歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
第10回「ひき裂かれた愛」

ドラマ進行時点は安政5年(1858)、龍馬24歳。

龍馬が千葉定吉から免許皆伝の巻物をもらい、帰国後、それを開いて家族に見せていました。
この免許はたしか長刀兵法のものではなかったでしたっけ?

ともあれ、龍馬は修業を終えて帰国します。佐那とも別れたわけですが、まだ2人の関係は続くようですね(昨夜の番宣番組より)。

土佐に帰国したのが9月。その後、重要な事件があったのですが、加尾の隠密話に重点が置かれてスルーされてしまったようです。
龍馬が帰国してほどない11月、水戸藩士の住谷寅之助と大胡聿蔵が土佐国境までやってきて、龍馬が立川番所まで会いに行っています。このとき、住谷が日記で有名な龍馬評をしていますね。いわく、

「龍馬誠実、かなりの人物、しかし撃剣家、事情迂闊、何も知らずとぞ」
「頗る愛すべき人物也、郷士にて他国の比にあらず」


住谷らは当時、一級の攘夷派志士ですが、彼らは龍馬を高く評価しながら、土佐や龍馬が当時の政局について情報を何も得ていないことも付け加えています。
この年8月、井伊大老の安政条約無勅許調印に怒った孝明天皇が有名な戊午の密勅を水戸藩に下しています。そのなかには幕府糾弾の意を諸藩に伝えるようにという条項がありました。
住谷らはこの密命に従って、同志を募る遊説のため土佐と伊予の国境にまでやってきたのだと思います。そして龍馬が彼らに会ったのは武市の指示だったかどうかわかりませんが、いずれにせよ、土佐藩の尊攘派代表として会見したことになります。
ドラマでは、龍馬が武市派と対立して孤立しているように描かれていますが、どうも違和感があります。

ドラマはスルーしてしまったので、住谷らがやってきた立川番所の写真を載せておきます。
立川番所





そして戊午の密勅に対する幕府側の反動として、安政の大獄が始まります。
これにより、土佐藩主山内豊信も隠居を命じられしまい、容堂と名乗りを替えます。容堂は隠居するにあたって、吉田東洋を再び参政に登用し、藩政運営を任せます。

東洋の復活により、門閥派には東洋排斥の動きが出てきます。
武市はその間隙を突く作戦に出て、山内家一門の山内民部などと結ぶことになります。

またドラマでもあったように、容堂の妹友姫が三条家の嫡子公睦に嫁ぐことになり、加尾がその侍女として上京することになりました。
三条家(転法輪家)は清華という摂関家に次ぐ高い家格で、当主実万(さねつむ)は孝明天皇の信任が厚かった人物です。有名な三条実美は実万の四男で、公睦の死により家督を継ぐことになります。
山内家と三条家の関係は、島津家と近衛家の関係によく似ており、代々婚姻関係によって結ばれていました。容堂の夫人も実万の養女ですし、実万夫人も山内豊資の妹紀子です。実美の生母でもあります。

加尾の上京により、龍馬との仲が引き裂かれたのかどうかはわかりませんが、龍馬が加尾にあてた現存する唯一の書簡は文久元年(1861)9月のもので、龍馬が脱藩する半年ほど前ですが、袴・羽織・宗十郎頭、その他大小を用意してくれという事務的ものですが、むしろ、それだけで2人の意思疎通ができる関係にあったともいえそうです。
この書簡の頃は、加尾は在京しているわけですが、龍馬はすでにこの時期から脱藩して上京することを考えていたのかもしれません。

なお、友姫の夫公睦は早く亡くなってしまいますが、加尾はそのまま友姫のもとに留まりました。
奉公をやめて帰国するのは文久2年(1862)の秋頃でしょうか。
土佐の郷士千屋菊次郎の日記には、同年10月5日条に、

「平井氏の妹、四年来京師に在り、他日帰国の故を以て、この日に婢を携へ来る」

とあります。10月時点ではまだ在京していますが、ほどなく土佐に帰国する予定だったようです。

さて、来週はいよいよ土佐勤王党の結成になるようですが、龍馬の加盟をどのように描くのでしょうか?

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【2010/03/08 00:01】 | 龍馬伝
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龍馬が武市派と対立して孤立に違和感云々
忍っこ
桐野先生こんばんは
私も、表題の件で違和感を感じました。
今、高知県佐川町の青山文庫館長 松岡 司氏が
新人物往来社から出版されている
「月と影と武市半平太伝」を手にしていますが
土佐勤王党結成が文久元年で
文久2年1月に武市は龍馬を久坂玄瑞のもとへ送っていますね
その年の4月か゛吉田東洋暗殺ですから
1年くらいは土佐勤王党に席を置いていることになります。
番組当初に、このドラマはフィクションです。と
一言うたっておけばいいんでしょうが・・難しいでしょうね

脱藩理由
桐野
忍っこさん、こんばんは。

仰せのとおりですね。
龍馬の立ち位置が少しおかしいですよね。
座標軸が定まっていません。
脱藩の事情もどう描くつもりなのかも見えてしまいますね。

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コメント
この記事へのコメント
龍馬が武市派と対立して孤立に違和感云々
桐野先生こんばんは
私も、表題の件で違和感を感じました。
今、高知県佐川町の青山文庫館長 松岡 司氏が
新人物往来社から出版されている
「月と影と武市半平太伝」を手にしていますが
土佐勤王党結成が文久元年で
文久2年1月に武市は龍馬を久坂玄瑞のもとへ送っていますね
その年の4月か゛吉田東洋暗殺ですから
1年くらいは土佐勤王党に席を置いていることになります。
番組当初に、このドラマはフィクションです。と
一言うたっておけばいいんでしょうが・・難しいでしょうね
2010/03/10(Wed) 22:13 | URL  | 忍っこ #sPRWXnZE[ 編集]
脱藩理由
忍っこさん、こんばんは。

仰せのとおりですね。
龍馬の立ち位置が少しおかしいですよね。
座標軸が定まっていません。
脱藩の事情もどう描くつもりなのかも見えてしまいますね。
2010/03/12(Fri) 01:43 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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今回のラブストーリーはいいデキでしたね。 時代は安政5年(1858)、龍馬が北辰一刀流長刀兵法目録を伝授され帰郷。 佐那ちゃんが想いを打ち明けているのに、「土佐には大事な人がおる」と佐那をふる龍馬。 で、帰郷後、龍馬は幼なじみの加尾にプロポーズまでしてしまう。
2010/03/08(Mon) 00:36:53 |  shugoroの日記