歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第134回
―斉彬への拝謁遅延を謝罪―

お知らせするのが遅くなりましたが、昨日のうちに連載が更新されました。
同紙サイトのここか、左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

新春特別編」ということで、通常より1段余分にスペースをいただきました。
文化部デスクのT井さんに感謝です。

西郷書簡の中身や背景は記事のとおりです。
越前藩士の村田巳三郎が薩摩を訪問したとき、西郷が会いに行き意気投合して、この書簡を書いたものです。
村田巳三郎は坂本龍馬とも非常に親しい間柄でしたね。

西郷の新出書簡はたまに出てきますね。
じつをいうと、私はもう1点、西郷書簡と思われるものをもっています。
ただ保存状態があまりよくなく、文意がとれないところがあります。
解読できたら、またご紹介したいと思います。
内容的にはこちらのほうがもっと面白いかも。

今回、西郷書簡の写真の下に釈文全文も付けてもらいました。
新聞記事ではあまり見かけない構成になりました。
もっとも、解読に自信がない部分もあります。
もしお気づきの点があったら、ご教示いただければ幸いです。

次回は以前予告した島津久章について書く予定です。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2010/01/12 16:49】 | さつま人国誌
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まいたけ
 あけましておめでとうございます。
 村田ちがいで、がっかりしてる人が、日野の方にいそうですね(にっ!)  

村田違い
桐野
まいたけさん、こんにちは。

西郷書簡、私も最初は別の村田に宛てたのかと思いました。
もうひとつの関連書簡と合わせて考えないと、年次も宛所もよくわからない書簡でしたね。

村田違い
いの
桐野先生、まいたけ様、こんばんは。お邪魔致します。

確かに、「村田違いかぁ」と溜息をついておりました。ご名答です!
安政四年ですか。私の追い求めている「別の村田」(新八ですが)は、数え年22歳。そろそろ結婚?といったところでしょうか。この頃はまだ高橋姓です(村田家への養子入りは万延2年です)。

村田違い
桐野
いのさん、こんばんは。

村田違いは残念でした。
でも、別の史料は頑張って下さいませ。


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コメント
この記事へのコメント
 あけましておめでとうございます。
 村田ちがいで、がっかりしてる人が、日野の方にいそうですね(にっ!)  
2010/01/12(Tue) 17:07 | URL  | まいたけ #BKdQhP/Q[ 編集]
村田違い
まいたけさん、こんにちは。

西郷書簡、私も最初は別の村田に宛てたのかと思いました。
もうひとつの関連書簡と合わせて考えないと、年次も宛所もよくわからない書簡でしたね。
2010/01/14(Thu) 11:39 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
村田違い
桐野先生、まいたけ様、こんばんは。お邪魔致します。

確かに、「村田違いかぁ」と溜息をついておりました。ご名答です!
安政四年ですか。私の追い求めている「別の村田」(新八ですが)は、数え年22歳。そろそろ結婚?といったところでしょうか。この頃はまだ高橋姓です(村田家への養子入りは万延2年です)。
2010/01/15(Fri) 22:40 | URL  | いの #x1SvnNbc[ 編集]
村田違い
いのさん、こんばんは。

村田違いは残念でした。
でも、別の史料は頑張って下さいませ。
2010/01/16(Sat) 22:56 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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