歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第167回
―江戸藩邸焼き討ちされる―

月曜日が祭日だったため、連載の更新が火曜日にずれ込みました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

伊牟田尚平シリーズも7回目と、意外に長くなってしまいました。
ようやく薩邸焼き打ちまで来ました。
あと2回くらい書かないと終わりそうもありません。

薩邸焼き打ちは大きな事件ですし、鳥羽伏見の戦いの導火線にもなりましたから、書きたいことはたくさんあります。
たとえば、庄内藩など攻撃側がフランス軍人のブリュネ砲兵太尉から、四斤山砲の散弾と榴弾の使用法を伝授してもらい、実際、薩邸にこもる浪士たちの頭上で破裂させるなど効果的に使用したこととか。
でも、伊牟田からははずれてしまいますし、割愛せざるをえませんでした。

今回は薩摩藩船祥鳳丸のなかでの伊牟田の行動を、史談会速記録にある落合直亮の証言から明らかにできたことが新味かもしれません。落合は伊牟田の豪胆さというか、命知らずの破天荒さに半ば呆れながらも、驚いています。この辺が伊牟田の魅力でもありますが、その最期を考えるとあだになったともいえそうです。

また、祥鳳丸が藩邸内や島津家菩提寺の大円寺(当時、高輪にあった)に納められていた位牌や仏具などを積載して帰ったらしいというのは、調べていて初めてわかったことです。
以前、杉並に移転した大円寺を訪れたとき、住職から島津家が位牌などすべて鹿児島に持ち帰ったと教えてもらいましたが、おそらくこのときかなと合点がいきました。

なお、写真は鎌倉の妙法寺にある薩摩藩戦死者の供養墓の写真を掲載しました。
じつは、これは単体で書こうと思っていたネタです。
ほんとは、攻撃に参加した上ノ山藩の藩士の手記に載っていた、幕府側の芝・薩摩藩上屋敷の包囲図を使いたかったのですが、サイズの関係で断念しました。池があるなど藩邸内の様子がよくわかる地図です。上屋敷の様子はあまり知られていないので貴重ですね。

さて、ようやく京都に戻った伊牟田たちですが、西郷との会見がいつ、どこであったのかなど、一次史料がなくて正確につかめません。落合の手記もあまり詳しくありません。
通説では、西郷の密命どおり、鳥羽伏見の戦いのきっかけを作ってくれたことに、西郷が伊牟田たちに感謝したことになっていますが、どうもそんなうまい話ではないなという感触があります。
次回はそのあたりと、相楽総三の「偽官軍」一件になりそうです。
いよいよ大詰めです。

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【2010/10/14 00:59】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |


ながお
桐野様
こんばんわ。供養塔が鎌倉にあったとは知りませんでした。写真で見る限りでは新しい感じがしますが、どのような縁があったのでしょうね。
篠崎彦十郎らのお墓は杉並の大円寺にありますね。見てきました。

本能寺の変
中の人
今回の話題とは関係ありませんが、
藤本正行氏の新刊で、「信長は謀略で殺されたのか」が俎上に上げられてますね。

篠崎彦十郎
桐野
ながおさん

大円寺に篠崎彦十郎の墓、たしかにありましたよね。私もだいたいの場所を覚えています。
その墓の後ろというか、裏に横山安武の墓があったような。

でも、撮影したデータに、それがありません(泣)。

拙著ですか?
桐野
中の人さん

『信長は謀略で殺されたのか』は藤本さんの共著ですが、自分の著書を俎上に上げたんですか?

思うに、拙著『だれが信長を殺したのか』(PHP新書)のことではないでしょうか?

