歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
同日、同所で2つのイベントが重なった。
両方出席したいが、なかなかそういうわけにもいかない。
会場はともに駒澤大学の1号館。フロアを上下しての開催となった。

戦国史研究会は、

「織田権力論―領域支配の視点から―」

という私の守備範囲のテーマだから無視するわけにはいかない。

一方、明治維新史学会には、友人の町田明広氏や中村武生氏も参加していたし、高木不二さんや落合弘樹さんの報告も聴きたかった。
同会は同時に同大学所蔵の徳富蘇峰旧蔵品「維新回天帖」の展示もしていたので、一度、抜け出して見学した。
こちらに小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通などの書簡が展示されているのがわかっていたからである。
とくに小松宛ての書簡が多い。
後藤象二郎が小松に宛てた書簡は慶応3年9月のものと思われ、土佐藩が大政奉還建白書を提出する数日前のものではないかと思った。非常に貴重な文書である。

戦国史研究会のシンポは報告者がじつに9名という多数だった。
織田権力の領域支配がテーマになっているのは、織田権力が信長個人の個性に収斂する傾向があるのに対して、やはり、その領国経営の実態や、家臣団の動向を詳しく見るべきだという問題意識に基づくもので、織田権力論にとって、かねてから指摘されていた課題だったから、私も異議はない。

たとえば、和泉国という、この時期、あまり話題にならない地域(堺は除く)で、織田権力がどのように浸透していったのか(実際は国人支配を追認するものだったらしい)という検討はとても新鮮だった。
また信忠の尾張・美濃経営では、その領域支配のとらえ方にはいささか異議があった。あとで谷口克広氏とお話したときも話題になったが、尾張・美濃には信長の旗本家臣領が相当残っており、そこには信忠の支配は及んでいないのではないかと思われた。
それでも、信忠の官位問題の指摘については、私もかねがね疑問に思っていたことだったので興味深かった。

全体を通じて、織田権力の領域支配がかなり具体的になった感じで、個人的にも得るところが多かった。報告者たちは2年間も準備に費やしたとのことで、その苦労のほどがうかがわれた。

もっとも、素朴な疑問もないわけではない。
たとえば、支城領主(勝家・光秀・秀吉など)が織田権力末期には外交権さえ保持していたという指摘はどうだろうか? 
それをいうなら、明智光秀は天正3年(1575)にすでに長宗我部氏との間で外交を展開しており、もっと遡るということになる。しかし、光秀の対長宗我部外交は明らかに同10年(1582)に信長によって否定される。これで外交権をもっていたといえるか。
要は、信長の許容範囲内で、支城領主たちは外交に関して一定の裁量をもちえただけで、外交権はあくまで信長が保持していたと見るべきではないのか。そもそも「上様」「公儀」である信長を無視した外交が展開されたら、「政権」とはいえないだろう。
また城割政策が天正8、9年あたりから各領域で展開されている事実も指摘されている。ほとんどの報告者が支城領主たちの独自性、自律性を強調していたが、こうした政策基調の共通点は偶然なのだろうか。やはり統一権力の上から意志を支城領主たちが遂行しているという見方はできないのか。

また、独自性、自律性という言葉にもやや違和感をもった。
各領域において、ある時期から信長の朱印状発給がなくなることなどを契機に、支城領主たちによる領域支配が独自に展開されたとするが、地域の条件の違いという意味での「独自性」は承認しえても、「自律性」はどうなのだろうか? 外交権ひとつとっても「自律性」があったとは考えにくい。
それに、支城領主の典型といってよい佐久間信盛の改易という冷厳な事実を、支城領主たちの「独自性」「自律性」からどのように説明できるのだろうか?

