歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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谷口克広氏からだいぶ前に表題の著書(中公新書)をご恵贈いただいた。
副題は「筆頭吏僚 村井貞勝」である。
本書の詳細は中央公論新社のサイトのここをご覧下さい。

御礼申し上げるとともに、ご紹介が遅れたことをお詫びする。

この著書については、以前から谷口氏からいろいろ話を伺っていた。
それから、あまり時日がたっていない。谷口氏の健筆ぶりには脱帽である。否、誰かさんの遅筆のほうが問題か(爆)。

まだすべて読んだわけではないが、やはり今回は構成とアイデアの妙がある。
とくに村井貞勝が所司代になった天正元年(1573)からその死までの10年間を日次記にしたのは、面白い趣向である。
リンク先の泰巌宗安記さんだったか、「貞勝記」と呼んでいたのは、言い得て妙である。
これによって、村井の仕事ぶりや人脈などが一目瞭然である。また何より、それぞれの事項に出典が書かれているのが有難い。これこそ研究者の仕事である。新書でもその点を貫いておられる執筆態度に脱帽。

読んだ範囲で印象に残ったことなど。
まず村井の息子とされる村井清次だが、谷口氏は村井専次と同日人物だとされる。私はてっきり別人かと思っていた。しかし、清次が太田牛一『信長記』の本能寺の変の討死名簿にしか登場せず、ほかに足跡が確認できないとなると、やはり専次と同一人物なのか? ほかに村井清三という人物もいるから紛らわしい。清三は貞勝の所司代時代を通して登場しているが、貞勝の息子ではないかもしれない。

もうひとつ、本論とは関係ないが、信長の父信秀の没年について。
近年、天文21年説で確定的になっている。谷口氏もその立場だし、私も異論はない。
ただ、その論拠のひとつとされる織田信勝の天文20年9月20日付判物(信秀を備後守とする)と、信長の同21年10月21日付判物(信秀を桃岩とする)での信秀呼称の比較については、論拠が弱いのではないかと感じている。
この2点の判物では、信勝のそれが俗名というか官途の備後守になっているのに対して、信長のそれが信秀の法号である桃岩となっているため、2つの判物の間に信秀は他界したという考え方である。つまり、天文21年3月だというわけだ。

じつは、私も自分の講座でこの論法を使ったことがある。
しかし、別の信勝判物の事例を出すと、この論法は通用しなくなる。
それは、信勝が熱田の有力者加藤順盛に宛てた判物で、年次は天文22年10月。そのなかに「信秀先判の旨に任せ、免許舟の事」とある。
すでに信秀が他界しているにもかかわらず、法号の「桃岩」ではなく、俗名の「信秀」を使っている。
先の論法でいけば、この判物の時期、信秀はまだ存命というわけではないが、他界していても俗名を使う事例があるから、同20年9月の信勝判物時点で必ずしも存命だとはいえないことになる。
結論には異議はないが、論証法には再検討の余地があるのではと感じているところだ。まあ、いずれにしろ、同21年10月までに他界しているのは確実だが。

横道にそれたが、本書は織田権力研究の新たな局面を開いたといえよう。

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【2009/12/06 00:43】 | 信長
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読了
市野澤
こんばんわ。

谷口克広氏の新著、読み終えました。

中央公論新社のHPで発売予定を知った際、戦国ブームとはいえ、一般受けしない人物をテーマにするなぁと思いました。
中央公論新社も谷口氏が既に中公新書を4冊も出しているとはいえ、冒険するなぁとも思いました。

しかし、個人的には信長の政権の要であり、先行研究の少ない村井貞勝を谷口氏が執筆するのであれば、是非読まねばと思いました。

まず目を引くのが、京で活躍した貞勝は仕事柄、公家たちとの交流の多いので、一次史料である公家たちの日記から確実な確認が取れることです。
個人的に谷口氏には、未だに時代劇や歴史小説で猪武者のように描かれてしまう柴田勝家を扱って欲しいと思っているのですが、勝家は貞勝のように一次史料から裏付けるのは限界があります。
改めて、貞勝という人物をテーマに持ってきた谷口氏の着眼点に脱帽です。また、出版不況と呼ばれて久しい中、本書を出版された中央公論新社の英断に拍手を贈りたいです。

巻末の貞勝発給文書目録は嬉しいです。
欲を言えば、参考文献の頁が欲しかったです。

谷口氏が、貞勝の先行研究で立花京子氏の論文を「信長の朝廷利用・侵食、さらに公武間の緊張関係を再確認したものである」とし、朝尾直弘・松下浩・久野雅司各氏の先行研究と同列に扱わない評価は我が意を得たりでした。


とらさん
はじめまして。
とても関心をひかれる本が出ましたね。
自分はこの時代を考えるには、前久視点、義昭視点、そういったものも重要だと思ってますので、京都所司代という立場からの内容も非常に重要であろうと思います。
感想など、読んだ後でまた書き込みするかもしれません、その際はよろしくお願いします。

まだ熟読できておりません
桐野
市野澤さん、こんにちは。

谷口さんの本をしっかり読み込まれたようですね。
「天下所司代」とは言い得て妙で、村井貞勝の仕事は天下人信長の京都奉行にふさわしいものでしょう。

もっとも、村井は単なる信長の代理人ではなく、自律的な存在でもあったと思います。とくに三職推任などは、村井が信長の意向を忖度して独自に動いたもので、信長との間に齟齬もあったのではと思います。
しかし、信長は村井を叱責もしていません。村井の仕事ぶりや役割を評価していた証左でしょうね。

