歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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第38回「霧島の誓い」

ドラマ進行時点:慶応2年(1866)3月~6月

いよいよ高千穂登山の場面でした。
注目すべきは、吉井幸輔の長男幸蔵(一袈裟)が道案内として登場していたことです。
先日、鹿児島宝山ホールの講演で、一袈裟君が登場するかどうか注目ですと話したが、的中したことになる。

幸蔵こと一袈裟君が注目を浴びるようになったのはほんの最近のこと。
龍馬と公私にわたる友人だった薩摩藩士・吉井幸輔(のち友実)の孫で歌人として有名な吉井勇が昭和はじめの大衆誌「キング」に、父幸蔵から聞いた話を回想して掲載した記事が見つかりました。
*吉井勇については、高知県香美市に吉井勇記念館があります。ここです。


そのなかで、一袈裟は小松帯刀の別邸(鹿児島市原良町)で吉井に連れられて、龍馬とお龍に引き合わされている。龍馬は一袈裟の頭を撫でながら、「親父より出来がいい」と冗談を言ったそうな。
一袈裟は龍馬を「がっしりとした体付きの、眼の鋭い、三十一、二の男」、お龍を「悧巧そうな二十四、五の女」と観察しています。

その後、一袈裟は2人とともに、塩浸温泉(一袈裟は日当山温泉と勘違い)に行き、龍馬のピストルでの狩猟に付き合わされている。要は射止めた鳥を取りに行く係。
また、龍馬とお龍が険悪な状態で、お龍に向かって「もういいよ。お龍さん、仲直りしよう」と言って涙目になったことも目撃しています。

ドラマではそんなシーンはなかったが、その代わりに高千穂登山に同行する役になっていました。
しかし、一袈裟の話にはそのことは書いてない。
また、お龍の回顧談「汗血千里駒後日譚」には、高千穂登山は田中吉兵衛なる人物と同行したと書いてあり、一袈裟は出てきません。やはり、一袈裟(当時12歳)の足では登山は難しかったのではないでしょうか。

お龍の同じ回想では、高千穂に登りたいと最初に言い出したのはお龍のほうで、龍馬が「言い出したら聞かぬ奴だから連れて行ってやろう」ということで、龍馬のほうが付き合わされた形です。
お龍はこのとき、弁当代わりに小松帯刀からカステラをもらったと書いていますが、残念ながらそのシーンはなかったです。

霧島の龍馬関連の史跡を載せておきます。
霧島銅像
塩浸温泉にある龍馬とお龍の銅像
犬飼の滝
龍馬が乙女宛ての手紙で「蔭見の滝」と書いた犬飼の滝

霧島から鹿児島に戻ったのが4月12日。霧島に湯治に行ったのが3月16日からですから、1カ月近く療養していたことになります。
14日には、鹿児島城下の「改正所」を見学したと、龍馬の「手帳摘要」に書かれています。
これは薩摩藩営の洋学校「開成所」のことでしょう。
前から気になっていたことですが、龍馬の仲間の沢村惣之丞はドラマではずっと長崎にいますが、事実ではありません。
沢村は航海術とともに蘭学を習得していたため、薩摩藩にスカウトされて、慶応元年8月頃から開成所で蘭学を教える教授になっています。沢村のことは大久保利通の手紙(英国留学中の新納刑部と町田久成宛て)のなかで、「いたって面白く、数学に秀でている」と書いています。沢村は蘭学のほか、数学も得意だったようです。これは航海術の一環で、各種計測・計算に長じていたのでしょう。
ですから、龍馬は開成所で沢村に会った可能性が高いです。

また手帳摘要には、龍馬がまだ鹿児島にいる5月29日、「寺内氏」から金4両3分を借用しています。
この「寺内氏」は寺内新左衛門こと、海援隊士の新宮馬之助でしょう。
馬之助もこの時期、鹿児島にいました。
おそらく長州が買ったユニオン号で鹿児島に来たのでしょう。
手帳摘要に、木戸から手紙(龍馬宛てか)があったとあるのも、馬之助がユニオン号で運んできたと思われます。
龍馬が池内蔵太の死を知ったのも鹿児島で、馬之助からの情報でしょう。

手帳摘要によれば、木戸の手紙には「其時件(事件)」については「両国論を合わせて」云々と書いてあったということです。「其時件」とは幕府の第2次征長で、「両国」は薩長のことでしょう。つまり、幕府との戦いで薩長が歩調を合わせるという合意ができたということか。
そのあたりが少しドラマに反映していましたた。場所は小松屋敷です(本邸か別邸かは不明)。

もっとも、薩長が足並みを揃えたのに、龍馬が改革を平和的にやるつもりだったため、西郷や小松に異議を唱え、西郷から「それなら坂本さんは舞台から降りたほうがいい」と皮肉を言われる場面がありました。

まったくもって不自然な成り行きですね。
龍馬は薩長同盟の立会人です。
木戸から確認を求められたその6カ条のなかには、「いざとなれば、橋会桑(一会桑勢力)と決戦に及ぶべし」という1条があります。つまり、いざとなったら戦争も辞せずという条項です。
龍馬は裏書をしたくらいですから、6カ条を知らないはずがありません。
薩長が幕府と戦争するのは約束が違うという龍馬のほうがどう見てもおかしいでしょう。
ましてや、幕府軍はもう長州国境に迫っているのに、平和的も何もない、問答無用の状況だというのに、このドラマの珍妙なコンセプトが史実に反しているだけでなく、ドラマのストーリーの足も引っぱっています。

でも、龍馬は長州を支援する戦争はするという。矛盾してるよなあ。ほかの海援隊士の主張のほうがこのドラマ的には正論です。
この長州戦争への従軍だけは例外として処理するつもりなんでしょうか。でも、その「コンセプト」はもう十分破綻しているけれど、今後も最終回まで引っぱっていくんでしょうね。

次回はいよいよ四境戦争ですね。
大村益次郎は登場しないのでしょうが。

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【2010/09/19 22:44】 | 龍馬伝
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2010/09/20(Mon) 18:34 |   |  #[ 編集]
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