歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
日次記です。

先週は恒例の月末講座が多い週でした。

23日(水)
午後から横浜市栄区テレビセミナーの講演。
自宅からかなり遠いと思っていたが、湘南新宿ラインのおかげで意外と早く到着。
大河ドラマ「龍馬伝」に関連した連続講座(全6回)の5回目で、すでに同ドラマ・プロデューサー氏などのお話もあった由。
会場は地球市民かながわプラザホールというデザイン性あふれた立派なホール。
開場前から聴衆がおいでで、会場は300名ほどで埋まった。
有料なのに有難い限りである。
主催者は区民のボランティアの方々。
送迎など、いろいろ親身にお世話いただいて、これまた多謝。

演題は「薩長同盟論の現在」。
話は薩長同盟の名称や目的・性格について、いつもの持論を語る。
間に10分休憩を挟んで、2時間の長丁場だったが、それでも、最後は駆け足になった。困ったものである。

24日(木)
早朝、新幹線で名古屋へ。
栄・中日文化センターの講座2コマ。
13:00から「信長公記を読み解く
今回は「金ヶ崎の退き口と元亀争乱の幕開け」。
信長が諸国の大名や守護などに送った触状を分析。
興福寺一乗院の坊官の日記「二条宴乗日記」に写しがあるところを見ると、松永久秀筋から得たものか。
この触状は多数発給されたはずだが、現存しているのはこの写しだけではないだろうか。
ほかにも、お市の方の有名な小豆の袋の逸話も紹介する。
来年の大河ドラマには間違いなく登場するエピソードだと思うので、予習のつもりで読んだ。
この講座はほとんど欠席もなく、受講者のみなさん熱心である。
最新刊の拙著を紹介するのをうっかりして忘れてしまった。
もし、このブログをご覧の受講生の方がいらしたら、ここに紹介記事がありますので、ご覧下さい。

このシリーズの第2期が終わりました。
来月からは同じく第3期に入ります。元亀争乱を正面から取り上げます。
以下のようなカリキュラムです。

① 7/22 姉川合戦の再検討
② 8/26 野田・福島の陣と本願寺挙兵
③ 9/30 志賀の陣と「勅命講和」
④10/28 比叡山焼き討ちと明智光秀
⑤11/25 小谷封じ込めと異見十七カ条
⑥12/23 武田信玄の西上と三方ヶ原合戦


途中からの受講も大歓迎です。
信長の生涯ではここからが面白いところです。
ご参加をお待ちしております。
詳しくは同センターサイトのここをご覧下さい。

15:30から教室を変えて、2コマ目の「戦国の手紙を読む」。
今回は3回目で「安国寺恵瓊―羽柴秀吉への傾倒―」と題して、3点の書状を読んだ。
もちろん、有名な信長・秀吉を批評した書状を中心に考えていた。
この書状のことは、戦国ファンならよくご存じだろうが、全文を読んだ方はそれほど多くないだろう。
秀吉を「さりとてはの者」と評したことで有名だが、じつはこの言葉はこの書状にもう1カ所出てくることはあまり知られていない。それは三好義継の代わりに家来が腹を切ったという一件。そのありさまが「さりとては」の腹切りだというのである。
この「さりとては」をどのように理解するかを考えた。
とりあえずの結論は、主君と家来を対比的に描き、家来を持ち上げる(=主君をけなす)意図が込められていたのではないかというもの。妥当な解釈かどうかはわかりません。
恵瓊関係の史料として『東福寺誌』所載の史料も少し触れた。
恵瓊は東福寺の住持となっており、退耕庵を創建していることでも知られる。
関ヶ原合戦後の恵瓊書状らしきものがあった。東福寺の寺中は恵瓊には加担していないという趣旨のもの。
差出人が恵瓊で、寺中が宛所になっている。でも、どうも逆ではないかと思ったが、よくわからない。

結局、この書状でほとんど時間を使いきり、残りの2点を10分ほどでやる羽目になった(汗)。

終了後、上洛。

25日(金)
午前中、洛北岩倉へ行く。実相院ではなく対岳文庫を訪問。
じつはどうしても確かめたいことがあった。
管理人さんに館の扉を開けていただく。ほかにはほとんど来訪者がないのだろうか。
しかし、目当てのものはなかった。あとで管理人さんに詳しく話をうかがい、事情がよくわかった。
目的の達成度は半分。残念。
午後から反転して、宇治に行く。
槙島城跡を前から見てみたかったのと、すぐ近くの平等院は未訪問だったから、一度は現世の浄土をのぞいてみたいと思った次第。
あいにく小雨がぱらつく。
それでも有名な観光地だけに人が多い。
鳳凰堂は想像していたより小さかった。いかにも1000年前の木造建築だと感嘆。
朱塗りや漆塗りなどがあったのだろうが、だいぶ剥げ落ちている。でも、そこに歴史の風格を感じる。
真西を向いているという鳳凰堂の阿弥陀仏のご尊顔が丸い穴からのぞけました。
藤原氏の栄華と浄土への憧れのほどを実感。
鳳凰堂