前久視点?
桐野
とらさん、はじめまして。
コメント有難うございます。

前久視点というのはどのような意味でしょうか?
前久も在国時期も含めて日記を残していてくれたら、相当面白かったと思いますけどね。


とらさん
レスありがとうございます。
戦国の世で、公家、それもトップクラスの、そういった視点からでは、各武将さんたちの行動などはどのように見えていたのでしょうか、といった感じです。
前久ですと主だった武将にはほとんどからんできますし、直接の敵味方のような利害関係もない、ある意味最もこの時代を冷静にみていたのではないか、とも思うのですよね。

ところで自分は名古屋でして、前回の中日ビルの講座も非常に行きたかったのですよね。
ただどうしても時間がうまく合わなくて・・
家族が別の講座を何十年も受けていて迎えに行ったりすることは毎月のようにあるのですが・・
年明けからの講座もとても行きたいのですが・・

名古屋ですか
桐野
とらさん、こんにちは。

名古屋にお住まいでしたか!
家族の方が何十年も受講されているとはすごいですね。
私の講座は平日の昼間なので、お勤めの方は受講が難しいですね。もし可能なら、お越し下さいませ。



とらさん
ありがとうございます。日曜の中日新聞にも講座が写真付きで紹介されていました。
なんとか時間を作るように努力してみますので、がんばってくださいませ。

中日新聞
桐野
とらさん、こんにちは。

そうそう、先日、中日新聞の記者が取材に来ました。
また紹介していただき、有難いことです。
無理されない程度にご検討下さい。

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コメント
この記事へのコメント
読了
こんばんわ。

谷口克広氏の新著、読み終えました。

中央公論新社のHPで発売予定を知った際、戦国ブームとはいえ、一般受けしない人物をテーマにするなぁと思いました。
中央公論新社も谷口氏が既に中公新書を4冊も出しているとはいえ、冒険するなぁとも思いました。

しかし、個人的には信長の政権の要であり、先行研究の少ない村井貞勝を谷口氏が執筆するのであれば、是非読まねばと思いました。

まず目を引くのが、京で活躍した貞勝は仕事柄、公家たちとの交流の多いので、一次史料である公家たちの日記から確実な確認が取れることです。
個人的に谷口氏には、未だに時代劇や歴史小説で猪武者のように描かれてしまう柴田勝家を扱って欲しいと思っているのですが、勝家は貞勝のように一次史料から裏付けるのは限界があります。
改めて、貞勝という人物をテーマに持ってきた谷口氏の着眼点に脱帽です。また、出版不況と呼ばれて久しい中、本書を出版された中央公論新社の英断に拍手を贈りたいです。

巻末の貞勝発給文書目録は嬉しいです。
欲を言えば、参考文献の頁が欲しかったです。

谷口氏が、貞勝の先行研究で立花京子氏の論文を「信長の朝廷利用・侵食、さらに公武間の緊張関係を再確認したものである」とし、朝尾直弘・松下浩・久野雅司各氏の先行研究と同列に扱わない評価は我が意を得たりでした。
2009/12/16(Wed) 21:59 | URL  | 市野澤 #-[ 編集]
はじめまして。
とても関心をひかれる本が出ましたね。
自分はこの時代を考えるには、前久視点、義昭視点、そういったものも重要だと思ってますので、京都所司代という立場からの内容も非常に重要であろうと思います。
感想など、読んだ後でまた書き込みするかもしれません、その際はよろしくお願いします。
2009/12/17(Thu) 14:22 | URL  | とらさん #-[ 編集]
まだ熟読できておりません
市野澤さん、こんにちは。

谷口さんの本をしっかり読み込まれたようですね。
「天下所司代」とは言い得て妙で、村井貞勝の仕事は天下人信長の京都奉行にふさわしいものでしょう。

もっとも、村井は単なる信長の代理人ではなく、自律的な存在でもあったと思います。とくに三職推任などは、村井が信長の意向を忖度して独自に動いたもので、信長との間に齟齬もあったのではと思います。
しかし、信長は村井を叱責もしていません。村井の仕事ぶりや役割を評価していた証左でしょうね。
2009/12/19(Sat) 11:36 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
前久視点?
とらさん、はじめまして。
コメント有難うございます。

前久視点というのはどのような意味でしょうか?
前久も在国時期も含めて日記を残していてくれたら、相当面白かったと思いますけどね。
2009/12/19(Sat) 11:37 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
レスありがとうございます。
戦国の世で、公家、それもトップクラスの、そういった視点からでは、各武将さんたちの行動などはどのように見えていたのでしょうか、といった感じです。
前久ですと主だった武将にはほとんどからんできますし、直接の敵味方のような利害関係もない、ある意味最もこの時代を冷静にみていたのではないか、とも思うのですよね。

ところで自分は名古屋でして、前回の中日ビルの講座も非常に行きたかったのですよね。
ただどうしても時間がうまく合わなくて・・
家族が別の講座を何十年も受けていて迎えに行ったりすることは毎月のようにあるのですが・・
年明けからの講座もとても行きたいのですが・・
2009/12/19(Sat) 22:19 | URL  | とらさん #-[ 編集]
名古屋ですか
とらさん、こんにちは。

名古屋にお住まいでしたか!
家族の方が何十年も受講されているとはすごいですね。
私の講座は平日の昼間なので、お勤めの方は受講が難しいですね。もし可能なら、お越し下さいませ。
2009/12/20(Sun) 18:54 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
ありがとうございます。日曜の中日新聞にも講座が写真付きで紹介されていました。
なんとか時間を作るように努力してみますので、がんばってくださいませ。
2009/12/21(Mon) 19:31 | URL  | とらさん #-[ 編集]
中日新聞
とらさん、こんにちは。

そうそう、先日、中日新聞の記者が取材に来ました。
また紹介していただき、有難いことです。
無理されない程度にご検討下さい。
2009/12/22(Tue) 00:19 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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