歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

南日本新聞連載「さつま人国誌」第140回
―姑に棄教迫り家久苦悩―

昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここをクリックされるか、左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックして下さい。

今回は前回の続きで、カタリナ夫人(永俊尼)が鹿児島に来て、娘が藩主家久の側室となり、嫡男光久を産んでから、境遇が変わってくるあたりを書きました。

カタリナ夫人のキリシタン信仰は強固で、家久の諫言などはねつけています。
幕府からはキリシタン禁令を迫られているのに、姑が薩摩のキリシタン勢力の領袖ですから、家久の窮地や苦悩も察せられます。

その独裁ぶりや正室亀寿への冷淡さなどから、あまり評判のよくない家久ですが、考えてみれば、舅(義久)と姑(カタリナ夫人)には永年苦しめられた婿さんですね。
カタリナ夫人を種子島に追放した前後、家久は病床にあります。もう晩年ですからありえることでしょうが、カタリナ夫人がらみの精神的な心痛が起因ではないでしょうか?

余談ですが、カタリナ夫人の娘で光久の生母、私は「桂安夫人」と書きましたが、ほかにも「慶安」としているものもあります。記事にも書きましたが、島津家は「心応夫人」と呼んでいます。不勉強で彼女の院号・戒名を知りませんが、院号にちなむ命名でしょうか? また彼女は家久の側室ではなく、後妻と考えてよいのでしょうかね? どうも不勉強でいけません。
*以下後筆
『本藩人物誌』の島津忠清譜に彼女の法名があり、「心応慶安大姉」となっていました。どちらも法名だったということですね。桂安夫人より慶安夫人のほうが適切だったか。

次回はいよいよ種子島配流のいきさつを書きたいと思います。
なぜ配所に種子島が選ばれたのか、カタリナ夫人と家久=藩当局とのかけひきなどを書くつもりです。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング


スポンサーサイト

【2010/03/02 13:02】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。