宇治川は満々と水を湛え、流れが速く、白波が立っていた。
源平合戦での佐々木高綱と梶原景季の先陣争いに思いを致し、この激流に「いけづき」と「するすみ」がざんぶと飛び込んだのかと思うと感無量だった。
紫式部
宇治川の激流と紫式部像

が、折からの梅雨期で上流のダムが満杯になってしまい、大量に放流しているゆえの激流だったことがわかった。
はて、宇治川合戦での水量はどの程度だったのか?
先陣争いの碑や、源三位頼政の墓も参拝。
先陣争い
宇治川先陣争いの記念碑(一戸兵衛の揮毫だった)

槙島城の石碑は2カ所に碑が建っていることがわかっていた。
でも、道に迷ってウロウロする。
宇治はけっこう工場が多い。ユニチカや任天堂などがあった。
地元にあった町内地図に、同城址の保存顕彰会の事務局があるのを見つけて、お宅にうかがう。
これ以上ないガイドで、詳しく教えていただいた。感謝。
ひとつは、やや広い槙島公園に石碑が立っていた。
もうひとつは小さな児童公園の一角にあった。こちらが槙島城の本丸にあたるらしい。
槙島城
槙島公園にある城址記念碑

25日(土)
講座の日だが、新聞連載の原稿の締切なので早起きして書く。
何とか午前中にゲラを出してもらい、校正を済ませた。
相変わらずの綱渡りである。

午後から神奈川県大和市に行く。
小田急線に乗ったが、当初予定していた藤沢行きの快速急行(特急の次に速い)に乗ればよかったのに、待ち時間が15分以上あったので、各停や急行を乗り継いだところ、結局、後続の快速急行に抜かれてしまうという体たらく(苦笑)。
どうも小田急線には昔から慣れないな。

会場は大和市生涯学習センターの大会議室。
当初の募集は50名を予定していたそうだが、主催者の話では応募が多かったらしく、おそらく100名以上の受講者がいらしたのではないだろうか。

これは同市の「やまと市民大学」の講座。

「坂本龍馬の生涯を知る」

という6回講座の初回で、私は第4回と合わせて2回担当する予定。

今回は「坂本龍馬と薩摩藩」

レジュメもきっちりと8枚も用意(笑)。
とくに吉井幸輔について詳しく語る。
大河ドラマにはおそらく登場しないだろうけれど、龍馬ともっとも親しかった薩摩藩士だったことを強調。
こちらも間に休憩を挟んで2時間の講座だった。

質問タイムでは、龍馬が生きていたら、その後の歴史の展開はどうなったのかとか、龍馬は横浜に来たことがあるのかといったなかなか面白い質問があった。
みなさん、熱心に聴講していただき、感謝です。
送迎していただいた市の職員さんにも感謝。

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【2010/06/27 15:07】 | 中日文化センター
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対岳文庫
ばんない
こんばんは。

岩倉具視の隠棲地は、今大修理中で公開中断してませんでしたっけ?
去年行ったときに、そういう話をちらっと聞いたような記憶があったので…勘違いだったら済みません。

…でもあそこは以前からも平日はとりわけ見学客少なかったです(失礼)

修復中でした
桐野
ばんないさん、お久しぶりです。

対岳文庫横の岩倉隠棲の家は屋根を葺き替え中で、足場とシートで覆われていました。秋に作業は終了すると聞いたような気がします。
対岳文庫の管理人さんが、ワラの入手などや人手が大変だと仰せでした。

No title
ばんない
こんにちは。お返事ありがとうございました。

稲刈り機が良くなって、藁の粉砕までするようになってしまったので藁の入手は困難になってしまったとか聞いたことがあります。岩倉具視の旧宅のある辺りは今でも田んぼが多いですが、最近では刈り取り期に藁を干している田んぼは見たことがありません…農家の人は楽になったんでしょうが痛し痒しですね。

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この記事へのコメント
対岳文庫
こんばんは。

岩倉具視の隠棲地は、今大修理中で公開中断してませんでしたっけ?
去年行ったときに、そういう話をちらっと聞いたような記憶があったので…勘違いだったら済みません。

…でもあそこは以前からも平日はとりわけ見学客少なかったです(失礼)
2010/07/02(Fri) 19:48 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
修復中でした
ばんないさん、お久しぶりです。

対岳文庫横の岩倉隠棲の家は屋根を葺き替え中で、足場とシートで覆われていました。秋に作業は終了すると聞いたような気がします。
対岳文庫の管理人さんが、ワラの入手などや人手が大変だと仰せでした。
2010/07/02(Fri) 21:34 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
No title
こんにちは。お返事ありがとうございました。

稲刈り機が良くなって、藁の粉砕までするようになってしまったので藁の入手は困難になってしまったとか聞いたことがあります。岩倉具視の旧宅のある辺りは今でも田んぼが多いですが、最近では刈り取り期に藁を干している田んぼは見たことがありません…農家の人は楽になったんでしょうが痛し痒しですね。
2010/07/05(Mon) 18:46 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
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