支城領主たちも結局、信長の掌の上での「独自性」「自律性」だったのではないかという感が否めないのだが……。

シンポの最後に、池享さんから、それでは織田権力って何なんだという趣旨の疑問が述べられたが、私もそのように感じた。

今回のシンポの目的が織田権力の領域支配に焦点をあてるだけで、その先の結論を述べるのは時期尚早ではないかという報告者の発言もあったが、それでも、織田権力が戦国大名と変わらない、大戦国大名であるだけだという趣旨の発言も漏れ聞こえた。
それでは、織田権力が他の戦国大名と異なるのは、領国規模が大きいのと京都を支配しているだけということになりそうだが、それでいいのだろうか?
何というか、もっとも根源的な疑問を突きつけられた会だった気がした。もっと勉強しないといけなさそうだ。

シンポ終了後、予定外の2次会に参加。
大家先生をはじめ、多くの方々がおいでだった。懐かしい方とも何人かお会いできた。

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【2010/06/13 11:37】 | イベント
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織田権力研究の難しさ
御座候
お疲れ様でした。


織田権力を近世の統一権力の前提と捉えず、発給文書の網羅的蒐集に基づき、同時代・他地域の地域権力(戦国大名)との同質性を検討するという視角には一定の意義があったのではないか、と思いました。そうした視角を徹底すると「大戦国大名」という評価になるのでしょうね。

ただ一方で、信長による畿内近国支配は室町幕府(将軍)のそれと大差ない、と論じる報告者もいらっしゃり(懇親会でも「織田権力は外に拡張する一方で信長の膝下にあたる畿内近国の支配は意外に脆弱」という意見が出されていましたね)、その辺りの相反するイメージをどう統合するのかが課題であるように感じました。

結局、織田信長の政権構想が完全な形で実現する前に、唐突な形で織田権力が破綻してしまったので、後世の人間は「完成型」を知ることが出来ないんですよね。織田権力は全期間を通じて「過渡期」の様相を呈しているわけで、後世から見ると、ある部分は先進的で、ある部分は保守的というか、チグハグな印象を抱かざるを得ません。戦争遂行政権に特有な、良く言えば臨機応変、悪く言えば場当たり的な対応も含め、織田権力研究の根本的な難しさを痛感させられました。



>支城領主の典型といってよい佐久間信盛の改易という冷厳な事実を、支城領主たちの「独自性」「自律性」からどのように説明できるのだろうか?

報告者のお一人が「全権を委ねられているからこそ、統治に失敗した場合は、全責任を負わされて改易の憂き目に遭う」と説明されていましたね。まあ理屈としては成り立つようにも思いますが、さて実際のところはどうなんでしょうね・・・

管理人のみ閲覧できます
-


どうもありがとうございました。
まるしま
突然失礼申し上げます。丸島です。
当日は、お越し頂きありがとうございました。懇親会でご挨拶しようと思ったのですが、慌ただしい中で機会を逸してしまい、失礼を申し上げました。また御意見をたまわり、重ねて御礼申し上げます。

ご批判頂いた点について、ちょっとだけ補足。まず外交権ですが(本来の私の専門分野はこれなんで)、あれは外交書状を出す許可というニュアンスです。外交方針の最終決定権が、信長にあるのは当然です。報告者の説明不足ですね。戦国大名の場合、勝手な他家との音信は処罰対象ですから(これは織田も同じはず)、取次として動き出すのがいつか、という意味です。

それからより本質的なご指摘ですが、領域支配の問題を考える上では、一度中央政権という前提を取っ払ってみたほうが良いんじゃないか、というのが個人的意見です(異論がいっぱいでそうですが)。このふたつって、別の問題として把握したほうがいいんじゃないのかなぁと。

貴重なご批判、どうもありがとうございました。

佐久間信盛
桐野
御座候さん、こんにちは。

ご意見有難うございます。
「過渡期」「ある部分で先進的で、ある部分で保守的」というご指摘には同感です。
そのあたりで、どちらに力点を置くかで異なるイメージが結ばれるのでしょうね。

佐久間信盛については、その領域支配がどのようなものだったのか、ほとんど史料がないので、どうしようもありませんね。
もっとも、通説としては、領域支配の統治能力というよりも、本願寺攻めが長びいた責任をとらされ、「武篇道」怠慢という理由での改易になっています。
信長の恣意的な権力行使にも見えるのですが、判断が難しいですね。



