歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
今月、新刊の著書や論文をたくさんいただいた。
仕事の関係でなかなか紹介しきれず、申しわけありません。
次の著書は何とか年内にご紹介したほうがよいかと思いました。

上里隆史『琉日戦争一六〇九 ―島津氏の琉球侵攻―』 ボーダーインク刊

詳しくは版元サイトのここをご覧下さい。

上里さんはブログでも有名ですね。人気ブログランキングのベスト10常連さんです。彼のブログはここをご覧下さい。
そういえば、まだ相互リンクをお願いしていなかったな。

今年は島津氏の琉球侵攻からちょうど400年です。
私も南日本新聞の連載「さつま人国誌」で13回にわたって書き綴りました。
琉球や奄美にとってはむろんですが、薩摩にとっても、また我が国(幕藩制国家)にとっても大きな事件でした。
しかし、その割に鹿児島では知られていないというか、まだまだ無関心ですね。

上里さんは古琉球史が専門で、多くの論著を公表しています。
とくに『目からウロコの琉球・沖縄史』は一般向けの解説書で、非常にわかりやすい好著です。

そして今回の新刊はまずタイトルが意欲的ですね。
「琉日戦争」というのは、島津氏の琉球侵攻という狭く限定的な枠組みで考えない、琉球側に視座を据えながら、広く東アジア史的な視点で俯瞰的に展望しようという意気込みが感じられます。

まだ通読したわけでなく、関心のあるところだけをつまみ読みしている状況ですが、それでも、いくつか興味深い指摘があります。
まず、島津氏が渡海を決断するに至る最後の交渉において日明貿易の仲介を琉球側に求めたのに対して、2年前に琉球が独自に明国と交渉したものの、失敗に終わっており、琉球側はすでにカードがなかったので拒否するしかなかったとのこと。このあたりはなかなか興味深いです。一般に謝名親方の傲岸さが強調されますが、それは枝葉だったのではありますまいか。

次に、上里さんの持論であるこの戦争を軍事論的に把握する試みです。島津=獰猛な侵略者、琉球=温和な平和主義者という紋切り型の枠組みを取り払って、限られた史料を徹底的に読み解こうとする姿勢です。とくに琉球側の軍事力分析は上里さんの真骨頂といえるものです。

最後に、これは単に400年前の歴史的事件ではなく、琉球の近世から近現代も展望する視点があることです。
近世の改革政治家・羽地朝秀の「黄金の箍」(くがにぬたが)という言葉は含蓄がありますね。

島津氏から見ている私の立場からも、1,2考えていることがあります。
ひとつは、島津義弘の最後通牒にある、琉球を誅伐せよという家康からの朱印状があるという一節ですが、これは島津側のフィクションというか、ブラフだと思います。
そんな朱印状は少なくとも現存していません。私はもとからなかったのではないかと思っています。徳川幕府は琉球の聘礼と日明貿易の復活が目的で、琉球征服などほとんど望んでいませんでした。ですから、家康のそんな朱印状など存在しないのではないかと思います。もし存在すれば、島津氏にとってこれ以上ない侵攻の大義名分ですから、『島津家文書』に収録されたはずです。少なくとも『旧記雑録』に写しがあってもいいはずです。でも、ありません。

この最後通牒は存在しない家康朱印状を振りかざした島津側の挑発ではないかと思います。
島津氏は琉球だけでなく、家康もだました可能性があります。
その帳尻合わせは高くつくはずで、家康を納得させるには聘礼を力づくで実現すること、しかも使者でなく、中山王尚寧本人なら家康も文句はいわないはずだという読みだったのではないかと思います。
尚寧王の聘礼を実現するには、首里城を占領し、尚寧王を捕虜にする必要がありました。だから、今帰仁での琉球側の講和交渉で、樺山久高は島津家久の軍令にあえて背いてまでも応じなかったのです。応じたら、琉球は体力を温存したままで、尚寧王の聘礼はおそらく実現できません。そこに侵攻が必要以上に暴虐になった必然性が潜んでいる気がしてなりません。

かなり推測入っており、実証したわけではありませんが、そんなことを考えています。
上里さんの指摘する琉球側に島津氏との交渉で有効なカードがすでになかったという点と、島津側の思惑がどのように切り結ぶのかはわかりませんが、決裂→開戦への流れをともに促進する要因であったことだけは間違いないと思います。

ほかにも島津氏の渡海兵力が現存する「法度」の軍役規定よりも多人数になったのには、まだプロセスがあるような気がしています。それも上記の点と関連があるような気がしています。首里城占領のために兵力増強する必要があったのではないかという気がしています。

ともあれ、読みごたえのある本です。ご一読をお勧めします。

何とか年内にご紹介できてよかったです。
本年もご愛読感謝しています。
それでは、みなさん、よいお年を!

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2009/12/31 21:54】 | 新刊
トラックバック(0) |


とらひこ
明けましておめでとうございます。

お忙しいなか、2009年中に拙著をご紹介していただき恐縮です。

徳川家康の朱印状、たしかにご指摘の通りですね。史料を読んでる時に「こんな朱印状あったかな」とふと思ったのですが、あまり意識せずに忘れてしまって、それ以上考えることはありませんでした。こんなものが存在すれば島津氏にとって格好の大義名分になるわけですから、『島津家文書』ほかになくてはおかしいですよね。島津氏は嘉吉附庸説などありもしない大義名分をふりかざしてそれを根拠とするわけですからね。

動員兵数の問題についても桐野さんの説を参考にさせていただきましたが、聘礼など政治問題と連動するとのお考えは興味深いです。

島津氏については門外漢なので、そこらへんの内情は僕のほうでは思いつきませんので、新知見がありましたらぜひご教示よろしくお願いします。

本年もよろしく
桐野
とらひこさん
本年もよろしくお願いします。

臆測を述べただけで、もっと裏付けをとる必要があると思いますが、なかなか史料の壁は厚いですね。肝心の部分の史料が現存していないように感じます。

何か気づいたことがあったら、また何ら名kの形で書きたいと思います。


コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
明けましておめでとうございます。

お忙しいなか、2009年中に拙著をご紹介していただき恐縮です。

徳川家康の朱印状、たしかにご指摘の通りですね。史料を読んでる時に「こんな朱印状あったかな」とふと思ったのですが、あまり意識せずに忘れてしまって、それ以上考えることはありませんでした。こんなものが存在すれば島津氏にとって格好の大義名分になるわけですから、『島津家文書』ほかになくてはおかしいですよね。島津氏は嘉吉附庸説などありもしない大義名分をふりかざしてそれを根拠とするわけですからね。

動員兵数の問題についても桐野さんの説を参考にさせていただきましたが、聘礼など政治問題と連動するとのお考えは興味深いです。

島津氏については門外漢なので、そこらへんの内情は僕のほうでは思いつきませんので、新知見がありましたらぜひご教示よろしくお願いします。
2010/01/03(Sun) 22:01 | URL  | とらひこ #-[ 編集]
本年もよろしく
とらひこさん
本年もよろしくお願いします。

臆測を述べただけで、もっと裏付けをとる必要があると思いますが、なかなか史料の壁は厚いですね。肝心の部分の史料が現存していないように感じます。

何か気づいたことがあったら、また何ら名kの形で書きたいと思います。
2010/01/04(Mon) 12:18 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック