歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

小学館アカデミー古文書塾「てらこや」特別講座

1日夕刻、表題シリーズの第4回に出講。
この講座のことを書くのも久しぶり。

越前藩の公用日記といってよい『丁卯日記』と龍馬の手紙を同時進行で読んでいる。
今回は、慶応3年(1867)11月初旬から龍馬暗殺の15日までの日記を読んだ。

大政奉還後、幕閣・御三家・親藩・譜代・旗本の間で、それを支持するか反対するかの色分けがかなり鮮明になってきていることを確認する。
反対派は会桑のほか、紀州藩・藤堂藩など。幕臣では将軍慶喜の側近である梅沢孫太郎や渋沢成一郎、そして近藤勇などである。
渋沢は尾張や越前など大政奉還支持派に出向いて説得を試みている。それは御三家・親藩連合を軍事的に形成しようという強硬路線である。その鼻息の荒いこと、荒いこと(笑)。
また近江屋事件の2日前に、近藤勇が大政奉還を支持する尾張・越前両藩に対して恐喝しまくっている。このことが近藤にとっては不運だったのではないか。近江屋事件の嫌疑をかけられやすい直近の行動である。

龍馬の手紙では、陸奥宗光の台頭を確認。龍馬はビジネス関係を陸奥に委任している感じ。
また奥州仙台や丹波・丹後、さらに河内・播磨などでもビジネスチャンスを狙っているようである。何をやろうとしていたのだろうか?
また仙台に進出しようとしている沢屋(海援隊宿舎)の加七って、どんな人物なのか興味が湧いた。

受講者から永井尚志の政治的立場について鋭いご質問があり、みんなで考えた。

次回はいよいよ近江屋事件の記事などを読んでいきます。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング

スポンサーサイト

【2010/06/04 00:33】 | てらこや
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。