歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第157回
―開化に反発、幻の政権構想―

連載が昨日更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は前回の中山中左衛門の国事犯の一件との関連記事です。
島津久光が明治6年から同9年までの3年有余、左大臣という明治政府の要職にありました。太政大臣の三条実美に次ぐナンバー2の地位でした。

久光が復古的な政策の持ち主だったことはよく知られています。
殖産興業、富国強兵路線を突き進む流れのなかでは、久光の政策が主流になる可能性はかなり小さかったといえますが、政府内外にまったく支持者がいなかったわけではありません。
とくに旧攘夷派で在野の士族たちからは相当の支持があり、たとえば、佐賀の憂国党の首領・島義勇は久光を「日本の中興第一の元老」と高く評価しているほどでした。

彼らの支持と、地租改正に苦しむ農民や急激な欧化政策に不安をもつ中間層を背景に、久光がひそかに自らを首班とする政権構想を抱いており、具体的な人事構想まで考えていたというのが、今回の胆です。
このことはあまり知られていないのではないでしょうか。

記事にも書きましたが、玉里島津家史料の何げない官員推薦の覚書がその実、内閣名簿案だったという指摘は驚きでした。
そこに挙げられた10人は明治政府主流の反対派や保守派の面々で、なかなかの人物たちです。これはあくまで久光たちの願望で、10名すべてが久光を支持していたとは思えませんが、興味深いですね。

そして、名簿にはありませんが、久光が一番期待していた人物こそ西郷その人だったと思います。
実際に西郷スカウトのため、内田政風が西郷に支持を要請する書簡を送り、その自宅まで訪問していますが、西郷は理由をつけて、内田と面会しておりません。
久光は、西郷は大久保と対立したから味方になってくれるのではという願望があったのかもしれませんが、西郷にしても、大久保とは対立したとはいえ、久光路線を到底支持できるはずもなかったでしょうし、かつての因縁も甦ってきたことでしょう。
西郷との関係は紙数の関係で書けませんでしたが、もし西郷が久光を支持したら、大久保政府も無視できない一大勢力になったことは間違いないでしょうね。

久光と西郷・大久保の長い関係を考えますと、むしろ久光と大久保が親しかったはずですが、征韓論争ののちは関係が逆転して、大久保が久光の最大の政敵になっています。
三者のトライアングルな、めぐりめぐる因縁の連鎖を感じます。

次回はやはりほぼ同じ時期の反政府勢力の一員だった人物を取り上げる予定です。
この人は「朝敵」藩の出身で、薩摩とはこれまた切っても切れぬ因縁で結ばれた人です。
お楽しみに。

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【2010/07/20 16:34】 | さつま人国誌
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7月23日 NHK総合の番組「燃え萌え!戦国武将列伝」について
市川
桐野先生、こんばんは。
タイトルの番組をたったいま見たのですが、どうしても感想を言っておきたくて投稿します。
番組内容は九州の武将・島津家久と鍋島直茂を歴女二人が熱く語るものでした。

個人的に感じたことは、番組の中で直茂は主君龍造寺隆信をとても大切にしている感じなのですが、彼は本当に龍造寺家を大事にしようと思っていたのでしょうか。またせっかく期待して見たのに、あまりに周囲の人間をはしょり過ぎだと思います。

九州の武将を歴女が語る。時代は変わったと思います。
以上、単なる感想文に終始してしまいましたが、どうしてもこの興奮を文書にしたくて送りました。失礼します。


すみません
桐野
市川さん、こんにちは。

その番組見せませんので、何とも感想を述べようがありません。

鍋島直茂と龍造寺氏の関係は微妙ですね。
もともと親戚ですが、隆信の子、政家が病弱だったのか、朝鮮出兵は直茂が名代となって出陣します。
これをきっかけに、秀吉は直茂を龍造寺氏の代表とみなすようになります。こうした既成事実が積み重なり、龍造寺氏に代わり、鍋島氏が大名として独立した存在になったのだと思います。
直茂は秀吉や家康をうまく利用しましたね。

もちろん、龍造寺側には怨念が生じたのでしょう。有名な化け猫騒動がその表れだと思います。



返信ありがとうございます
市川
桐野先生、返信ありがとうございます。

どのような人物であれ、結果的に主家を出し抜いた直茂はやはり「戦国武将」に相応しい才能を持った人物だったのでしょうね。
そういう点では、慶長年代前に亡くなった家久にはない人生の紆余曲折だと思います(幸か不幸か)。

これからも応援してます、頑張って下さい。


ばんない
古い記事へのコメントで失礼します。

中山実善の記事に関する私のコメントですが、ちょっとネタバレっぽくなってしまったようですね。本当に申し訳ありませんでした。

島津久光は維新後は西郷隆盛に秋波を送っていたというのが驚きでした。まあ、でもこの記事でも桐野さんが指摘してますように、私も久光と隆盛の連携はとても無理だったように思います。余り良い例えじゃないですが、北朝鮮と日本が連携してアメリカを攻撃する、というくらいあり得ないように思います。