ご意見多謝
桐野
まるしまさん、はじめまして。

当日はお疲れさまでした。
越前国掟についての新たな解釈など、勉強させてもらいました。
ご意見、有難うございます。
さらに解説していただき、感謝です。
私の考えが浅かったかもしれないですね。

領域支配についてのお考えもわかりました。たしかに中央政権の枠があると、余計な判断をしがちになりそうですね。それはそれとして、予断を交えずに検討してみるという態度は重要だと思います。
ただ、それでは統一権力はどのような契機で生成されるのかという点が個人的にはわからなくなってしまって困っております(笑)。

ところで、せっかくなのでお尋ねしたいことがあります。
以前、私のブログで、まるしまさんのご論考に触れました。
http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-66.html

勝頼の官途についての論文「武田「四郎」勝頼と「大膳大夫」勝頼」をお書きになっていますか?
私のメモにそうあったのですが、探せずにおります。私の記憶違いかもしれませんが、もしご存じのことがありましたら、ご教示いただければ幸いです。


拙文につきまして
まるしま
ええと、「武田「四郎」勝頼と「大膳大夫」勝頼」ですが、たしかに以前書いております。
『武田氏研究』24号の18頁の下段に掲載されたコラムです。柴辻先生に、「雑誌を編集してたら隙間が空いた。来週までに埋めてくれ。600字くらいで」と頼まれて、急遽書いたものでして…。目次にも載っておりません(時々こういうのがあります)。

もし雑誌がお手許にないようでしたら、データをメールなりで送付いたします。なにしろ、わずか700字の短文で、文章と呼べるかどうかも怪しい代物ですが。

ご教示御礼
桐野
まるしまさん、こんにちは。

さっそくのご教示、有難うございます。
やはり「武田氏研究」に掲載されていたんですね。
目次に載っていなかったので、てっきり記憶違いしたと思い込んでいました。

私も武田氏研究会の会員ですので、当該号はもっておりますので大丈夫です。
有難うございました。

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この記事へのコメント
織田権力研究の難しさ
お疲れ様でした。


織田権力を近世の統一権力の前提と捉えず、発給文書の網羅的蒐集に基づき、同時代・他地域の地域権力(戦国大名)との同質性を検討するという視角には一定の意義があったのではないか、と思いました。そうした視角を徹底すると「大戦国大名」という評価になるのでしょうね。

ただ一方で、信長による畿内近国支配は室町幕府(将軍)のそれと大差ない、と論じる報告者もいらっしゃり(懇親会でも「織田権力は外に拡張する一方で信長の膝下にあたる畿内近国の支配は意外に脆弱」という意見が出されていましたね)、その辺りの相反するイメージをどう統合するのかが課題であるように感じました。

結局、織田信長の政権構想が完全な形で実現する前に、唐突な形で織田権力が破綻してしまったので、後世の人間は「完成型」を知ることが出来ないんですよね。織田権力は全期間を通じて「過渡期」の様相を呈しているわけで、後世から見ると、ある部分は先進的で、ある部分は保守的というか、チグハグな印象を抱かざるを得ません。戦争遂行政権に特有な、良く言えば臨機応変、悪く言えば場当たり的な対応も含め、織田権力研究の根本的な難しさを痛感させられました。



>支城領主の典型といってよい佐久間信盛の改易という冷厳な事実を、支城領主たちの「独自性」「自律性」からどのように説明できるのだろうか?

