歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
今月下旬売りの歴史雑誌で、期せずして信長ものを2本書いていますので、ご紹介しておきます。

1.歴史街道6月号
同誌には久しぶりに書かせてもらいました。
特集が「桶狭間の謎」です。
4人の論者による4つの仮説を提示してありますが、拙稿のタイトルは

「方角誤記」と義元進路の考察から見えてくるもの

というものです。
義元の進路と最終的な本陣の位置が確定できれば、桶狭間合戦における義元の死の謎と信長の攻撃方法もほとんど解けるというのが私の意見で、これまでも書いたことがあります。

今回はそれに加えて、『信長記』首巻にある桶狭間合戦での方位・方角の不正確さについて書きました。
同場面には4つの方位・方角が出てきますが、ほとんどおかしいですね。
その不正確さが首巻の史料的限界につながっていると思います。
たとえば、巻八の長篠合戦での方位・方角の正確さと比較しても、首巻の不十分さは明らかです。
ですから、方位・方角を真に受けてはいけないという論旨です。

あと、用語の問題も少し提起しておきました。
正面攻撃」というのは、その実、あいまいで多義的です。
これだけだと「奇襲」も「強襲」も必ずしも排除しているわけではありません。
藤本正行氏の提起は桶狭間合戦研究に新段階を画しましたが、藤本説における「正面攻撃」とは、おそらく「正面強襲」ということでしょう。こうした用語の定義も統一したうえで議論する必要があるのではと感じているところです。


2.歴史読本6月号
本号の特集は平城京遷都1300年です。
小生の連載「信長」もいよいよ30回めとなりました。
今回のテーマは、

義昭越えの達成と安土築城

です。
ようやく安土築城までたどり着きましたので、タイトルまわりの写真を岐阜城から安土城に替えてもらいました。

長篠合戦の直後、信長は上洛します。
そのとき、禁裏御所で信長は誠仁親王主宰の蹴鞠を見学しました。
その意義を指摘したのは堀新氏です。将軍義昭追放後の信長と朝廷の結合はここから始まったと位置づけています。
私もこの蹴鞠が親王主宰である点を別の角度から見ると同時に、信長の官位叙任との関連も重視すべきだと考えているところです。

信長の官位については、橋本政宣氏の学説が通説になりつつありました。
つまり、天正3年(1575)11月の従三位権大納言兼右近衛大将は直任(一足飛びにその官に任ぜられること)であり、『公卿補任』に記録されている参議その他は遡及叙任であり、事実ではないというものです。

しかし近年、金子拓氏の論考は、そうした通説に再考を迫るものになっています。
同氏「織田信長の東大寺正倉院開封と朝廷」『国史学』196号 2008年

金子説によれば、参議任官は否定するものの、蘭奢待切り取りに際して、信長は朝廷から叙爵(従五位下)と昇殿を聴されており、それは将軍の先例に準じたものだったとし、ただ足利義昭が健在だったので、官職補任は留保してあったというものです。叙爵と昇殿についてもきめ細かい実証がされています。

なかなか興味深い説だといわなければなりません。
私も金子説に従うなら、天正3年11月の従三位権大納言兼右近衛大将の叙任は蘭奢待切り取りの際の留保分を解除して叙任がなされており、蘭奢待切り取りからの一連の連続的な手続きだろうと考えているところです。

さらにいえば、信長のこのときの叙任は将軍義昭同等とか将軍に準じる地位だと評価されてきましたが、足利将軍の叙任の先例と比較すれば、将軍職を除いて、信長の官位のほうが上回っているのではないかと考えています。叙任の陣儀が本式か仮設かというのも同一線上の議論です。

義昭越えの達成というのはそのような意味においてです。

なお、『歴史読本』の連載については、信長のもっとも充実した時期を駆け足でやらねばならなくなった私の不手際に対して、編集部から温かい助け船があり、あと半年6回分延長になりました。来年の6月号まで書くことになりました。じつに42回分の連載ということになります。
有難いと同時に、まだ苦しみが続くのかと思っているところです(爆)。

興味のある方は両誌をご覧下さい。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2010/04/29 09:41】 | 信長
トラックバック(0) |

歴読
K2
桐野様
こんばんは。
連載延長おめでとうございます。
本能寺の変まで辿りつけなくて、最終号に詳しくは拙著「信長は誰に殺されたか」をお読み下さい。となるのではと、心配してましたが。
 苦しみも続くと思いますが、楽しみにしております。

ご心配をかけております
桐野
K2さん、こんにちは。

やはりこの部分に反応されましたね(笑)。
歴読前編集長のSさんのご好意のおかげです。

この話の前から駆け足なりに本能寺の変まで行きつくような構成は考えていたのですが、でも6回分増えると、かなり余裕をもって書けそうです。

もっとも、42回連載となると、原稿枚数も800枚近くになり、これを単行本にまとめるのも大変そうです。
頭が痛くなるので、あまり先のことは考えないようにしようと思います。


コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
歴読
桐野様
こんばんは。
連載延長おめでとうございます。
本能寺の変まで辿りつけなくて、最終号に詳しくは拙著「信長は誰に殺されたか」をお読み下さい。となるのではと、心配してましたが。
 苦しみも続くと思いますが、楽しみにしております。
2010/04/29(Thu) 20:53 | URL  | K2 #-[ 編集]
ご心配をかけております
K2さん、こんにちは。

やはりこの部分に反応されましたね(笑)。
歴読前編集長のSさんのご好意のおかげです。

この話の前から駆け足なりに本能寺の変まで行きつくような構成は考えていたのですが、でも6回分増えると、かなり余裕をもって書けそうです。

もっとも、42回連載となると、原稿枚数も800枚近くになり、これを単行本にまとめるのも大変そうです。
頭が痛くなるので、あまり先のことは考えないようにしようと思います。
2010/04/29(Thu) 22:36 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック