歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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昨日は「龍馬伝」の放映日でしたが、焼酎の会があり、帰宅が遅れたため、見逃してしまいました(残念)。
龍馬と勝海舟の出会いという重要な場面だっただけに、土曜日の再放映はぜひ見たいと思います。


南日本新聞連載「さつま人国誌」第145回
―関ヶ原敗走中、28歳の若さ―

先週は休刊日のため、連載もお休みでした。
連載が久しぶりに更新されましたので、左のリンク欄「さつま人国誌」か、同紙サイトのここをクリックして下さい。

今回は先月帰鹿した折りに取材に行った所です。
たまたま新書(来月刊予定)で島津の退き口を書きましたが、入来院重時についても少し書きました。
また当連載の123回から130回まで8回にわたって、退き口の人物列伝を書きましたが、入来院重時については書きそびれていたので、取材を機に書いておこうと思いました。

入来院重時は名門の出です。本宗家にもっとも近い分家の垂水島津家に生まれ、渋谷五族の名門、入来院氏の養子となり、妻は島津歳久の娘を迎えています。
この御曹子の最期は非業の死、玉砕といってよいと思います。

入来院氏の墓所は旧寿昌寺跡で、道路整備のため、当初の場所から少し移転しております。
そこには、初代渋谷定心の墓もありました。もっとも、中世の当主たちの墓は定心以外はなく、ほとんどが近世から明治の墓です。

また旧寿昌寺跡の左横には重来神社があります。参道の階段を上っていくと、比較的新しい社がありました。
ここは入来院重時を祀っています。重来明神は重時の神号です。
ここには、蒙古襲来の折り、博多で蒙古軍と奮戦して討死を遂げた渋谷有重・致重・重尚(入来院氏3代公重の弟たち)も合祀されています。
せっかくなので、いくつか写真を載せておきます。

定心
入来院氏初代渋谷定心の供養塔

於珍
29代公寛夫人於珍(島津久光の三女)の墓 実家の島津家の家紋が入っています

旧寿昌寺跡遠景
入来院氏の墓所遠景(中央奧の林の中)

重来神社
重来神社の社と境内

重来神社不動明王
重来神社の参道を上ったところにある不動明王?の石像

入来院氏の墓所で当主と夫人の墓は墓石が家形の覆いの中に入っています。この形式は石殿型と呼ばれているようです。
以前、小松帯刀の墓所(日置市日吉町吉利)に行きましたが、そこも石殿型でした。参考のために写真を載せておきます。小松帯刀とその夫人お近さんの墓はすぐ前にフェンスがある関係で、なかなか正面から撮影できません。
入来院、小松の両氏とも、由緒ある家柄で、島津家中では一所衆(私領を有する門閥)でした。ですから、墓所も格式を感じさせます。

小松帯刀
小松帯刀の墓

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【2010/04/19 21:52】 | さつま人国誌
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ばんない
古い記事へのレスご容赦下さい。

何故かこの記事をうっかり読んでいなかったのですが、入来院重時が島津歳久の娘と再婚したのは歳久の横死後の籠城事件の後じゃないのでしょうか。というのは、史料(「旧記雑録後編2」940,941など)では籠城したのは歳久の妻(晴簑簾中)+袈裟菊丸(島津常久)+同母(袈裟菊丸の母=歳久の娘)と書かれてあるので…


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この記事へのコメント
古い記事へのレスご容赦下さい。

何故かこの記事をうっかり読んでいなかったのですが、入来院重時が島津歳久の娘と再婚したのは歳久の横死後の籠城事件の後じゃないのでしょうか。というのは、史料(「旧記雑録後編2」940,941など)では籠城したのは歳久の妻(晴簑簾中)+袈裟菊丸(島津常久)+同母(袈裟菊丸の母=歳久の娘)と書かれてあるので…
2011/08/25(Thu) 01:47 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
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