歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第149回
―小松帯刀や西南戦争の縁―

昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックしていただければ、ご覧になれます。

今回から数回にわたって、薩摩とゆかりのある海援隊士を取り上げる予定です。
その第1回が菅野覚兵衛です。
坂本龍馬の相婿でもある人物です。
とりわけ、西南戦争の発端となった私学校党の火薬庫襲撃のとき、その政府側当事者として事件に巻き込まれたことはあまり知られていません。私も以前雑誌に書いたことがありますが、今回改めて書いてみました。

紙数の関係で書けなかったことですが、菅野はよく無事だったと思います。興奮した私学校党の連中に殺害されてもおかしくなかったです。
県庁に掛け合っても、県令大山綱良は私学校を庇っていましたから相談に乗るはずもなく警備も付けてくれません。
その後、菅野は桜島に避難したり、あちこちと点々としています。
それでも、弾薬に注水して使用不能にし、上司である海軍大輔の川村純義に事後報告してから鹿児島をあとにしており、最低限の任務は果たしたと思います。

その後、菅野は安積の開拓事業でも苦労していますね。これも龍馬の夢を実現しようとしたと思えなくもないです。
でも、開拓もうまくいかず、何となく報われなかった生涯だったかもしれません。

次回は連載150回ですが、白峰駿馬を書く予定です。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2010/05/18 08:38】 | さつま人国誌
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造船所と砲列が並んだ写真
岩剣石塁
 毎朝、造船所の石碑の前を通りますが、どのような種類の船が
建造されていたのかが、気になります。
昇平丸は桜島での建造のようですし・・・。

 幕末~明治初年の磯の風景の写真には、浜辺に大砲の砲列が
並んでいます。
 薩摩藩の所有物なのか、明治政府の所有物なのかは分かりませんが、
ひょっとしたらこれらの大砲は、磯の海軍火薬庫の備品になった
可能性もありますよね。

磯龍洞院?
桐野
岩剣石塁さん、こんばんは。

あの石碑のあるところですが、安政元年(1854)3月から1年ほどかけて、磯龍洞院近くの海岸で建造したことが『新納久仰雑譜』に出ています。
このことじゃないでしょうかね?

もっとも、この蒸気船は試運転が失敗しています。
だから、船名もないのかも。


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この記事へのコメント
造船所と砲列が並んだ写真
 毎朝、造船所の石碑の前を通りますが、どのような種類の船が
建造されていたのかが、気になります。
昇平丸は桜島での建造のようですし・・・。

 幕末~明治初年の磯の風景の写真には、浜辺に大砲の砲列が
並んでいます。
 薩摩藩の所有物なのか、明治政府の所有物なのかは分かりませんが、
ひょっとしたらこれらの大砲は、磯の海軍火薬庫の備品になった
可能性もありますよね。
2010/05/19(Wed) 01:42 | URL  | 岩剣石塁 #qHI8YIeE[ 編集]
磯龍洞院?
岩剣石塁さん、こんばんは。

あの石碑のあるところですが、安政元年(1854)3月から1年ほどかけて、磯龍洞院近くの海岸で建造したことが『新納久仰雑譜』に出ています。
このことじゃないでしょうかね?

もっとも、この蒸気船は試運転が失敗しています。
だから、船名もないのかも。
2010/05/19(Wed) 21:12 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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