報告者のお一人が「全権を委ねられているからこそ、統治に失敗した場合は、全責任を負わされて改易の憂き目に遭う」と説明されていましたね。まあ理屈としては成り立つようにも思いますが、さて実際のところはどうなんでしょうね・・・
2010/06/13(Sun) 14:46 | URL  | 御座候 #vWEeux/c[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/06/13(Sun) 23:40 |   |  #[ 編集]
どうもありがとうございました。
突然失礼申し上げます。丸島です。
当日は、お越し頂きありがとうございました。懇親会でご挨拶しようと思ったのですが、慌ただしい中で機会を逸してしまい、失礼を申し上げました。また御意見をたまわり、重ねて御礼申し上げます。

ご批判頂いた点について、ちょっとだけ補足。まず外交権ですが(本来の私の専門分野はこれなんで)、あれは外交書状を出す許可というニュアンスです。外交方針の最終決定権が、信長にあるのは当然です。報告者の説明不足ですね。戦国大名の場合、勝手な他家との音信は処罰対象ですから(これは織田も同じはず)、取次として動き出すのがいつか、という意味です。

それからより本質的なご指摘ですが、領域支配の問題を考える上では、一度中央政権という前提を取っ払ってみたほうが良いんじゃないか、というのが個人的意見です(異論がいっぱいでそうですが)。このふたつって、別の問題として把握したほうがいいんじゃないのかなぁと。

貴重なご批判、どうもありがとうございました。
2010/06/14(Mon) 01:11 | URL  | まるしま #BNp6kJSU[ 編集]
佐久間信盛
御座候さん、こんにちは。

ご意見有難うございます。
「過渡期」「ある部分で先進的で、ある部分で保守的」というご指摘には同感です。
そのあたりで、どちらに力点を置くかで異なるイメージが結ばれるのでしょうね。

佐久間信盛については、その領域支配がどのようなものだったのか、ほとんど史料がないので、どうしようもありませんね。
もっとも、通説としては、領域支配の統治能力というよりも、本願寺攻めが長びいた責任をとらされ、「武篇道」怠慢という理由での改易になっています。
信長の恣意的な権力行使にも見えるのですが、判断が難しいですね。

2010/06/15(Tue) 09:42 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
ご意見多謝
まるしまさん、はじめまして。

当日はお疲れさまでした。
越前国掟についての新たな解釈など、勉強させてもらいました。
ご意見、有難うございます。
さらに解説していただき、感謝です。
私の考えが浅かったかもしれないですね。

領域支配についてのお考えもわかりました。たしかに中央政権の枠があると、余計な判断をしがちになりそうですね。それはそれとして、予断を交えずに検討してみるという態度は重要だと思います。
ただ、それでは統一権力はどのような契機で生成されるのかという点が個人的にはわからなくなってしまって困っております(笑)。

ところで、せっかくなのでお尋ねしたいことがあります。
以前、私のブログで、まるしまさんのご論考に触れました。
http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-66.html

勝頼の官途についての論文「武田「四郎」勝頼と「大膳大夫」勝頼」をお書きになっていますか?
私のメモにそうあったのですが、探せずにおります。私の記憶違いかもしれませんが、もしご存じのことがありましたら、ご教示いただければ幸いです。
2010/06/15(Tue) 10:43 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
拙文につきまして
ええと、「武田「四郎」勝頼と「大膳大夫」勝頼」ですが、たしかに以前書いております。
『武田氏研究』24号の18頁の下段に掲載されたコラムです。柴辻先生に、「雑誌を編集してたら隙間が空いた。来週までに埋めてくれ。600字くらいで」と頼まれて、急遽書いたものでして…。目次にも載っておりません(時々こういうのがあります)。

もし雑誌がお手許にないようでしたら、データをメールなりで送付いたします。なにしろ、わずか700字の短文で、文章と呼べるかどうかも怪しい代物ですが。
2010/06/16(Wed) 00:03 | URL  | まるしま #BNp6kJSU[ 編集]
ご教示御礼
まるしまさん、こんにちは。

さっそくのご教示、有難うございます。
やはり「武田氏研究」に掲載されていたんですね。
目次に載っていなかったので、てっきり記憶違いしたと思い込んでいました。

私も武田氏研究会の会員ですので、当該号はもっておりますので大丈夫です。
有難うございました。
2010/06/16(Wed) 08:32 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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