歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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第32回「狙われた龍馬

ドラマ進行時点:慶応元年(1865)6月頃。

千葉重太郎が伏見にいるのはまったくのフィクションですが、近藤勇と新選組については満更でもありません。
お龍がのちに回想した『千里の駒後日譚拾遺』(明治32年、土陽新聞連載)に、近藤と伏見・寺田屋について、次のように書いています。

「近藤勇は三十一、二の年恰好で顔の四角い様な、眉毛の濃い、色の白い、口は人並より少し大きい奸物らしき男でした。寺田屋のお登勢を捕へて新撰組の定宿と云ふ看板を出せと剛情を云つたもですが、お登勢も中々しツかりした女ですから承知しなかつたのです」

お龍の近藤の容貌観察は実際に残っている写真に近いですから、かなり正確ですね。また近藤が寺田屋お登勢に新選組の定宿にするよう迫ったというのもありえる話です。
新選組の任務のひとつに淀川水運の往来を監視する業務があります。これは淀川上流の伏見と下流の大坂八軒家で、人別改めをすることでした。もちろん、長州系の尊攘派を監視・捕縛するためです。寺田屋の立地から、新選組の定宿にしたいというのはありえる話です。

また同連載で、お龍は伏見にいた夏の時分に、龍馬と2人で散歩がてら涼みに出かけたら、新選組の隊士5、6人がわざとぶつかってきたとあります。すると、龍馬はいざこざを避けたのか、お龍を置いてどこかに隠れたそうです。あとから出てきたので、お龍が「私を置き去りにしてひどい」と怒ると、龍馬が「彼奴等(きゃつら)に引掛るとどうせ刀を抜かねば済まぬから、それが面倒で陰れた(かくれた)のだ」と答えたそうです。
30年後のお龍の回想とはいえ、新選組との因縁は実際にあった可能性は高いですね。

この連載にはいつのことか書かれていませんが、龍馬とお龍が知り合ってから、夏の時分に一緒に伏見にいるのは、元治元年(1864)か翌慶長元年、つまりドラマ進行時点しかありません。だから、ドラマの場面もまったくの作り事というわけではなさそうです。

念のため書いておきますと、すでに龍馬とお龍は結婚しています。ですから、もはや千葉佐那の名前が出てくるはずがないのですが。このどっちつかずの関係をずっと霧島の新婚旅行まで引っぱるつもりでしょうか?

なお、龍馬と慎太が連れ立って上京し、薩摩藩邸に西郷を訪ねたのは事実です。このときは海路でしたが、途中、風雨のために備前に上陸し、あとは陸路だったようです。
でも、脱藩浪士の2人が新選組はじめ幕府方の監視網のなか、そう簡単に上京できるとは思えません。おそらく大坂の薩摩藩蔵屋敷で、船印をもらうなど便宜をはかってもらったに違いありません。

龍馬が薩摩藩士のふりをして、「西郷伊三郎」という変名を名乗っていましたが、これは事実です。
ドラマの進行時点から少しあとの9月9日、龍馬が乙女とおやべ(春猪)に宛てた書簡に、これから手紙や品物を送るときは寺田屋気付で「薩州様西郷伊三郎」と書くようにと指示しています。
ですから、ドラマ進行時点で、そう名乗っていたとしても不自然ではありません。
つらつら考えるに、この変名に龍馬と西郷の親近性がよく表れていますね。2人は志と友情で結ばれていたとみて間違いありません。もっといえば、龍馬のその頃の帰属意識も示しているでしょう。変名を採用しつつ、西郷との関係をそのように描かないのはバランスを欠いており、合点がいきませんね。

龍馬が寺田屋で風呂に入り、お龍が風呂を炊いていたときの会話。
お龍が龍馬にどこに行っていたのかと尋ねると、長崎、太宰府、下関と答えていました。
やっぱりなあと思います。

鹿児島と熊本がスッポリ抜け落ちています。
熊本では横井小楠に会っています。
これほど鹿児島行きをあえて無視するのは意図的以外の何ものでもありませんね。

次回は長崎での軍艦・武器購入の周旋一件でしょうか。
近藤長次郎の働きを無視してほしくないですが……。

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【2010/08/08 22:25】 | 龍馬伝
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昨日は秋葉原で私用の打ち合わせがあったので、 録画しておいたのですが、原稿を書いてから観ようと思っていたら、 睡魔に襲われて原稿も終わらぬまま眠ってしまいました。 本日、ようやく観てからUPします。 今回は龍馬と慎太郎が西郷を訪ねに京都へやって来て 寺田屋を
2010/08/09(Mon) 14:27:10 |  shugoroの日記
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