歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第123回
―関ヶ原で勇名をはせる―

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今回は山田昌巌を取り上げました。
私の郷里では一番の有名人です。

子どもの頃は名前だけはよく知っていましたが、どういう経歴をもち、何をした人なのか、当然ながらよく知りませんでした。
ただ、ある逸話だけはよく覚えています。
昌巌が地頭として出水に赴任してきたとき、地元の武士団(衆中)が歓迎の宴席で、吸物の椀を出したので、蓋を取ると、カエル煮が入っていたそうな。でも、昌巌はあわてず騒がず、平然とそのカエルを食べてしまったので、地頭の驚く顔を見たかった衆中たちのあてがはずれてしまったという。

その話には後日談があります。
後日、昌巌がお返しの宴席を設けた。すると、吸物の椀がある。
衆中たちが仕返しをされるのかと恐々と蓋を開けると、何と、汁の中に針が沈んでいる。
カエルと違って食べるわけにはいかない。衆中たちは昌巌の仕返しに降参したというような話……。

この逸話は昌巌の「偉さ」を述べたものだと聞かされたが、私は子ども心に違和感があった。
カエルなら、おふざけか座興で済むが、針はそうはいかない。
もし恐いもの知らずで負けず嫌いの衆中がいて、針を飲み込んでしまったなら、昌巌はどうするつもりだったのか?
あっぱれと褒めるのか、たとえ死んでも……。
それとも、あわてて針を喉から取り出せば、もはや座興ではなくなってしまう。

私はとても「偉い」人のやることじゃないと思った。むしろ、大人気ないのではと……。

とまあ、そんな昔のことを思い出しながら、書きました。
とくに関ヶ原合戦での昌巌の武功はあまり知られていないと思います。

昌巌が他界したのは寛文8年(1668)。
じつに、関ヶ原合戦から70年近く経っています。すでに4代将軍家綱の治世です。
関ヶ原合戦に参陣した将兵で、昌巌はほとんど最後の一人だったかもしれないですね。
関ヶ原合戦の参陣者で生き残り長生きした人で、たとえば、島津家中の中馬大蔵、あるいは細川忠興などが後世の人々から体験談を語るよう依頼されたという逸話は残っていますが、昌巌ほど長生きした人はさすがに聞いたことがありません。

昌巌は義久―義弘―家久―光久という主君に仕えたわけですが、一度も失脚していません。
そして老中にまで上りつめています。いわば不倒翁といっても過言ではありません。豪放磊落に見えて、戦国大名から近世大名へと変身する過渡期の島津家中で、複雑かつ熾烈な内部闘争を生き抜いたことになり、なかなか怜悧な処世術をもっていたともいえそうです。
もっとも、紙面の関係でそのようなことは書けませんでした。

次回も戦国方面の話題を書く予定です。

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【2009/10/05 21:27】 | さつま人国誌
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