…しかし、かつて沖永良部島に流刑にするほど憎しみ嫌っていた西郷隆盛に、一転してこうやって近づこうとする辺りに、島津久光は所詮”お殿様”だったんだなあ、なんて感想を抱いてしまいました。ちなみに、西南戦争後に久光、隆盛の悪口(あいつは絶対反逆を起こすと思ったとか云々)を言っていたという話を何かの本で読んだ記憶があるのですが…ちょっと本のタイトルなどは失念してしまいました。

久光一派
桐野
ばんないさん、こんにちは。

久光も策士で、敵の敵は味方とばかりに、西郷に秋波を送っていたのでしょうね。

しかし、久光の側近は内田はまだしも、奈良原繁や海江田信義がいて、西郷がもっとも嫌っている連中ですね。
薩摩藩内の派閥分けも時期ごとにまとめても面白いかもしれません。
その前提として、幕末薩摩藩人名辞典をまず作成しないといけないですね。いかがですか?

それは…
ばんない
>その前提として、幕末薩摩藩人名辞典をまず作成しないといけないですね。いかがですか?

それは桐野さんのお仕事じゃないんですか?(苦笑)
正直なところ、戦国時代の島津氏関連の女性だけで手一杯、というか、近頃ではこれもまともにできずにあっぷあっぷしてる状態なんです(滝汗)


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コメント
この記事へのコメント
7月23日 NHK総合の番組「燃え萌え!戦国武将列伝」について
桐野先生、こんばんは。
タイトルの番組をたったいま見たのですが、どうしても感想を言っておきたくて投稿します。
番組内容は九州の武将・島津家久と鍋島直茂を歴女二人が熱く語るものでした。

個人的に感じたことは、番組の中で直茂は主君龍造寺隆信をとても大切にしている感じなのですが、彼は本当に龍造寺家を大事にしようと思っていたのでしょうか。またせっかく期待して見たのに、あまりに周囲の人間をはしょり過ぎだと思います。

九州の武将を歴女が語る。時代は変わったと思います。
以上、単なる感想文に終始してしまいましたが、どうしてもこの興奮を文書にしたくて送りました。失礼します。
2010/07/23(Fri) 21:09 | URL  | 市川 #-[ 編集]
すみません
市川さん、こんにちは。

その番組見せませんので、何とも感想を述べようがありません。

鍋島直茂と龍造寺氏の関係は微妙ですね。
もともと親戚ですが、隆信の子、政家が病弱だったのか、朝鮮出兵は直茂が名代となって出陣します。
これをきっかけに、秀吉は直茂を龍造寺氏の代表とみなすようになります。こうした既成事実が積み重なり、龍造寺氏に代わり、鍋島氏が大名として独立した存在になったのだと思います。
直茂は秀吉や家康をうまく利用しましたね。

もちろん、龍造寺側には怨念が生じたのでしょう。有名な化け猫騒動がその表れだと思います。

2010/07/24(Sat) 11:01 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
返信ありがとうございます
桐野先生、返信ありがとうございます。

どのような人物であれ、結果的に主家を出し抜いた直茂はやはり「戦国武将」に相応しい才能を持った人物だったのでしょうね。
そういう点では、慶長年代前に亡くなった家久にはない人生の紆余曲折だと思います(幸か不幸か)。

これからも応援してます、頑張って下さい。
2010/07/24(Sat) 13:42 | URL  | 市川 #-[ 編集]
古い記事へのコメントで失礼します。

中山実善の記事に関する私のコメントですが、ちょっとネタバレっぽくなってしまったようですね。本当に申し訳ありませんでした。

島津久光は維新後は西郷隆盛に秋波を送っていたというのが驚きでした。まあ、でもこの記事でも桐野さんが指摘してますように、私も久光と隆盛の連携はとても無理だったように思います。余り良い例えじゃないですが、北朝鮮と日本が連携してアメリカを攻撃する、というくらいあり得ないように思います。

…しかし、かつて沖永良部島に流刑にするほど憎しみ嫌っていた西郷隆盛に、一転してこうやって近づこうとする辺りに、島津久光は所詮”お殿様”だったんだなあ、なんて感想を抱いてしまいました。ちなみに、西南戦争後に久光、隆盛の悪口(あいつは絶対反逆を起こすと思ったとか云々)を言っていたという話を何かの本で読んだ記憶があるのですが…ちょっと本のタイトルなどは失念してしまいました。
2010/07/29(Thu) 23:07 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
久光一派
ばんないさん、こんにちは。

久光も策士で、敵の敵は味方とばかりに、西郷に秋波を送っていたのでしょうね。

しかし、久光の側近は内田はまだしも、奈良原繁や海江田信義がいて、西郷がもっとも嫌っている連中ですね。
薩摩藩内の派閥分けも時期ごとにまとめても面白いかもしれません。
その前提として、幕末薩摩藩人名辞典をまず作成しないといけないですね。いかがですか?
2010/07/30(Fri) 13:00 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
それは…
>その前提として、幕末薩摩藩人名辞典をまず作成しないといけないですね。いかがですか?

それは桐野さんのお仕事じゃないんですか?(苦笑)
正直なところ、戦国時代の島津氏関連の女性だけで手一杯、というか、近頃ではこれもまともにできずにあっぷあっぷしてる状態なんです(滝汗)
2010/08/06(Fri) 00:10 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
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