歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第128回
―「今弁慶」義弘に殉死す―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回も関ヶ原の続きです。
木脇祐秀は前から紹介したかった人物でした。
ようやく果たせてよかったです。

分量の関係で書けませんでしたが、木脇は殉死したとき、他の殉死者すべてを介錯してから、最後、一人になって、岩のはざまに刀の柄を差し(つまり、刃を上向きにして)、そこに自分の体を突き刺して果てたそうです(『薩藩旧伝集』)。凄絶な最期ですね。

もうひとつ。義弘への殉死については、島津家久が禁止する旨をあらかじめ布告していたそうですが、木脇らはそれを無視して決行したため、殉死者はすべて知行を剥奪されました。家久の怒りのほどが知れます。名誉回復にはだいぶ時間がかかったようです。

なお、記事では木脇の墓しか紹介できませんでしたが、旧妙円寺(現・徳重神社)にある13人の殉死者の墓を載せておきます。木脇のはいちばん右奧です。
木脇





次回は、関ヶ原シリーズの最後として、新納旅庵を取り上げます。
旅庵は義弘主従とはぐれて東軍方の捕虜となってしまいました。
次回はこのはぐれ組の代表として、旅庵を紹介したいと思います。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2009/11/16 22:33】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |

木脇祐秀のヨミのご訂正願います
木脇祐秀 本系末裔 ひろみ
はじめまして、木脇祐秀の末裔のひろみと申します。
今年は先祖の祐秀没後390年になります。
その折に、こうしてご紹介いただけることは有り難いと思っております。
ただ1点ご指摘申し上げます。
木脇祐秀のヨミは「ノ」が入ります。
土地の字から木脇(きわき)と名乗られておいでの方々とは異なります。故に「ノ」を入れていただきたくご指摘申し上げます。
【正】キノワキ スケヒデ
【誤】キワキ  スケヒデ

私は、東京に在住ですが、今年9月には、加治木町の椿窓寺の祐秀の墓参りと、同町の文化財課と資料館にも訪問しました。そして鹿児島大学の先生方に除籍謄本や各文献から木脇祐秀の末裔であることは、既にご確認いただいております。
10月には再訪鹿をして、妙円寺詣りを学舎の方々にお加えいただき、雨ですが参加しました。私も祐秀の地蔵塔に手を合わせてきました。
現在、当家の木脇家の調査をしておりますが、幕末の先祖も、小松帯刀と海軍の専門家として交流をしておりました。
その時代を興味深く追っているところです。

「膏肓記」管理人様のますますのご活躍をお祈りしております。

本日は1点ヨミのご指摘申し上げました。

御礼
桐野
ひろみさん、はじめまして。

木脇祐秀のご子孫から、わざわざコメントいただき有難うございます。

「きのわき」読みのご指摘、有難うございました。
私も以前、何かの史料で、その読みを見た覚えがあるのですが、探せ出せずにおりました。

拙稿は単行本予定になっております。
そのときには「きのわき」と訂正して掲載したいと思います。

鹿児島大学の丹羽先生は存じ上げております。
先生が刊行された「薩摩藩文化官僚の幕末・明治」のなかの木脇啓四郎は祐秀の子孫で、ひろみさんのご先祖にあたるのでしょうか?

今後とも、祐秀について、ご教示いただければ幸いです。

桐野作人

木脇祐秀の先祖について
木脇祐秀 本系末裔 ひろみ
桐野作人様

早速に、ヨミのご指摘に応じてくださり有難うございます。
木脇祐秀の末裔のひろみです。
ご質問の件について説明申し上げます。

鹿大の先生については、おっしゃる方です。
結論から申します。
啓四郎さんは木脇祐秀の子孫ではありません。
故に私の先祖でもありません。
『本藩人物誌』をご覧いただければ、ご理解いただけると思いますが、木脇の祖の祐頼の嫡流である木脇祐利からの流れが、木脇祐秀となります。それが私の先祖です。
啓四郎さんの本家の方について本藩人物誌において、祐兄という人物がはじめに出てきます。「薩摩藩文化官僚の幕末・明治」の略系図P278~279をご覧くださると、啓四郎さんは、祐兄系の本家から分かれる二男家となります。
祐兄系は途中、伊東家に養子に入っておりますから、啓四郎さんの先祖の途中は伊東となります。
詳しくは、『本藩人物誌』、『薩摩藩文化官僚の幕末・明治』をご覧いただくほうが分かりやすいでしょう。
ここでは、こみいる話ができませんので、文献のお知らせまでとなります。
また、木脇祐秀の父は、肥後の花山城で討ち死にした木脇祐昌ですが、啓四郎さんの先祖にも同じ名前が出てきますが、別人です。
ここはしっかり押さえてておく必要があります。
間違えやすいところですので、要注意です。

