歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

歴史読本の最新号(7月号)の掲載誌が届きました。
25日前後には書店に並ぶと思います。

今月号の特集は「知っておきたい幕末史の新・視点」というもので、
拙稿は表題のとおりです。

近江屋事件について、私は「薩摩黒幕」説なるものが史料に基づかない的外れなものであることを、拙稿や拙ブログで何度も強調してきました。今回はその中間報告といった位置づけになるでしょうか。中間報告になったのは、紙数の関係で全面的に自説を展開できなかったため、概要だけ示したからです。

今回の趣旨として、

まず第一に、「薩摩黒幕」説を唱える論者(系統だった論文なり著書は見たことがありませんが)が一様に、大政奉還を進める龍馬が薩摩藩討幕派にとって邪魔だったとする考え方が史実、史料に基づかない思い込みにすぎないものであることを、岩倉具視や会津藩の史料をもとに明らかにしました。ほかにもまだ史料はあるのですが、とりあえずこの2点は必須なので掲載しました。

とくに岩倉具視書簡(大久保利通宛て)は重要な内容を含んでいます。会津・桑名両藩やその配下の幕臣(見廻組や新選組、慶喜側近の梅沢孫太郎・渋沢成一郎など)は明らかに大政奉還に反対であり、しかも、薩摩藩を大政奉還を推進する元凶ととらえ、小松帯刀・西郷隆盛・大久保の3人を襲撃するテロまで計画していました。さらに、会津藩は大政奉還建白書を提出した土佐・芸州両藩も敵であり、これを「斃す」と主張しています。

会津藩にとって、薩摩・土佐・芸州の三藩は大政奉還推進勢力として一体なのです。これだけでも「薩摩黒幕」説の破綻は明らかです。
そして、岩倉書簡の中味がほかでもない、会津藩の文書から裏が取れることも付記しておきます。つまり、岩倉書簡の内容は信頼がおけるということです。

記事には書ききれなかったため、附言しておきますと、将軍慶喜の政権返上の奏上文を高家の大沢氏が持参して参内しますが、それを妨害しようとしたのは、ほかでもない桑名藩の用人です。
大政奉還に反対していたのは会桑と幕府内強硬派です。彼らこそ大政奉還に関与した龍馬を暗殺する動機を有しているのは明らかですね。

なお、今回、この注目すべき岩倉具視書簡(大久保利通関係文書)の写真を、所蔵先の国立歴史民俗博物館のご好意により掲載することができました。記して謝意を申し上げます。

次に、用語の問題があります。
今回、私は意識的に「廃幕」と「保幕」という用語を使いました。
これは従来の「討幕」と「倒幕」、あるいは「討幕派」と「公議政体派」といった用語が誤解を招きかねないことが多いので、それを避けるためと、近江屋事件についても誤解を生む温床になっていると感じたからです。

たとえば、「討幕」を武力討幕派(薩摩藩の西郷・大久保や公家の岩倉・中御門などが代表)の行動・目的、「倒幕」は土佐藩など公議政体派の行動・目的だと規定する考え方があります。
これは非常に誤解を招きますね。土佐藩などは平和的な政権移行をめざしていたとされるのに、「倒幕」という用語はぴたりときません。「倒」という言葉は武力討幕に近いニュアンスですから。むしろ、「廃幕」のほうがふさわしいと思います。

かといって、薩摩藩などの「武力討幕派」と土佐藩などの「公議政体派」(平和的政権移行派)というとらえ方も対立点だけが際立ち、両者の重要な共通点が埋没してしまいます。記事にも書きましたが、両者には共通点が多いのです。すなわち、幕府制度の廃止と王政復古の実現です。

ところが、この共通点はあまり語られず、これを実現するための手段・プロセスや慶喜の評価が異なる点のみが過度に強調されてきた経緯がありました。こうした評価は戦後歴史学の歴史観とも大いに関わっていますが、このことが近江屋事件にも意識的にか無意識か投影・敷衍されて、大政奉還を進める龍馬は武力討幕派の邪魔になったという見方を生み出す培養基となった面が強いです。

こうした見方はもうリセットすべきだという立場から、私は「武力討幕派」と「公議政体派」の共通点を示す「廃幕」と、あくまで幕府制度の維持・復活をめざす「保幕」という対立軸が慶応3年後半の政局で重要なキーワードだと考えているところです。
このような立場に立つと、「薩摩黒幕」説のおかしさがよく見えます。

以上、記事には書けなかったことを少し補強しておきました。
歴読記事と合わせて参照していただければ幸いです。

補足
歴読今月号は私の連載記事である「信長―狂乱と冷徹の軍事カリスマ―」第31回も掲載されています。
今回のタイトルは「天王寺合戦で信長負傷」です。
天正4年(1576)の本願寺合戦と第一次木津川沖合戦を中心に書きました。
関心のある方はこの連載もご覧下さい。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング

スポンサーサイト

【2010/05/23 14:51】 | 新刊
トラックバック(0) |

おーっ
小林 哲也
桐野先生!小林 哲也です。なんと面白そうな記事でしょう。幕末の研究において、大政奉還後の政治情勢は正確に分析されるべきなのにおざなりにされてきた気がします。

特集楽しみにしております。

             小林 哲也

読んで下さい
桐野
小林 哲也さん、こんにちは。

今日明日には歴読発売になると思いますので、よかったら読んで下さい。


コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
おーっ
桐野先生!小林 哲也です。なんと面白そうな記事でしょう。幕末の研究において、大政奉還後の政治情勢は正確に分析されるべきなのにおざなりにされてきた気がします。

特集楽しみにしております。

             小林 哲也
2010/05/23(Sun) 20:12 | URL  | 小林 哲也 #-[ 編集]
読んで下さい
小林 哲也さん、こんにちは。

今日明日には歴読発売になると思いますので、よかったら読んで下さい。
2010/05/24(Mon) 14:35 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。