どんな形であれ、藤本さんに取り上げられるなら、光栄なことでしょう。

島津家の位牌諸々
ばんない
こんばんは。

本題から大きく外れる話ですが
確かに以前こちらのブログで大円寺にあった島津家関連の物は全部鹿児島に持って帰られてしまって、今は残っていない云々…という話が出てましたっけ。

持って帰られてしまった位牌とかも、結局は廃仏毀釈で全部焼かれてしまったんでしょうね…今回のお話から推測する限りでは、おそらく幕府側に位牌その他を取られるのを恐れて撤収したのでしょうが、結果だけを見ると、大円寺に置いてあった方がまだ残っていた可能性が高かったように思われますね。


中の人
>思うに、拙著『だれが信長を殺したのか』(PHP新書)のことではないでしょうか?

失礼しました。
その通りです。


ながお
桐野様

返信ありがとうございました。篠崎らと同じ敷地内には横山安武の墓はなかったと思います。ずっと後ろの別の敷地ですかね。今度確認してみます。それから益満休之助の墓は合葬墓に名前が書いてあるだけでしたね。こういう有名人が多い墓地は案内図が欲しいところです。

大円寺
桐野
ばんないさん

そうですね。大円寺に残しておいたほうがよかったかも。たとえ大檀那が神道に宗旨替えしても、位牌などは寺側が残していてくれる可能性高いですよね。


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コメント
この記事へのコメント
桐野様
こんばんわ。供養塔が鎌倉にあったとは知りませんでした。写真で見る限りでは新しい感じがしますが、どのような縁があったのでしょうね。
篠崎彦十郎らのお墓は杉並の大円寺にありますね。見てきました。
2010/10/14(Thu) 23:45 | URL  | ながお #-[ 編集]
本能寺の変
今回の話題とは関係ありませんが、
藤本正行氏の新刊で、「信長は謀略で殺されたのか」が俎上に上げられてますね。
2010/10/15(Fri) 21:49 | URL  | 中の人 #-[ 編集]
篠崎彦十郎
ながおさん

大円寺に篠崎彦十郎の墓、たしかにありましたよね。私もだいたいの場所を覚えています。
その墓の後ろというか、裏に横山安武の墓があったような。

でも、撮影したデータに、それがありません(泣)。
2010/10/16(Sat) 00:15 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
拙著ですか?
中の人さん

『信長は謀略で殺されたのか』は藤本さんの共著ですが、自分の著書を俎上に上げたんですか?

思うに、拙著『だれが信長を殺したのか』(PHP新書)のことではないでしょうか?

どんな形であれ、藤本さんに取り上げられるなら、光栄なことでしょう。
2010/10/16(Sat) 00:18 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
島津家の位牌諸々
こんばんは。

本題から大きく外れる話ですが
確かに以前こちらのブログで大円寺にあった島津家関連の物は全部鹿児島に持って帰られてしまって、今は残っていない云々…という話が出てましたっけ。

持って帰られてしまった位牌とかも、結局は廃仏毀釈で全部焼かれてしまったんでしょうね…今回のお話から推測する限りでは、おそらく幕府側に位牌その他を取られるのを恐れて撤収したのでしょうが、結果だけを見ると、大円寺に置いてあった方がまだ残っていた可能性が高かったように思われますね。
2010/10/16(Sat) 00:25 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
>思うに、拙著『だれが信長を殺したのか』(PHP新書)のことではないでしょうか?

失礼しました。
その通りです。
2010/10/16(Sat) 09:25 | URL  | 中の人 #-[ 編集]
桐野様

返信ありがとうございました。篠崎らと同じ敷地内には横山安武の墓はなかったと思います。ずっと後ろの別の敷地ですかね。今度確認してみます。それから益満休之助の墓は合葬墓に名前が書いてあるだけでしたね。こういう有名人が多い墓地は案内図が欲しいところです。
2010/10/16(Sat) 23:13 | URL  | ながお #-[ 編集]
大円寺
ばんないさん

そうですね。大円寺に残しておいたほうがよかったかも。たとえ大檀那が神道に宗旨替えしても、位牌などは寺側が残していてくれる可能性高いですよね。
2010/10/17(Sun) 18:09 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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