歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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先日取り上げた新刊『もうひとつの明治維新』に収録されていた論文を読んだ。とくに次の論文が非常に面白かった。

仙波ひとみ「幕末朝廷における近臣」

幕末維新史において、公家の果たした役割はこれまで重視されてこなかったし、当然、一般にもあまり知られていない。たとえば、尊攘派浪士に脅されて意のままに動く軟弱公家というあたりが一般の通り相場かもしれない。

中近世移行期から近世初期にかけての朝廷の地位と役割については、幕藩制国家の一要素(天皇はとくに「金冠」として)に位置づけられ、公武関係、朝幕関係のありようが明らかにされてきた。とくに公家近臣集団については、「関白―両役制」(関白と武家伝奏・議奏)や小番衆(内々と外様)の位置づけや機能などについて研究が積み重ねられてきた。

幕末期の公家衆もそうした近世の公武関係を基本的に継承しつつも、大きな変化が生まれてきており、そこに幕末期朝廷の独自性がある。たとえば公家の列参行動など、近世初期にはありえなかった現象である。

そうしたなか、仙波論文では「近習小番」という、天皇に近侍する堂上公家集団に注目する。その着眼は鋭い。そして、幕末に生起した朝廷や公家の各種の事件や運動も、多くはこの近習小番(とそれを母体にした議奏)に関わっていることが明らかにされる。

私も、中世から近世における朝廷の小番衆編成についてはひととおりの知識があるつもりだった。近習小番も名前だけは知っていたものの、幕末期にそのような重要な役割を果たしていたとは、ついぞ知らなかったので、大変勉強になった。

小番衆の内々と外様という区別は、天皇との人格的かつ空間的な距離の遠近を意味し、内々が外様よりも天皇に近く、詰める番所もより天皇に近い場所に設置された。

一方、近世になって設けられた近習小番は内々・外様よりもさらに天皇に近い場所に詰めるとともに、その勤侍形態が内々・外様の当番制と異なり、日常的に天皇と接していることが重要だと仙波氏は指摘する。つまり、天皇との日常的な接触が多いことこそ、朝廷の政務に関わる足がかりとなり、その結果、政治的な行動が多くなる。
逆に、従来の内々と外様の小番衆は幕末期、ほとんど天皇と接点がなくなり、制度そのものが形骸化する。その意味で、近習小番こそ、天皇の「近臣」だと位置づけられる。論文タイトルの「近臣」とは近習小番のことを指す。

それと同時に、幕末期は両役のなかでも、天皇と接する議奏の役割が武家伝奏に比して高くなる。そして、幕末における各種の事件にはこの議奏が関わっている。そして議奏は近習小番から選ばれるのである。ここに近習小番と議奏の親近性がある。

まあ、こうした制度上の位置づけはわかりにくいので、孝明天皇の近習小番となった主な堂上公家の具体名を出してみよう。

東久世通禧・大原重徳・三条実美・岩倉具視・千種有文・富小路敬直・柳原光愛・長谷信篤……

よく知っている名前がある。このうち、三条実美・東久世通禧は八・一八政変で都落ちした七卿のうちの二人である。そして、岩倉具視・千種有文・富小路敬直は和宮降嫁を推進したために、「四奸二嬪」として排斥されたうちの三人である。
失脚した者が多いのも、孝明天皇の信任厚い近臣ゆえだった。三条・東久世は孝明天皇の叡慮を過信・誤解したためであり、岩倉・千種・富小路は和宮降嫁が公式の朝議を経ずに孝明天皇との私的なルートで進められたことが、関白―両役などから反発されたためである。

個人的に興味深かったのは、「四奸二嬪」と和宮降嫁である。「四奸」のもう一人は久我建通(内大臣)であるが、四人とも村上源氏ゆかりの公家たちである。
とくに、久我は清華家で氏長者でもある。さらに内大臣に任官する前は議奏だった。仙波氏は和宮降嫁は岩倉よりも、むしろ、村上源氏の総帥である久我と、現任の議奏である中山忠能、正親町三条実愛の三人が推進の中心人物だったと指摘する。三人とも議奏経験者である点が共通する。

この指摘には目を開かされる思いだった。岩倉のほかに中山忠能・正親町三条実愛と並べば、慶応三年の討幕の密勅を作成し、署名した人物たちである。

いわゆる公武合体策といわれる和宮降嫁が、単なる幕府との協調策ではなかったと私は思っていたが、まさに天皇権威を高める戦略であり、それが慶応年間になって王政復古運動へと発展していくことが、人脈的にも跡づけられた思いがする。
何というか、頭の中でばらばらになっていたものがつながったという感じである。

仙波氏にはほかにも「『国事御用掛』考」(『日本史研究』520号、2005)などの論考もある。いずれにしろ、今後注目の研究者である。
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【2006/11/21 19:39】 | 幕末維新
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2006/11/22(Wed) 10:16:27 |  堂中日録
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