歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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今日はなぜか、来客、電話、FAXなどが多い日だった。

そのうちで書けるものを。

まず、てらこやの古文書講座、来年1月からの新講座の日程などが決まった。

開始は1/16で、以降いつものとおり隔週で、1/30、2/13、2/27、3/13の計5回である。

テキストはおそらく「寺村左膳道成日記」が終わらないだろうから、少し積み残すことになりそうだ。
土佐藩だけだと……という受講者もおいでかもしれないので、現講座の最終回にまたアンケートをお願いして、希望を聞いてみたほうがいいかも。

こちらとしては、寺村の日記はあくまで入口というかフィルターのつもりで、それを手がかりにして、慶応三年政局を多角的に理解していただけたらという狙いがある。そのために、寺村日記以外に他の日記や書簡をなるべく多く提示して、幅広く見聞を広げてもらったらと思っている。
が、その目論見が成功したかどうかはまだわからない。もうダメ出しされているかもしれない(爆)。

詳細は以下のサイトにあります(ただし、まだ未更新)。興味のある方はのぞいてみて下さい。

http://www.shopro.co.jp/komonjo/


次に、来年の大河がらみで、軍師論を書いてもらいたいという依頼が来た。それも歴史系ではなく一般誌からである。

先方の編集者の狙いは「軍師の虚実」論みたいなものだという。
たしかに、軍師については虚像が横行していると思う。狭義の軍師はやはり軍配師(あるいは軍敗師とも)に限定すべきで、いわゆる政治参謀を軍師の範疇に含めるのはどうかと思う、みたいなことを話したら、そういう話を書いてもらいたいとのこと。

さらに先方がなぜ軍師の虚像が広まったのかと質してきたので、おそらく太閤記の竹中半兵衛、もっといえば、三国志演義の伝来・普及と関係があるかもしれない、要するに、諸葛孔明の虚実がわが国の通俗的な軍師像形成に影響を与えているのではないかと答えたら、そういう観点を望んでいたと言われた。

羅貫中の三国志演義がわが国に伝わり、「通俗三国志」として上梓されたのが元禄時代。しかし、これは漢文調で難しかったらしく、それほど普及していない。本格的な普及はやはり天保年間の「絵本通俗三国志」からだろう。その時期は同じく羅貫中の「水滸伝」が伝来した頃でもある。

わが国で諸葛孔明が大衆レベルまで知られるようになったのは意外と遅いこと、またそれらで描かれた孔明の神秘的な軍師像が現代に至っても連綿と影響を与えているのではないかなど、縷々話したら、それでよろしくということになった。
思いつきでしゃべっただけなのに、果たしてまとめられるかな。少し心配になってきた。


最後に、某TV局の制作者が某歴史ドラマの考証について相談に来た。
とくに重要な役どころになるらしい某人物について、詳しく教えてほしいとのこと。
こちとらもそれほど詳しいわけではないが、手持ち史料などをある程度紹介した。すでにかなり詳しく調査しているようだった。一応、系譜類について、誤りやすい点について注意を促しておいた。
小生の昔の拙著まで購入してくれていて、かえって恐縮した。
結局、3時間くらい話しただろうか。

さて、期待半分、不安半分のドラマだが、どうなるのだろうか。

という具合で、肝心の仕事ができず、忙しい一日だった。

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【2006/11/20 19:51】 | 雑記
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