歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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小学館アカデミー「てらこや」特別講座「小松帯刀と幕末薩摩藩7」第5回

昨15日夜、上記講座に出講。
今期の最終回。
タイトルは表題のとおり。

前から一度きちんとやっておきたかったテーマだったので、史料も揃えた。
四侯会議解体後、久光の意向もあって、小松・西郷・大久保(ほかに伊地知正治・吉井幸輔ら)を中心に、武力挙兵派(いわゆる討幕派)が成立する。

それに対して、反対派や自重派も自然と形成された。土佐藩の寺村左膳は、薩摩藩の内情を「国論二分」と書いている。
家老の関山糺、もと精忠組の高崎左京、奈良原繁などが中心的人物。
それらは島津家一門、家老や大目付など藩三役、精忠組、京都留守居役など幅広く構成されていた。

なかでも、高崎左京(正風)は土佐の後藤象二郎と連携して、薩摩藩の武力挙兵派の説得や切り崩しにあたり、そのターゲットを小松に定めて、連日の訪問攻勢をかけたため、小松は音をあげて「妾宅」に引きこもる。
八・一八政変でも活躍した高崎の政治力はなかなかのものだったと思われる。

また西郷を刺し殺すと豪語する奈良原とか、「小松を討て討て」と叫ぶ関山とか、個性的な人物がそろっているのも面白い。

史料は『寺村左膳手記』『道島家記』『高崎正風先生伝記』『新納立夫日記』『野村盛秀日記』などを読み込む。活字化されていないのがほとんどだったが、なかなか面白い内容だった。
討幕の密勅は、藩内で無視できない勢力になっていた討幕反対派・自重派の鎮撫のために必要だったことがよく理解できる。

なお、反対派・自重派といっても、土佐藩の大政奉還路線を支持する勢力や旧来の保守派などが混在しているように思われる。
高崎は後藤象二郎との連携や将軍慶喜の大政奉還を聞いて「よろこびにたへず」という感想を述べていることから、大政奉還支持派だと思われる。ほかにも町田久成、中井弘なども同派だろう。

また、京都留守居役の内田仲之助と新納立夫は、とくに新納が大久保の親戚であることから、反対派というより自重派だと思われる。また小松との関係も深く、趣意書(おそらく挙兵の自重を求めるもの)を提出して、あくまで議論によって結論を出そうという穏健派である。
彼らは小松から「主人本意」(久光の真意の意か)を聞かされている。小松の話しぶりでは長州藩と連携しての挙兵を久光が容認していた節があり、それを聞かされて、小松らに傾斜した可能性がありそうだ。

先に書いた小松が「妾宅」に逃げ込んだ一件。
ふつうは京都妻・お琴がいる「御花畑」だと想定されるだろうが、そうではなく、もうひとつの別邸の可能性に触れた。そちらにはもう一人の京都妻・祢政(於政か)がいたのではないかという話をした。

その別宅に小松が逃げ込んだ理由のひとつに、お琴が妊娠中で実家に戻っていた可能性を指摘したけれど、ほかにも別の理由があるかもしれないと、あとで思いあたった。
その時期、久光三男の島津珍彦(重富家当主)も在京している。珍彦は久光の名代。その格式にふさわしい宿所が必要だから、小松が自分の宿舎である「御花畑」を珍彦に譲っていたかもしれない。
同年暮れの王政復古政変の頃、小松が病気のため、国許にいたとき、珍彦が「御花畑」に滞在している事例もある。

反対派・自重派の動きや考え方がもっとよくわかる史料があればと感じた。

次期シリーズは10月20日(火)から始まります(全5回)。
次いで、11/10,11/17,11/24,12/15
が開講日。すべて火曜日です。
メニューは次のテーマを予定しています。

①薩長芸挙兵計画の挫折(失機改図)
②大政奉還と小松帯刀
③討幕の密勅見合わせ
④龍馬暗殺(近江屋事件)とその波紋
⑤王政復古政変


あと、赤松小三郎暗殺事件も取り上げたいですが……。

幕末維新のハイライトを取り上げます。
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【2009/09/16 16:46】 | てらこや
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