経。
「船形」は西方浄土をめざす船でしょうか?
「鳥居形」は神仏混淆の名残か?

でも、「きせる」に宗教的な意味はあるんでしょうかね?

田中緑紅なる人物、不勉強で知りませんでした。
ご教示感謝です。
今後、注意しておきます。

取り急ぎ御礼まで。



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きせる
いつもお世話になっております。

お役にたつか、わかりませんが。ひとつ知っていることがあったので。

 京都の郷土史家にして、おそらくいま京都の俗話のほとんどを現代人に周知させたといっていい田中緑紅(1891-1969)の著書に、関連の記載がありました。
 
 「大文字」の文字には、現存するもの以外にもいくつかあったと紹介した部分で、人から聞いた話として、

「もう一つ「竹の先きの鈴」を見たと云う人がありますが、或は煙管ではなかったかとも云はれ、西山だ、四条、五条から真西に見えたと云う方もありますが、どの地図にも記録もありませず全く夢の様な話で松尾辺の人も知らぬと云い、最近老ノ坂だと云う人がありますが真偽不明であります」
(『京の送火 大文字』緑紅叢書4、京を語る会、1957年、26ページ)

 田中緑紅も『続再夢紀事』の記事を知っていたら、喜んだと思います。
2009/09/09(Wed) 18:29 | URL  | 中村武生 #-[ 編集]
田中緑紅
中村武生さん、こんばんは。

やはり、「きせる」の送り火もあったんですね。
どんな形なのか、気になります。
送り火はそれぞれ仏教にちなんだ意味があるんでしょうね。
「大」は大日如来?
「妙法」は法華経。
「船形」は西方浄土をめざす船でしょうか?
「鳥居形」は神仏混淆の名残か?

でも、「きせる」に宗教的な意味はあるんでしょうかね?

田中緑紅なる人物、不勉強で知りませんでした。
ご教示感謝です。
今後、注意しておきます。

取り急ぎ御礼まで。

2009/09/09(Wed) 21:39 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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