歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
日次記です。

10月28日(水)天晴れ
午後から三鷹のサテライトキャンパスで、武蔵野大学市民講座「信長記を読む」に出講。
第2回で、演題は「『器用の仁』織田信秀の活躍と死、『大うつけ』信長の登場」

今回から、本文に入る。テキストは角川文庫(陽明本)。
信秀の「憑み勢」の意味とか、美濃や三河での戦い、斎藤道三との和睦と信長・帰蝶の縁組など、関連史料を使いながら話す。
最後に、信秀の没年についての諸説を検討し、天文21年(1552)でよいのではないかと結論した。
先日紹介した金子拓氏の新刊も受講者のみなさんに紹介した。

帰路、少し遠い駅で降りて、歩いて帰宅。2キロ近く歩いたが、少しも汗ばまなかった。涼しくなったものである。


29日(木)天晴れ
午後から明治大学駿河台キャンパスで、リバティ講座「歴史を動かした男 坂本龍馬の生涯と死」を受講。
先日、京都でお会いした宮川禎一さん(京都国立博物館)が講師だったので、ぜひに聴講したいと、事務局にお願いしていた。
中央線に人身事故があり、だいぶ混乱していたので、総武線の各停で向かう。

演題は「薩長同盟前夜に書かれた龍馬書簡を読み解く

これまで慶応3年(1867)に年次比定されていた姪っ子春猪宛て龍馬書簡を同2年に比定しなおしたところに独自性がある。
これにより、この書簡に強くにじみ出ている龍馬の異様なテンションの高さが、薩長同盟締結前夜の昂揚感やもろもろのストレス、風邪などによるものだという解釈を成立させた。

冒頭に、龍馬の手紙の解読は「歴史の問題」ではあるが、その前に「国語の問題」だと強調された。とくに土佐の方言などが使われており、その難解さは目立つ。
また、末尾に遺書めいた一節があり、これを書くのが大きな目的だったが、それを正面に据えて書くわけにいかず、「いじられ」キャラの春猪を思い切りいじったあと、最後に付け加えたのではないかという説明も面白かった。

当時の交通事情、郵便事情とも関わるが、書簡が目的地に届けられるにあたって、船便などの都合で、龍馬は一族縁者や友人などにまとめて手紙を書いていたという説明は、個人的に面白かった。
私も小松帯刀の書簡を読んでいて、同様のことを感じたからである。小松も限られた船便を有効に活用するため、藩の重役や大久保宛ての公務の書簡を何通も書き、妻お近宛ての書簡も一緒に送るということをしている。

講座終了後、構内のピロティや外の喫茶店で、共通の友人であるM川さんと3人で長く談じ込んだ。とても楽しい一時だった。

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【2009/10/29 23:19】 | 日次記
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