歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第148回
―京都政局を冷静にリード―

昨日連載が更新になっていました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は前回の続きです。
慶応3年(1867)大政奉還前後の政局と吉井の関わりについて書きました。
ほんとは、吉井が大政奉還をどう評したのかも書きたかったのですが、紙数の関係で断念しました。
吉井は小松帯刀や伊地知正治と同様、大政奉還を高く評価しています。
将軍慶喜の「反正」は真実であり、それなりに処遇すべきこと。また勝海舟と大久保一翁を幕閣に登用すれば、一緒にやっていけるとまで書いています。

余談ながら、近江屋事件について薩摩黒幕説なるものが流布しています。薩摩藩討幕派(西郷・大久保ら)が大政奉還を進める龍馬が邪魔になったというのが根拠のようですが、果たしてその説を支持される方はそのことを史料で検証されたことがあるんでしょうかね?
薩摩藩は明らかに大政奉還を支持しています(とくに小松帯刀が活発に動いています)。これだけでも龍馬が邪魔になって殺害する必要などどこにもないのですが、もし黒幕説の通りだとすれば、藩外の龍馬よりも先に藩内の大政奉還支持派を排除することが先決では?
小松も伊地知も、そして吉井も排除するか殺害しないと、討幕派は藩内の主導権を確立できませんよね。
そしてほかでもない、上の3人は薩摩藩討幕派に属する面々ですよね。
黒幕説の自家撞着は明らかだと思うんですが……。

あと、前回これまた紙数の関係で書けなかったのですが、吉井は近江屋事件の直後、近江屋に駆けつけ、龍馬の遺体と対面したと思われます。凶報を知った陸援隊の田中光顕が陸援隊屯所から駆けつけるとき、途中、二本松の薩摩藩邸に立ち寄って、吉井に急を知らせています。おそらく吉井は田中と一緒に近江屋に向かったと思われます。

脱線したというかとりとめのない話になってしまいましたが、次回からしばらく龍馬周辺の人々、とくに薩摩と縁が深い海援隊士たちを取り上げようと思っています。

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【2010/05/11 23:39】 | さつま人国誌
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