歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

南日本新聞連載「さつま人国誌」第168回
―相楽総三救出間に合わず―

連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

いよいよ赤報隊事件まで来ました。
今回は、伊牟田尚平が相楽総三の説得、救出に中山道を下ったことを書きました。
このことはほとんど知られていないと思います。
ちょうどこの時期、伊牟田が京都から下諏訪や上田まで来たことを示す史料が残っています。
今回はそれを使いました。ご教示いただいた西澤朱実さんに感謝です。

でも、伊牟田が下諏訪の東山道総督府本陣に着く直前に、相楽たち8人は斬首されてしまいます。
間一髪、伊牟田は間に合いませんでした。
もっとも、間に合ったからといって、伊牟田が相楽を救出できたかどうかはわかりません。それでも、少し異なった展開になった可能性はあるでしょう。
相楽の処刑について、その理由がおかしいことを、伊牟田はある程度気づいていたようです。

相楽総三らの非業の最期、いわゆる「偽官軍事件」については、かつて年貢半減令がその背景にあるとされていましたが、もうそれを乗り越える段階に立ち至っています。
とりあえずは、上記西澤さんが編纂した『相楽総三・赤報隊史料集』(マツノ書店、2008年)にかなり詳しい解説があります。現段階での到達点だと思います。今後、さらなる研究の進展が予想されます。

今回使用した写真は2年前、相楽たちの140年祭に参加したとき撮影した「魁塚」(さきがけづか)です。

次回が伊牟田シリーズの最終回になる予定です。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2010/10/18 17:19】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |


ながお
桐野様

こんばんわ 相楽たちの処刑は草莽隊の末路を端的に示していると思います。彼らに主導権を握られたくなかったのでしょう。それにしても伊牟田がいたら機略を用いて、何とかしてくれたのではとつい期待してしまいます。彼は快男児ですね。ところでちょっと質問ですが「地雷火」とはどのような兵器でしょうか。地雷と同じ様なものでしょうか。「東京市史稿皇城篇第三」の中に例の江戸城二ノ丸炎上のことが載っているのですが、参考としてそれに対する流言飛語が紹介されていてその中に出てきます。

地雷火
桐野
ながおさん

地雷火はやはり地雷のことでしょう。
地面に火薬を埋めて、導火線か何かを使って爆発させるものでしょう。
大坂の陣でも使用例があります。

私が知っているかぎりで、幕末でも使用例があります。
慶応元年(1865)1月、長州藩内の内戦である大田・絵堂の戦いで、諸隊側の奇兵隊が地雷火を仕掛けていますが、どうやら不発だったようで、撤退せざるをえなかったという記事が『奇兵隊日記』に出てきます。

江戸城二の丸の場合も、畳の下から燃え出したわけですから、地雷火ではないかという噂が広まったのかもしれませんね。


説明不足
ながお
桐野様

返信ありがとうございます。地雷火の話は別件です。12月26日夜に江戸中に地雷火を仕掛け焼き払う計画があったことになっています。これは事前に発覚、そうしているうちに25日の幕府方の薩邸焼き討ちになった様です。説明不足ですみません。

コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
桐野様

こんばんわ 相楽たちの処刑は草莽隊の末路を端的に示していると思います。彼らに主導権を握られたくなかったのでしょう。それにしても伊牟田がいたら機略を用いて、何とかしてくれたのではとつい期待してしまいます。彼は快男児ですね。ところでちょっと質問ですが「地雷火」とはどのような兵器でしょうか。地雷と同じ様なものでしょうか。「東京市史稿皇城篇第三」の中に例の江戸城二ノ丸炎上のことが載っているのですが、参考としてそれに対する流言飛語が紹介されていてその中に出てきます。
2010/10/19(Tue) 01:07 | URL  | ながお #-[ 編集]
地雷火
ながおさん

地雷火はやはり地雷のことでしょう。
地面に火薬を埋めて、導火線か何かを使って爆発させるものでしょう。
大坂の陣でも使用例があります。

私が知っているかぎりで、幕末でも使用例があります。
慶応元年(1865)1月、長州藩内の内戦である大田・絵堂の戦いで、諸隊側の奇兵隊が地雷火を仕掛けていますが、どうやら不発だったようで、撤退せざるをえなかったという記事が『奇兵隊日記』に出てきます。

江戸城二の丸の場合も、畳の下から燃え出したわけですから、地雷火ではないかという噂が広まったのかもしれませんね。
2010/10/19(Tue) 18:28 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
説明不足
桐野様

返信ありがとうございます。地雷火の話は別件です。12月26日夜に江戸中に地雷火を仕掛け焼き払う計画があったことになっています。これは事前に発覚、そうしているうちに25日の幕府方の薩邸焼き討ちになった様です。説明不足ですみません。
2010/10/20(Wed) 00:24 | URL  | ながお #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。