まとまりない回答となってしまいました。
影響力のある方と拝察いたします。
是非、本藩人物誌や諸家大概をご覧いただいて、正確な史実、文献に基づいた上で、木脇祐秀についてご紹介いただけますよう、お願い申し上げます。

現在、木脇家の先祖調査のために、東京大学史料編纂所の先生とも、新たにコンタクトをとっているところです。



コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
木脇祐秀のヨミのご訂正願います
はじめまして、木脇祐秀の末裔のひろみと申します。
今年は先祖の祐秀没後390年になります。
その折に、こうしてご紹介いただけることは有り難いと思っております。
ただ1点ご指摘申し上げます。
木脇祐秀のヨミは「ノ」が入ります。
土地の字から木脇(きわき)と名乗られておいでの方々とは異なります。故に「ノ」を入れていただきたくご指摘申し上げます。
【正】キノワキ スケヒデ
【誤】キワキ  スケヒデ

私は、東京に在住ですが、今年9月には、加治木町の椿窓寺の祐秀の墓参りと、同町の文化財課と資料館にも訪問しました。そして鹿児島大学の先生方に除籍謄本や各文献から木脇祐秀の末裔であることは、既にご確認いただいております。
10月には再訪鹿をして、妙円寺詣りを学舎の方々にお加えいただき、雨ですが参加しました。私も祐秀の地蔵塔に手を合わせてきました。
現在、当家の木脇家の調査をしておりますが、幕末の先祖も、小松帯刀と海軍の専門家として交流をしておりました。
その時代を興味深く追っているところです。

「膏肓記」管理人様のますますのご活躍をお祈りしております。

本日は1点ヨミのご指摘申し上げました。
2009/11/17(Tue) 19:40 | URL  | 木脇祐秀 本系末裔 ひろみ #b4KkypSA[ 編集]
御礼
ひろみさん、はじめまして。

木脇祐秀のご子孫から、わざわざコメントいただき有難うございます。

「きのわき」読みのご指摘、有難うございました。
私も以前、何かの史料で、その読みを見た覚えがあるのですが、探せ出せずにおりました。

拙稿は単行本予定になっております。
そのときには「きのわき」と訂正して掲載したいと思います。

鹿児島大学の丹羽先生は存じ上げております。
先生が刊行された「薩摩藩文化官僚の幕末・明治」のなかの木脇啓四郎は祐秀の子孫で、ひろみさんのご先祖にあたるのでしょうか?

今後とも、祐秀について、ご教示いただければ幸いです。

桐野作人
2009/11/18(Wed) 10:19 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
木脇祐秀の先祖について
桐野作人様

早速に、ヨミのご指摘に応じてくださり有難うございます。
木脇祐秀の末裔のひろみです。
ご質問の件について説明申し上げます。

鹿大の先生については、おっしゃる方です。
結論から申します。
啓四郎さんは木脇祐秀の子孫ではありません。
故に私の先祖でもありません。
『本藩人物誌』をご覧いただければ、ご理解いただけると思いますが、木脇の祖の祐頼の嫡流である木脇祐利からの流れが、木脇祐秀となります。それが私の先祖です。
啓四郎さんの本家の方について本藩人物誌において、祐兄という人物がはじめに出てきます。「薩摩藩文化官僚の幕末・明治」の略系図P278~279をご覧くださると、啓四郎さんは、祐兄系の本家から分かれる二男家となります。
祐兄系は途中、伊東家に養子に入っておりますから、啓四郎さんの先祖の途中は伊東となります。
詳しくは、『本藩人物誌』、『薩摩藩文化官僚の幕末・明治』をご覧いただくほうが分かりやすいでしょう。
ここでは、こみいる話ができませんので、文献のお知らせまでとなります。
また、木脇祐秀の父は、肥後の花山城で討ち死にした木脇祐昌ですが、啓四郎さんの先祖にも同じ名前が出てきますが、別人です。
ここはしっかり押さえてておく必要があります。
間違えやすいところですので、要注意です。

まとまりない回答となってしまいました。
影響力のある方と拝察いたします。
是非、本藩人物誌や諸家大概をご覧いただいて、正確な史実、文献に基づいた上で、木脇祐秀についてご紹介いただけますよう、お願い申し上げます。

現在、木脇家の先祖調査のために、東京大学史料編纂所の先生とも、新たにコンタクトをとっているところです。

2009/11/18(Wed) 21:26 | URL  | 木脇祐秀 本系末裔 ひろみ #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック