歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第156回
―大久保暗殺企て国事犯に―

昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

中山中左衛門実善の連載の最終回です。
今回は、中山が国事犯へと転落してしまいます。
これはあまり知られていない史実だと思います。しかも、罪状が大久保利通暗殺の謀議ですから、これは因縁というほかありません。

記事にも書いたように、明治7~8年、島津久光が国政に登場し、左大臣となりました。
久光は、大久保らが推進する開化政策を過度な欧化政策で、わが国の美風を損なうと立場から激しく大久保を攻撃します。かつて自分が薫陶した家来と、政府内で激突したわけです。久光は大久保の罷免を要求したほどです。

中山の上京から謀議、逮捕に至る一連の動きは、久光の政治運動と密接に関連しているようです。
中山はかつての攘夷派士族たちに久光の復古政策を支持するよう呼びかけるために活動していました。
それが久光の辞職を機に急進化し、ついには大久保暗殺の密議までこらすようになってしまいました。

この中山投獄一件については、友人の研究者である落合弘樹氏の著書『明治国家と士族』(吉川弘文館、2001年)から学びました。学恩に感謝です。
そのヒントから国立公文書館所蔵の史料群を漁っていたら、中山の供述調書を見つけたので、それをもとにまとめたものです。

中山と大久保といえば、文久2年(1862)、久光の率兵上京のため、共に手を携えて尽力した仲間同士です。
それが一方の他方の暗殺未遂までに立ち至るとは、2人の明暗や陰陽を感じざるをえません。
また投獄されたときには、西郷軍が熊本城に攻めかかっているときで、中山を「粗暴で無暗」と非難してやまなかった西郷との因縁も感じます。
また獄死したのは、西郷の死の4カ月後、大久保の死の4カ月前だというのも奇縁を感じます。

なお、中山の墓は東京・青山墓地にあります。
ふつう、同墓地には国事犯や朝敵となった人々は埋葬されません。
では、なぜ同墓地に中山の墓があるのかといえば、子息尚之介があとから改葬したからだと思われます。
尚之介(1861~1912)はおそらく官僚になったのではないかと思いますが、まだ調査が及んでおりません。
もしご存じの方がおいでなら、ご教示のほどを。
子息尚之介の墓も掲げておきます。青山墓地の同じ区画にあります。
尚之介

余談
今回の連載記事と同日に、小生の紹介記事も掲載してもらいました。
参院選開票翌日の特別編集という大事な紙面なのに、文化面で拙稿とともに2本も取り上げていただきました。目立つこと目立つこと(汗)。
拙著『関ヶ原 島津退き口』(詳しくはここ)の著者紹介です。
大きな写真付きで恥ずかしいです。
立派な書評も書いていただいたうえに、著者まで取り上げていただき、感謝しております。

次回は今回と関連した一件で、明治8年(1875)、左大臣久光の復古政策とその人事構想について書く予定です。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2010/07/14 00:06】 | さつま人国誌
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知りませんでした
tsubu
桐野先生、こんにちは。

中山実善についての「さつま人国誌」、大変興味深く拝見しました。
恥ずかしながら、中山が最後に大久保暗殺を企てて獄死していたことを
初めて知りました。
昔一度中山の末路を調べようとしたことがあったのですが、力不足で
調べきることが出来なかったため、今回は本当に勉強になりました。

西郷や大久保がこの世を去った明治10年、11年という年は、薩摩藩閥
(旧薩摩藩関係者)にとって、一つの大きなターニングポイントとも
言える年だと思いますが、中山も同じくこの世を去っていたのですね。

次回の久光の復古政策とその人事構想について、今から拝見するのが
楽しみです。
「さつま人国誌」は、薩摩藩の歴史を愛好する者にとって、大変貴重
でありがたい連載ですので、お忙しい中の執筆は大変だと思いますが、
これからも末永く連載して頂けると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。

中山のこと
桐野
tsubuさん、お久しぶりです。

コメント有難うございます。
あれだけお詳しいtsubuさんもご存じでなかったとは!

記事でも紹介しました落合弘樹さんの著書に当時の中山だけではなく、「不平士族」たちの全般的動向が詳しく書かれているので、機会があったらお読み下さい。

連載も4年目に突入と、だいぶ長くなりました。
拙稿にもかかわらず、南日本新聞の太っ腹には感謝しているところです。


勉強になりました
tsubu
桐野先生、こんにちは。
こちらこそご無沙汰しております。

中山の末路については、全く知りませんでしたので、ほんとお恥ずかしい限りです(>_<)
桐野先生の著作やエッセイ等を拝見していますと、自分の知識不足に汗顔の至りです。。。
『島津退き口』も早速購読し、大変勉強させて頂きました。

さて、「太政類典」の中山の供述調書を公文書館のデジタルアーカイブで読みました。
中山の供述だけを信用すると、金蔓ではないですが、中山も利用された可能性がチラホラと見受けられますね。
ただ、丹羽精五郎他の調書を読むと、中山が積極的に加担していたような供述をしていますので、中山と彼等の供述とにはかなり温度差がありますね……。
落合弘樹さんの著書については、その存在は知っていたのですが、まだ未読ですので是非今度読んでみたいと思います。

p.s「さつま人国誌」、単行本の続刊を期待して待っております!

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知りませんでした
桐野先生、こんにちは。

中山実善についての「さつま人国誌」、大変興味深く拝見しました。
恥ずかしながら、中山が最後に大久保暗殺を企てて獄死していたことを
初めて知りました。
昔一度中山の末路を調べようとしたことがあったのですが、力不足で
調べきることが出来なかったため、今回は本当に勉強になりました。

西郷や大久保がこの世を去った明治10年、11年という年は、薩摩藩閥
(旧薩摩藩関係者)にとって、一つの大きなターニングポイントとも
言える年だと思いますが、中山も同じくこの世を去っていたのですね。

次回の久光の復古政策とその人事構想について、今から拝見するのが
楽しみです。
「さつま人国誌」は、薩摩藩の歴史を愛好する者にとって、大変貴重
でありがたい連載ですので、お忙しい中の執筆は大変だと思いますが、
これからも末永く連載して頂けると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
2010/07/14(Wed) 08:56 | URL  | tsubu #-[ 編集]
中山のこと
tsubuさん、お久しぶりです。

コメント有難うございます。
あれだけお詳しいtsubuさんもご存じでなかったとは!

記事でも紹介しました落合弘樹さんの著書に当時の中山だけではなく、「不平士族」たちの全般的動向が詳しく書かれているので、機会があったらお読み下さい。

連載も4年目に突入と、だいぶ長くなりました。
拙稿にもかかわらず、南日本新聞の太っ腹には感謝しているところです。
2010/07/14(Wed) 10:39 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
勉強になりました
桐野先生、こんにちは。
こちらこそご無沙汰しております。

中山の末路については、全く知りませんでしたので、ほんとお恥ずかしい限りです(>_<)
桐野先生の著作やエッセイ等を拝見していますと、自分の知識不足に汗顔の至りです。。。
『島津退き口』も早速購読し、大変勉強させて頂きました。

さて、「太政類典」の中山の供述調書を公文書館のデジタルアーカイブで読みました。
中山の供述だけを信用すると、金蔓ではないですが、中山も利用された可能性がチラホラと見受けられますね。
ただ、丹羽精五郎他の調書を読むと、中山が積極的に加担していたような供述をしていますので、中山と彼等の供述とにはかなり温度差がありますね……。
落合弘樹さんの著書については、その存在は知っていたのですが、まだ未読ですので是非今度読んでみたいと思います。

p.s「さつま人国誌」、単行本の続刊を期待して待っております!
2010/07/14(Wed) 17:47 | URL  | tsubu #-[ 編集]
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