歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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先を越されてしまいました。
新聞連載で書こうと思っていたネタです。

南日本新聞サイトの「どげんけ?」というwebでしか見られない記事です。
ここにあります。

記事中にもありますが、この逸話は薩長の「鴻門の会」と呼ばれています。
実際、項羽と劉邦の有名な故事によく似ています。
さしずめ、大久保は樊噲の役回りになるのでしょうか。

さて、この逸話、史実なのかどうか。
記事は出典を『防長回天史』としていますが、同書にはこの逸話には見当たらないような気がします。
ふつうは妻木忠太『偉人周布政之助翁伝』(有朋堂書店、1931年刊)が出典とされますが、中原邦平『訂正補修 忠正公勤王事績』(1911年)にも同じ逸話が載っています。こちらのほうが刊行が早いので出典といえそうですね。忠正公は幕末の長州藩主毛利敬親のことです。

中原邦平は長州出身で、明治中期、毛利家編輯所に入り、『防長回天史』の編纂に加わりましたが、総裁の末松謙澄と対立して脱退しています。

名の通った史家ですから、それほど誇張や創作をするとは考えにくいです。
でも、大久保が一枚の畳を頭上でクルクル回せるほどの剛力の持ち主だったかどうか、いささか疑問なきにしもあらずです。
この日のことを大久保は日記に「頗る暴論に及び候」と書いていますから、相当激論があったことはたしかでしょう。その勢いで畳を回してしまったのでしょうか?

なお、この逸話は『忠正公~』には次のように書かれています。

「さうすると大久保一蔵は余程力のあった人と見えて、薩州の畳踊を御目にかけるといふて、畳の間へ指を突込んだが、忽ち畳を引き起して、之れを掌の上でグル/\グル/\廻し始めた、是も誰の頭へ当るか知れぬ、其れで来島の如きは刀を引寄せ、イザと言へば、直ぐ斬りつける身構へをするという云ふ風で、(後略)」

長州側は大久保が必ずしも仲裁役だとは思っていない感じですね。
大久保としては、周布政之助が堀次郎に刀を突き付けて躍っているので、それを牽制し、堀を守ろうとしての座興だったのかもしれません。

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【2010/02/07 15:35】 | 幕末維新
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